水曜と金曜に記事を上げるようにしてから、一年が経った。単純に百本書いたということだ。
短いものでは数百字だが、ラグビーW杯については一万字超えで書いてしまったし、原稿用紙にすれば二、三百枚というところか。
四月から大学に通い始めて、二千字程度のレポートを二、三十書いたし、もちろん仕事でもメールやら資料やら文字ばっかり書いたので、この一年はやたらにキーボードを叩いた感がある。
今年の途中から仕事で使うPCが代わり、キーボードの質も変わった。
先代はストロークの浅いタイプで(打ち方にもよるが)、打鍵音が小さかったのだが、現在使用しているキーボードは深めになり、カチャカシャ音を立てる。
これが気に食わない…。
ストロークなどとしたり顔で記載したが、パソコンの変更時に違和感を覚え色々調べて覚えた言葉である。その言葉を知る前は「キーが粒立っている」などと表現していたのだが、ストロークの浅い深いの方がわかりよいだろう。
私は、浅いのが好きなのだ。キーがベタッとしている、とでも言い換えようか。iPadなどタブレットにくっつけるキーボードのようなイメージ。それは一般にアイソレーション・キーボードと言われるものらしい。
近くにかなり音を立てて打鍵する人がいる。何事かという勢いで打っている。音を立てて打つことに快感を覚えている節がある。
あの音で打鍵のスピードは如何なものか。一度測定してみたいが、なかなか容易に言い出せるものではない。
とにかくボタンをたくさん押す人生だ。人類史上、かようにスイッチを押していることはないだろう。
オールブラックスはSNSのやりすぎで負けた、という論があるらしい。決勝に進出した南アフリカとイングランドのSNSに比べ大会中の発信が多かったために起きた批判である。その論によれば、SNSをすると常に判断を求められるため、脳が疲労するらしい。選手の気づかぬところで疲労がたまり、敗北につながった、というわけだ。まあ、何か理由を求めたから起きた批判である。
とはいえ、わからんでもない。SNSを続けていると、体を動かしていないのに、とんでもなく疲れていることがある。テレビを見ているのとは別の疲労だ。
受動的でありながら判断を求められる続ける構造があるからだろう。脳が休めない、などとよく表現されるが全くその通りだ。時には風呂やサウナで脳を休めましょう。ヨガでもマインドフルネスでもいいけれど。
こうやってスマートフォンの画面を撫ぜる行為も、人類史上ない動きであろう。
最先端のお猿さんたちこと私たちのこれからに期待である。