Nu blog

いつも考えていること

息苦しさ

大相撲五月場所が中止になった。その判断は分かる。しかしつらい。前に中止になった二〇一一年には東日本大震災があった。因果関係など本来ない。しかし、力士たちの四股による地鎮がなかったからではないかと、私は迷信してしまう。だから新型コロナウイルスも、四股により鎮めるべき(つまり本場所をやるべき)と、強くそう思っていた。感染者の広がり云々など関係なく。三月場所のように無観客で良いから、テレビ放送すればいいから。そう思っていたから、つらい。

判断は分かる。今開催すれば、世間の批判は厳しいだろう。どうせ見もしない人たちが騒ぐのは目に見えている。たしかに、私が相撲を特別視するから開催を望んでいるわけで、他のスポーツはどうなんだ、という話もある。そして十五日間、親方も力士も負担を強いられる。だから中止。分かる。

けれど相撲は特別だと私は思っているので開催してほしい。めちゃくちゃなことを言っているし、もはや理屈はない。信仰である。相撲は、力士たちの四股は特別である。他のスポーツにはない意味合い、強い力、希望がある。理解し難いことを言っているのはわかっている。理解してもらおうとしていない節がある。はは。

ここまで書いていたら、角界新型コロナウイルスによる死者が一名出た。基礎疾患を持っていたそうだ。残念だ。しかし相撲協会や部屋の親方が悪いわけではない。対策も対応もしてきている。相撲を見ない「相撲協会=悪」と決めつけている人らがくだらないことを言うんだろうと思うと腹立たしい…。

 

ゴールデンウィークには、ミュージシャンや映画関係者らによるさまざまな取り組みが行われた。YouTubeInstagramを使ったライブ配信、リモートだけで作った映画。ゴールデンウィーク後も継続していろいろ行われている。いくつか拝見しました。素晴らしいと思いました。しかし、家にいようと呼びかけられるたび、喉にリンゴ一個まるまる詰められたような息苦しさを感じる。

一方で祝日に、大人数が河原でバーベキューをしていたとテレビが取り上げた。私の近所でも、ある居酒屋がオープンテラスにしてご近所の方か常連さんが親戚らかと楽しくパーティーを開いていた。SNSではかなり責められていた。何考えてるんだ、このアホは、と。しかし僕は責める気にならない。いや、責める権利もない。自粛は自粛だから、自粛しない人もいる。当然だし、何の問題もないからだ。そしてそもそも彼らの行動は、私と何の関係もない。例えばそこに参加していた五十人が全員感染して、東京都内に散らばって、回り回って私が感染するかもしれない。でも、それで?

むしろ自粛したいのにできない人のことを思う。つまり経済的な理由あるいは使命感などから、リスクの高い中働かないといけない人がいる。原発自衛隊のことが頭をよぎる。

使命感から、私がやらなきゃ誰がやる、と思ってやってくれている人がいる。でもそれも一つのただの仕事だ。やめたければやめていい。1人がやめて崩壊するような仕組みなら、早晩崩壊するのだからいいじゃないか。アインシュタイン相対性理論を発見しなくてもいずれ誰かがその理論を導き出していた。相対性理論が見つからない社会なら、そういう社会でいいじゃない。ただし、政府は使命感で働いてくれている人へのリスペクトや最大限の支援を惜しんじゃだめだ。だって崩壊しちゃうんだから。政府は崩壊してほしくないんだったら惜しみなく支援しなくちゃならない。今の政府は崩壊を望んでいる破滅主義者かただのアホこと楽観主義者にしか見えない。ダサい。

 

使命感から働いてくれている人のことはそうなのだけど、経済的な理由で働いている人はつらい。飯が食えないのは困る。働かざるを得ない。リスクの高い現場なのに、たとえばコンビニやスーパーがそれに見合う報酬を与えてくれているかと言われるとそうでもない。一時金や手当などは出されているけど、納得いくかどうか。そういう人のことを思うと、やっぱり僕は河原でバーベキューをする気にはならない。

あるいは外山恒一のように、政府批判の意図で居酒屋を練り歩くのはどうか。上述の思いもあり、自分自身でやる気は起きないが、とてもいい試みだと思う。得られる結果は同じだから、河原でバーベキューするのも政治的な試みなのかもしれないけど。

 

朝日新聞の声欄で、「どうしたらいいのかはっきり示してほしい、指示してほしい」という声が多いけどほんとにそれでいいのか、考えることを放棄してないか、というようなものがあった。そして医療人類学者の磯野真穂氏も「市民が国家に指導を求めることの違和感」「感染拡大の阻止を錦の御旗に、以前から社会秩序を乱すとみなされている人々を『危険な人や集団』と名指し、排除を生み出している」といった指摘があった。

ウヨクもサヨクも自称リベラルも自称保守も、混乱しているのかなんなのか、したり顔で「政府のリーダーシップ」だの「自粛要請は日本語としておかしい」だの「満員電車で感染しないなんてありえない」だの言っている。政府が指導しないとダメだ! と声高に叫ぶ。私権の制限もやむを得ない! と暗に陽に主張する。不思議だ。そうした謎のしたり顔へのアンチテーゼとして、あえて行政に指導させようとしているから、外山恒一氏の行動はクリティカルに悪趣味だ。

 

私は私の意思で外に出ない。THE•自粛。

とはいえ、いろんな人がいろんなことを言い、やっている。そして会社に行かないといけない日は行かないといけない。

「私の意思」というのが揺らぐ。

まあ、それも、面白い。

 

布マスクも届いた。ちゃっちい代物だ。小さな黒い繊維が絡まっていた。気持ち悪くて使えない。政治が金を持っているのはよくわかった。くだらないことにばかり使うのもよくわかった。

政治はもっと力を失ってほしい。自粛すら要請できないほどに力を失ってほしい。ただ医療、福祉、教育、通信、交通、エネルギーといったインフラ機能に金を分配するただの装置と化してほしい。 なにも指導するな。なにも言うな。私たちは私たち同士でアドバイスし合おう。

ねえ、全体のビジョンなど要るのだろうか?

 

あーあ。

こんなに、空が、晴れて、いるのに。