図書館で意気揚々と本を借りたら、一度読んだことのある本だった。
まったく気がつかなかった。本の背中を見て気になって、書架から取り出して最初の数ページを立ち読んだ時、「おもしろそうだな」なんて思ったくらいだ。
家に帰って読んでみたら、既視感既視感。登場人物の名前に思い当たる節しかない。
けれど、どんなあらすじだったか覚えていない。
仕方がないので読み直そうかと思うが、ぱらぱらと何ページが繰っているうちに思い出す。
ガブリエル・ガルシア・マルケスの『百年の孤独』や谷崎潤一郎の『細雪』、大西巨人の『神聖喜劇』などは、何度読んで、知っている表現、筋であっても、読むたびに新鮮かつ爽やかな気持ちで感動する。
古典文学で言えばそういうものが挙げられるが、加藤ハイネのブログも何度も読み返して、いつも新鮮に爆笑する。
ここ二年更新がなくて心配だ。
思えば日々というのもほぼ同じ粗筋を辿るもので、私たちは自分の日常を何度も読み返しているようなものだ。微細な変化を楽しめるほど私たちの脳はマメじゃない。なるべく、大枠では同じ日々だと認識できるように、常に省エネしているのが実際だ。
だから、スマホを見ながら歩いても、普段の道なら電柱にぶつかったりはしないし、「駅に行くぞ」と気合を入れてなくても駅まで足が勝手に動く。
知らない土地で目的地に向かうには、昔なら地図を手に持ち、あるいは人に聞き、今ならスマホの地図アプリとにらめっこし、ああでもないこうでもないと歩を進める。この店は何だろうとか、緑が多いなとか、汚いガードレールだなとか思いながら。
明日も(ほぼ)同じ一日がやってくる。
イレギュラーなことのない一日を、恵まれた一個人として願う。