Nu blog

いつも考えていること

フィールド・ノート(第10話)

 パソコンの画面を見続けていると今が昼か夜か分からなくなる。画面の右下に表示された時間を見ると、気がつけば夕方の四時だったりする。それで窓の外を見てみると、まだまだ明るいから、ずいぶん日が長くなったね、なんて雑談を少し交わしたりする。あるいはオフィスから人が減ったなと思って、また画面の右下の時間を見たら夜の八時とか九時になっていたりする。フカミは心の中で疲れたを連呼する。残っている他の人も、平然と画面に向かっているけど、心の中で疲労を叫んでいるんだろうか、帰りたいとぶつくさ文句を言っているのだろうか、どうして他人のために動かなくちゃならんのだと思っているのだろうか。
 新しく来た部長は、しょっぱなの挨拶で挨拶、笑顔、背筋、この三つを意識して仕事に取り組もうと言ったので、課長クラスが今までろくにやってこなかった挨拶を大きな声でしだしたのはおかしかった。しかし、言い出した部長は割と挨拶をしない、というのは社員間でのくだらない話のタネによくなった。
 フカミは姿勢が悪い。重度な猫背だったので、部長直々にたびたび注意された。フカミ以外の人も、椅子に座る時はしっかり腰かけて、背もたれに背を預けるな、などうるさく言われた。部長は確かに姿勢が良かった。俺は剣道を三十年やってるんだ、と課長に話しているのが嫌でも耳に入ってきて、ああいうのってどう反応すれば正解なんだろうと思っていたら、課長は「いやー、まだまだお若い」とわけわからない相槌を打ったので、部長も呆れたのかうやむやに話を切り上げた。
 二つ目に挙げられた「笑顔」はまったく浸透しなかった。朝礼でも、感動したことについて記載された謎のメールでも、全国の営業所の責任者を集めた会議の挨拶でも、飲み会の乾杯の音頭、締めの挨拶でも、「挨拶、笑顔、背筋」と三点セットで言うのだが、実際には、笑顔の扱いはいつも一段低かった。そもそも部長はまったく仏頂面なのだ。笑うにしても、にやりと口の端を上げて笑うのだから、その口が「笑顔」を求めてくるのはおかしなことだった。本人もそれに気づいているのか、笑顔へのこだわりは薄いようで、姿勢ほどに他人に強要することはなかったが、つい先だって、近くにある弊社社員御用達のコンビニで飲み物等を買った部長が、戻ってくるなり課長に対し、「あそこの店員は笑顔もないし、口の中でもごもご言うから、何言っているのか分からん」と文句を言ったことがあった。近所のコンビニは評判が悪く、グーグルマップの口コミに大量のネガティブコメントが書かれるくらいだから、部長の不満も分かるが、課長の「はあ、まあ」みたいな返答を無視するかのように一人で熱をあげはじめ、「あんなの接客業に向いてないよ」「人材育成ができてないのも問題なんだ」「レジ待ちの列が長くなっても、揚げ物かなんかして、ちっとも手伝おうとしない。人としてセンスがない」などと口を極めてののしりだした。気持ちは分かるがそこまで罵られると同意しにくく、怖かった。笑顔って、寛容な心の表れなんじゃないのか、とフカミは心の中で思ったが、そんなことを口にするのはあほ丸出しなのでじっと画面を見つめた。
 上司のツボを見極めないといけないサラリーマン生活のややこしさを思う。
 そればかりでなく、課長が仕事を放擲するので、必然やることの増えたフカミは、やることが増えたのでミスもちょくちょくやってしまって、ミスればそれをカバーしないといけないし、やけに忙しくなった。はっきり言って、毎日全然つまらなかった。
 仕事に興味がなかったが、やらないほどではないので、やることはやるが、みんなどうやってがんばってるのだろう。仕事なんて、嫌いだ。つくづく思う。
 クリーニングしてもらおうとひさびさに歯医者に行ったら、虫歯があると言われた。痛くもないのに治療されるのは腹立たしかった。大掛かりに削られ、仕舞いにはかなり深かったので銀かセラミックか金を入れないといけないと言われた。あほらしかったし、奥だったので、保険の使える銀にした。削るために麻酔をかけられたのが、半日経っても切れず、頭がくらくらした。水を飲もうとしたら、麻酔の効いている口の左側からだらだらこぼれた。
 歯医者は恨まれるだろうな、と思う。痛みを取るために、一回痛いことしてくるのだから。なんなら、今回は別に痛み感じてなかったから、未来に発生する痛みのために痛めつけられたので、理不尽に思っている。
 そんな風にして四月が終わって行った。冬のことを忘れきったような、あたたかな日々だった。
 
 二か月ほど不在にしていたが、店長が快く受け入れてくれて、フトーは居酒屋に戻った。シフト表を見ながら、横で掃除をしていた山口君に、
「あれ、なんか知ってる人減ってない?」
 と言うと、
「あー、四回生がごっそり抜けたんで。その分新人取るって言ってましたけど、ちょっと今年は多いんすよね。店長がミスったって言ってました」
 机を拭いて、床を掃く動作を繰り返して、フトーがいる位置から山口君はどんどん離れていった。フトーはカウンターで、机の上に置く醤油やらを補充していた。
「山口君は何回なん?」
「五回っす。留年しちゃいました。どんだけがんばっても八単位くらい足りてなかったんで、去年のこの時期にはもう確定してたことですけど」
 山口君が事もなげに言うので、
「就活とか大変ちゃう? ぼくらん頃って留年してる奴はもうあかんみたいな話あったくらいやったけど。今はそうでもないん?」
「今はそんなに関係ないんじゃないっすかね。同級生に聞いても、留年してた先輩に聞いても、十社受ければどこか受かるって言ってましたし。ま、大手はあれかもしれないっすけど、その子会社とかを選べばちょろいって聞いてます」
 どうも自分の認識している就活と違うな、とフトーはショッキングだった。カウンターの裏側で仕込み等々していた店長も聞いていたらしく、
「嘘や。そんなちょろいもんとちゃう。世間は厳しい」
 と恨みのこもった呪いのような棒読みで言った。
「うん。就活って辛く、厳しく、悲惨なもののはずや」
 フトーは作業の手を止めて、合の手を山口君に向けて言うと、
「店長、就活したことあるんすか」
 と山口君は机を拭く手を止めて、カウンターの向こうに声をかけた。
「三流大学の上、二留して、そもそも参加すらできんかった。就職課行ったら、困るって言われたからな。でもまあ、同級生の内で一番早く『長』になったんは俺や。店長やけどな。中途半端な企業に入った同級生は今でも平社員やったりする」
 店長は立ち上がってカウンターの裏側から姿を現して言った。後半は店長にとって重要な、フトーと山口君にとってどうでもいい情報だった。頬がこけているなあ、とフトーは思った。
「ま、今はとにかく楽勝なんですよ。フトーさんも就活したらどこか入れちゃいますよ。留学とかはやっぱりプラスポイントなんで」
 山口君がどことなく上から目線っぽいことを、まったくそんな気のない感じで言ったので、フトーは
「ふーん」
 とだけ返事して、店長に向かって、
「そんなことより、新しいバイトの応募はあるんですか」
 と言うと、
「全然ない。もっと時給いいバイトがたくさんあるから、ヤバい。みんな、がんばろうな」
 とにこやかに言った。フトーは慎重に、あまり元気さなく、けれど同意していないわけではない声量になるように「はい」と言った。
 
 ダイキはその頃、交通量調査のアルバイトで知り合った絵美の家にいた。ダイキ自身いつのまにやらって感じで、家に居づらい気がすると言っただけなのに、居候することになった。絵美が求めてくればセックスもしたが、夜は大抵絵美はロフトで眠り、ダイキはリビングで寝袋に包まっていた。
 絵美は雑誌とかウェブとかにイラストを描いていて、時にはライターをしたり、金欠気味の時は交通量調査などなどアルバイトで糊口をしのいだりしていた。それだけでなく、趣味で同人誌を作ったり日々忙しそうにしていた。
 自分が負債になるのは嫌だったので、自然ダイキはそれらのお手伝いをし始めた。絵美の「あれなんやっけ」に「これでしょ」と反応するのである。時には表情や素振りを見ただけで「ほい、これ」と必要なものを渡したりできた。ダイキにとって、絵美の態度はなぜだか全部よく分かる。
 絵美が言うには、ダイキが来てからライターの仕事が増えたという。ダイキがマネージャーのようにスケジュール管理をする必要さえあって、連日取材やインタビュー、そして納品締め切りが入り乱れていた。
「こんな忙しかったことないねんけどなあ」
 と絵美がぼやく。
「ぼくも、これまで働こうなんて思ったことなかったのに、知らぬ間に働かせてもらってて、不思議やわ」
 とダイキが言うと、絵美が「あ!」と大きな声を出した。
「こんな調子で仕事が忙しいようなら、会社にしようよ。たぶんさ、収入がいくらかを超えると損しちゃうから。調べといて」
 とウキウキした様子だったので「嬉しそうやん」とダイキが言うと、
「ダイキが社長で、わたしは専務。ね」
 と交互に二人を指さした。「おれが社長?」とダイキは笑った。働くことなんて考えたこともなかったのに、社長って。
 
 朝、メールチェックをして、隣に座る主任さんに「このメールって……」と話しかけると「私、やっとくんで大丈夫です」とさえぎって即答される。しょうがないので、他のメールを見て、課長に「このメールなんですが……」と話しかけるとまたしても「それは僕から部長に話入れておくから、大丈夫だよ」と言われてしまう。しのは、定時で帰るまで座っているだけ、下にも置かぬなどという古めかしい言葉を使いたくなるくらいお客様扱いだった。 
 初日に課長から「ま、一年かそこらで本社に帰られるんだろうし、いずれは私の上司、親会社の偉い人としていろいろ指導してもらうことになるわけですから。迷惑はかけませんので、何卒よろしく」と言われた。課長はきっと、自分が来る前に主任に同じことを伝えているのだろう。部の飲み会でも部長の横に座らされ、他の担当の課長クラスがわざわざお酌しに来たから参ってしまう。部長は本社から転籍した人で、露骨にそんな態度は出さないが、しのに仕事を任せようという気配もない。
 仕事にやりがいだのなんだの求めてはないが、何もしなくていいと言われるのはつらいのだと初めて知った。何かしているふりをしないといけないのが、最もつらい。バリバリ働きたいわけではないが、今の状態では会社に来なくたって大丈夫なくらいだ。
 それで家に帰って、料理をするようになった。
 カナも大体同じ時間に帰っているので、二人で台所に立つ。しのはほとんど料理をしたことがなかったので、初めのうちはカナにあれはどうするのか、これはどうなのか疑問に思ったことをいろいろ聞いていたのだが、すぐにカナが教えるのを面倒がるようになった。「私も別に料理が得意なわけじゃないから、教えられない」と言う。でも、毎日手際よくやっているのだから、どういうことを考えてどうやればいいのか的なことをちょっと教えてよ、と思ったが、自分も仕事で後輩に何か聞かれたら適当に答えていた。あとはまず自分で考えろ、とか言ってしまう。
 どうしたもんかと「料理 やり方」などでググっていたら、料理教室のバナー広告が頻繁に表示されるようになって、それで料理教室の体験授業を受けてみた。したら、料理というのは思いのほか言葉の多い作業だということに気づいた。これしてあれして、それしている最中にあれをしてたらそれがちょうどいい頃合いになっているので、あれを仕上げる、みたいな順序は、これはもう一般素人には言語化できるものじゃない。料理教室は、その複雑な工程の言語化・体系化をきっちりやってくれている。
 それだけでなく、体験教室では煮込みハンバーグを作ったのだが、その煮込んでいる時間を活用して勧誘されたことにしのは感動した。つまり、体験教室は契約してもらうためだから、わざわざ勧誘する時間が作れる料理を用意しているわけだ。これを考えた人はちょっと、当たり前にすごい。
 で、六回通うだけの初心者クラスを契約してしまった。営業トークに乗せられてしまった感は否めない。「料理ができる男性は素敵だ」だの「エプロンがよく似合ってる」だの「包丁の使い方を見る限り、すぐに上達する」だの「わざわざこうやって料理教室に来るなんて、奥さんが羨ましい」だの散々おだてられたのが何の効果もなかったとは言えない。そのまま営業に乗っかっていたら、お勧めされた十二回基礎コースプラス選択授業十二回はめちゃめちゃ高かったし、これを受けたらさらに先の応用コースに進むことが期待されるらしいので、なんとか初心者クラスに落としてもらった。
 初心者クラスはすぐに終わらせて基礎コース、応用コースに進みましょうね、とぎらぎらした目で言われたのが印象的だった。しのは業務部門畑を歩んできて、営業にはなりたくないと思っている。だから、こうして営業の人の心の強さというか元気の良さというか諦めの悪さというか、そうしたエネルギーを感じるとやっぱり圧倒されてしまって、自分には無理だなと思う。数年前に人事上必須だからと受けさせられた営業研修で聞いた「ドアノック」とか「ラポール」とか「イエスセット話法」とか「クロージング」とかいう言葉を思い出して、振り返ってみればこの料理教室はそうした手法をきちんと取り入れているだけだ。でも、メソッドを実践できる仕組み、そして人間がいることに感動する。
 さて、しのはとにかく暇だったので会社帰りにも教室に行って、初心者クラスを二週間で終わらせてしまった。体験授業と違い本授業はスパルタだった。四品を三十分で作る、みたいなことをして、先生の指示に食らいつかないといけなかったが、料理のコツというか、料理への抵抗感がなくなった。基礎コースへの勧誘をはねのけるのが大変だった。
 それから、カナと二人で料理をするのも快適になった。むしろ、しのの方が冷蔵庫を開けて「これとあれでそれを作ろう、ぼくはあれをしているから、カナはそれとこれを一口大に切って」などと偉そうに指示するくらいだった。
 しばらくはそうやって二人で料理していたが、カナのつわりがひどくなりのたうち回るようになってから、基本的にしのが料理を担当するようになった。正座しておきたいけど、顔は俯けていたいと言って、机に突っ伏しているカナを見ると、代わってあげられなくてつらい。というか、医療はもっと妊娠を楽にしろよ、いろいろ他にも重要なことあるやろうけど真っ先に取り組めよ、と思う。
 それはともかくカナが残した分も食べたりしてたら、けっこう太ってしまった。
 で、朝は早く起きてジョギングするようになった。ラグビー部時代のスポーツウェアに体を押し込み、日が登り始めた頃、走り出す。少し薄暗い町、犬を散歩する人、庭の手入れをしている人、同じように走っている人がいる。
 そうやって、思いがけず暇のつぶし方を探る自分が、しのは愉快だった。子育ても楽しみで、早くこっちにおいで、とカナのお腹に話しかけたりするのだった。
 
 一日ごとに気温が高くなって、すっかり青空も濃くなった。朝、小学校の横を通ったら学校のにおいがした。それは、二十余年前に自分が入学式の時かいだにおいとまったく同じだった。「わにの『わ』、かえるの『か』、いぬの『い』、きりんの『き』でわかいきです。よろしく」とほほ笑んだ若生先生のことを忘れられない。トレンディドラマの俳優さんみたい、と母親が言っていたのを思い出すが、小学生のフカミにトレンディドラマの俳優さんのイメージは伝わらなかった(今も分からない)。あのにおいは、なんのにおいだったのだろう、木造の、教室の床のにおいか、なんとなくあの、新品の上履きのにおいのような気もする。
 桜が咲いた。通勤途中にもいくらか桜の木があるから、それはフカミも知っていたが、桜の下でお酒を飲むような、あるいは散歩するようなことができないまま、見ごろはすぐに終わってしまった。
 人事部から、大学で会社説明会をやるので若手社員として参加しろと命令されて、珍しく平日昼間に外に出た。電車に乗っている人らの雰囲気が、朝や休日とは違う感じがする。どう違うのかは分からない。
 ぷらぷらと大学通りを歩いた。汚くて安そうな居酒屋や軽音楽部が入り浸っていそうなスタジオやマンガの置いてある喫茶店、学生割引を掲げる牛丼屋なんかが並んでいた。ケータイショップや立ち並ぶマンション、やけに立派な一軒家や写真館、小さな公園。自分の母校ではないのに、ここで大学生を過ごしたと勘違いしそうなほど、見たことのある景色だった。
 きゃはははは、と嬌声をあげる学生らとすれ違った。あれ、と思った。あれ、おれ、まだ、人生が定まってない? という漠然とした思い、揺らいだ思いが現れて、胸に重いものがのしかかったのを感じた。中学三年生の時、ショッピングモールで手を洗おうと体をかがめたら、口の開いていたショルダーバッグから携帯電話が滑り落ちて水没させたことを思い出した。母親に「電話がつながらない」と指摘されるまで黙っていた、あの一秒たりとも携帯電話のことを忘れられなかった数日と、今感じている重いものとはそっくり一緒だった。
 大教室の演壇に立ち、二コ下の採用担当の説明が終わると、数人が挙手してフカミに向けて質問をした。いわく、やりがいは何だとか、どうしてここに入ったのかとか、御社の強みと弱みは何かとか、そういった質問で、事前に採用担当に渡されたペーパーにすべて答えのあった質問だった。
 大教室の演壇からは、それほど離れてはいないのだけれど、どうしても学生らの顔がはっきり見えなかった。こことそことが、遠く遠くにあるようだった。
 締めの言葉として「就活大変やろうけどがんばってね」と言った自分の口が信じられないまま、採用担当とラーメンを食って帰った。おいしいことで有名なラーメン屋も、平日の五時過ぎで空いていた。