Nu blog

いつも考えていること

スーツ

スーツを仕立てた。

私は元来服を買うのが苦手だ。

スーツを買った経験は数えるほどしかない。いや、なんならここで書いてしまえるほどだ。

リクルート時、入社後すぐ、入社四年目、二年前、そして今回。この五回きりである。

リクルート時と入社後すぐはグリーンレーベルで買った。リクルートのは黒に薄めのストライプの入ったもの。入社後すぐは確か紺の無地だったように思う。しばらくはその二着を着まわしてた記憶である。

入社四年目は西武百貨店の二着三万円だかなんだかのセールで。販売員に相談して紺の薄めのストライプのスリーピースとあんまり覚えてないグレーの無地を買った。

二年前はグリーンレーベルで一目惚れしたグレーのスリーピースである。

なんというか、行き当たりばったりに足りないから買うを繰り返してきた。

その上サイズが変わらないから、一着目のスーツをまだ着ていたりする。

途中いくつかのものは裾や袖が破れて捨てた。今残っているのは二年前のグレーのスリーピースと一着目の黒のスーツ。一着目のスーツはこれまであまり着てこなかったので今も生きている。最初と最後、二着のスーツでやり過ごしているのだから、心もとない。

 

なので、ちょいと奮発してイージーオーダーをしてみた。

生地選びからボタンやらなんやら、二時間ばかしかかった。疲れたが達成感があった。地は黒でストライプが茶のものと、紺の二着。

 

注文してから一ヶ月弱。その間、上記二着を交互に取っ替え引っ替えやって、先日ついに出来上がった。

出来上がったものに袖を通すと、サイズ感はばっちりだった。似合っているのかどうかは、わからない。とりあえず着心地は良いように思う。

ネクタイ選びもついでにやった。これが存外難しい。何を選べば良いんだか…。

こういうあたりが服を買うのが苦手なところで、鏡の中の自分を見ても似合っているのか、好きなのか、買うのか買わないのか、うまく判断できないのだ。

本なら一行目で好きか嫌いかわかるのだけれど…。

昔、母に「いっぱい買っていっぱい失敗すれば、そのうち好きな服を選べるようになる」と言われたけれど、ちょっとずつ買ってちょっとずつ失敗しているので、未だダメです。

 

そんなわけで『リクルートスーツの社会史』を読むことにした。こういう内弁慶的な態度がなおさら服を買うことへのハードルを上げているような気もするが、まあいいじゃないですか。

リクルートスーツの社会史』によれば、スーツ=背広は明治以降、洋服が序列化された結果、現在は会社員の作業着として認識されるにいたったそうだ。

明治の頃は燕尾服を頂点に、フロックコートモーニングコート、タキシードの順に公的な場に相応しいものとされ、背広は平服扱いだった。それが、終戦直後、東久邇宮首相が議会で背広着で現れ、また時の皇太子も背広姿を見せるなど、背広のポジションが高くなる。「大人の服装としての背広」の誕生である。その頃、就職活動に用いられたのは学生服だった。

1960年頃から徐々に現在のリクルートスーツの要素が現れるが、まだ学生服姿も少なくない。島耕作が学生服姿で就職活動をしていたのは皆さんもご存知だろう(そうでもないか)。

1970年代にかけて「ドブネズミ・ルック」という言葉が流布する。サラリーマンの着古したスーツを指した花森安治の言葉であるが、本人の意図とは異なる形で流布し、チャコールグレーのスーツがダサいことになってしまう。リクルートスーツにおいても、チャコールグレーは遠ざけられ、紺色が一般化していくことになる。

その後もダブルのスーツは学生らしくないとか、柄のないものの方がフレッシュだとか、茶はカジュアルだとか、様々な言説が若者の服装を定義していく。また、それまでは財政状況上、しばらくの間一着しか着られない、着た切り雀だった若者も、平気で何着かスーツを揃えられる時代へと変化する。

それだけでなく、就職活動は夏場にシフトしていく。この結果、スーツの序列はさらに細分化され、それまで定番あった三つ揃いが避けられるようになる。結果として、三つ揃いは「大人らしさ」を表すものと捉えられるようになる。

そして2000年代に入り、いつのまにか黒が主流となる。冠婚葬祭でも使える、という触れ込みが就活のスタンダードは黒という常識は変化していく。

女性のリクルートファッションの変遷も、たとえばパンプスやスカート丈、パンツの是非など、大変興味深いのでご一読いただきたい。 

 

現在、職場にもよるだろうが、スリーピースはあまり一般的ではないだろう。また、ダブルのスーツもほぼ見ない。着ていると洒落者か変わり者か、奇異の目で見られる。吊るしの安売りが一般的である一方で、今回私が利用したようなイージーオーダーも流行りだと言う。一方で通年ノーネクタイ、ノージャケットの会社もある。

多様化する社会の中で、就活生、リクルートスーツだけが固定化され、ここ数年変化がない。

いくら企業の広告部門がパンテーンに賛同しても、「標準」でない髪型・服装で落ちたならば、それが原因だと思ってしまうから、学生側は「標準」で勝負したくなる。

きっと企業の面接官は、外見だけで落とすことはない。ただ、外見が標準でないなら、その理由をある程度求めるし、それに答えられなかったら、がっかりする。

がっかりして落とした時、その理由は告げられないから、学生はあたかも外見で落とされたと思う。結果として、「標準」の外見が最適だと判断してしまう。

つまり、「実力」を見てほしいから、外見は「標準」にしたい。学生もなかなかワガママなのであるが、それもこれも就活という企業側の不明瞭な基準に沿ってなさられるブラックボックス的な仕組みが生み出したものであるからしょうがない。

いまさらリクルートスーツの若者たちを見て、変だともなんだとも思わない。企業も学生も、海外のようにインターン経験を通じてキャリア形成したり、ジョブ・ディスクリプションが明確な仕事を用意できるわけがないのである。

 

いずれにせよ、ビジネスバッグがリュックサックの人は電車の中では前に抱えておいてほしいし、肩掛けのカバンの紐が長いとどことなく頭が悪そうに見える、ということをお伝えして本稿を閉じたい。

 

と思っていたが、先日、同僚に「スーツの生地っちゅうのはね…」「ぼくのはスーパー100言うてね…」などとうんちくを垂らし、「君のスーツ羽織らしてみ」と袖を通したらあからさまに良い生地の感触…。ラベルを見たらスーパー120だった。うんちく知らんだけで、私より良いものを着ていたのである。南無三。