冬、室内に暖かい日差しが射し込んでいるのを見ると、ロートレアモン伯爵の『マルドロールの歌』を読んだ時のことを思い出す。
なぜ、その本を手に取ったのか。家の本棚に残した本は、たいてい思い入れがあるので、本を手に取った時のシチュエーションを思い出せる。
『マルドロールの歌』はその中の一つで、中学三年生の冬、部活は終わり、受験もなく、何もやることのない日々だった。私は西宮北口のジュンク堂に寄って、毎日長時間本を物色し、立読みしていた。いずれは詩人か小説家として本を出して、アホなエッセイを書いて暮らしたいと思っていた。お気楽な子供であった。いつも文庫本の背中を眺めていて、ハードカバーは怖いから、そっちには目もくれなかった。
『マルドロールの歌』は集英社文庫から出版されていた。まだ背中がカラフルになる前の集英社文庫。クラシカルな文庫本の雰囲気が好きだった。カラフルで、ポップな背中になってからは、あまり好きじゃない。表紙も俳優やアイドルを使ったり、はっきり言ってバカげていると思う。
どうせだから、文庫本の背中の話をすれば、やっぱり90年代の河出文庫が最もかっこいい。白と紺で、気品を湛えつつ、同時に曲者の雰囲気を醸し出し、そしてポップな作品が多数収録されていた。00年代に入ってからの、黄色い背中も嫌いじゃない。
新潮文庫はずっと良い。ボロボロになりやすい紙質で、ボロボロになっておれば、なっておるほど格が高い。岩波文庫も同様に。
そして中公文庫はダサい。でもそのダサさが良い。
はてさて、それで集英社文庫から出されていた『マルドロールの歌』を私は手に取った。なんで手に取ったのか。すっと私の手に入ってきたとしか言えない。
ちょうど中島らもを読んでシュルレアリスムに興味を抱いていた時期だが、まだシュルレアリスム宣言も読んでおらず、ロートレアモン伯爵の存在は知らなかった。どこかで見たことがあるというようなものではない、本の背中による引き合わせだった。
ある晴れた冬の日、健康的に日差しを浴びながら私はそれを読んだ。飼い犬の体温を感じながら、何かが欠けている「人間」の寂しさを感じながら。
何人かに薦めたこともあったが、誰も面白いとは言わなかった。きっと最後まで読めた人もいなかっただろう。最後まで読めたらえらいわけじゃない。ただ、この毒気に当たったか当たってないかの差だ。こんな毒に当たるほど、現代に生きる人々はヤワじゃない、と今になれば思う。もし面白かったという人がいても、一体何を共有できただろうか。
卒業式の写真を見れば、私の最後の幼い笑顔がまだあるだろう。