Nu blog

いつも考えていること

サブカルについて考えるとき

サブカルについて考えるとき、サレンダー橋本先生の傑作「初対面のサブカルの知識の探り合い」を思い出す。

この漫画の冒頭に掲げられた「ポップであるくらいなら俺は死ぬ」には衝撃を受けた。

なんせ私は文学少年で、中原中也がどうとかガブリエル・ガルシア=マルケスがどうとか言ってた人なので、およそ自分は非ポップと思っていた。

しかし、普通に生きて普通に過ごしてたら、Perfumeだの相対性理論だの中島らもだの作中のサブカルの人と同じ領域を好きな「くそポップな人」になっていた。

そりゃもう、言い当てられたみたいで恥ずかしいですよね、ツライ。

さて、TVOD「ポスト・サブカル焼け跡派」を読みました。

矢沢永吉から始まり、坂本龍一ビートたけし戸川純フリッパーズ・ギター電気グルーヴ椎名林檎星野源秋元康など「時代を変え、時代に変えられた」15人(組)を年代に分けて語る本書。サブカルを自認するならば必読書ですね、という感がある。

政治の季節から消費社会、そして精神世界、さらにセカイ系からゲーム的リアリズムへ。

言葉は借り物だから、本書の言葉もありとあらゆる引用や無意識の影響のもとにある。しかし、それをこうして一冊の本にまとめ人に提示したとき、私たちは自分の経験に照らして新しく語り始めたりする。

だからやっぱり、みんなにも読んでみてほしい。

彼らの現状認識である「誰もがキャラクター化し、脊髄反射的いっちょ噛みをやってる焦土化した社会」というのは、まったくそうだと思う。今もSNSでドシドシ可視化されている。騒がしくタイムラインは流れてゆく。誰もがご意見番の時代って誰が言ってたっけ。「うざいTL抜けだしてさ」なんて、一昔前なら「つまんねえパーティ抜け出して」だったはずなのにね。

冒頭の漫画のラストシーンは歳をとった二人が、未だマウントを取り合う様子である。マウント取り合わずに「それきになるなー、今度見てみるわ」と言い合える関係ならいいのにと思いつつ、TVODの二人も漫画の二人も、好きなものを語り合う友達がいて羨ましい。

と思ったら私にも数人、好きなものについて話す友人がいた。

そうやってくそポップに私(たち)は生きて、いつか死ぬ。それまでにちょっとは世界を良くしておきたい。カケラほどで、すぐに消える行為だったとしても。