Nu blog

いつも考えていること

コートールド美術館展他

コートールド美術館展

コートールドとは人の名前である。イギリスで印象派を集めたという少し変わったお人である。なんせイギリスは保守的だから、印象派の評価は当初まったく低いままであった。印象派アメリカでブレイクした新時代の美術なのである。そんなイギリスで印象派を集めるなんて、だいぶん変わったお方ではないか。

しかしコートールドさんの目は確かで、目玉作品である「フォリー・ベルジェールのバー」はもとより、モネ、マネ、ドガルノワールセザンヌゴッホ、スーラ、ゴーギャンらの秀作揃いである。

気に入りの作品をいくつか挙げれば、ピサロの「ロードシップ・レーン駅、ダリッジ」。これは良い。道、線路、丘。ピサロの地味さとマッチして、ほのぼのする。曇り空も良い。曇り空になると、なんだか寂しいとか暗いとかネガティブな絵になりがちだが、そういう余計な感情がない。ただの日常。なにもない。それって当たり前だよね。スーラ「クールブヴォワの橋」。点描である。静まり返った川原。画家の目に見えた世界。煙がたなびく。近づけばただの点の重なり。離れて見れば浮かび上がる風景。しかし近づいてみた点の重なりこそ、美しかったりする。セザンヌ「カード遊びをする人々」。教科書にも乗る有名な絵であるが、実は五点あるらしい。知らなかった。少し傾いて描かれる机。なにを話すでもない二人の男。セザンヌはなにを思って描いたのか。私たちはなにを思ってこの絵を見るのか。いろいろな思いが去来する絵である。

そんな数多飾られた印象派をくぐり抜け、結果としてルソーがカッコいい。やっぱりね、ルソーですよ。「税関」。最高。ちなみにコートールドさんが買ったルソー作品はこの一点だけらしい。変な門扉、変な門番、夢か現実か、何が何だかわからない感じ。しかし、私はこの景色を知っているのではないか? とか意味不明なことも思っちゃう。理屈を抜きにすれば、かわいい。色味も、そうしたモチーフも。

さて、帰りに隣の駅、鶯谷の萩の湯へ。広くて清潔。そして完璧な導線が引かれていた。至高の銭湯ですね。

 

別の日。

岸田劉生展。日曜美術館会田誠が「岸田劉生は意識が高い」と評し、それはつまり絵画の歴史をきちんと辿って自分のものにしようとしたからだ、と言っていた。ほほう、と思った。つまり夏目漱石は文明開化を「皮相上滑りのもの」と喝破したわけだが、岸田劉生は外光派が絵画の歴史をすっ飛ばして、印象派のテクニックのみを輸入したことを批判し、北方ルネサンスなどへ回帰したわけである。

岸田劉生と言えば、どうしても麗子像の印象が強くて、これといった他の作品を思い浮かべられないし、何をしようとしたのかもその短い人生のため、取りざたされることが少ない。しかし、この展覧会のように改めてその画業をまとめてもらうと鮮やかにその仕事の意義が浮き彫りにされる。素晴らしいキュレーションである。

妻を聖人像のように描いた作品や、数多の肖像画、そして土、土、土。銀座生まれのシティボーイながら、とにかく土を描く。生命そのものとしての土、存在の基盤としての土。

病気のため外に出られなくなったら、次は瓶とリンゴを描きまくる。これが面白い。同美術館で観たモランディを想起させる。彼もまた「存在すること」を突き詰めた。存在することを見つめる。存在することを忘れない。

麗子や近所に住む少女のお松、そして甥っ子など子供を描いた一連の作品も良い。愛情たっぷりである。今までいなかった一人の人間、一つの生命が、まるでずっと昔からいるような顔してそこにいる。子供というのはそういう不思議さを身にまとっている。ちなみに、洋装の麗子は初めて見た気がする。

そして東洋の美に目覚める劉生だが、京都に移住した際、酒とお茶屋遊びにハマって画業がストップ。さらに蒐集にも凝り出すなどそれまでの真面目な画家生活が何処へやら。金銭的にもどん詰まりで、満州・大連へ滞在した後、帰国後三十八歳で亡くなることに。

こういう略歴の画家は長生きして、還暦越えからまた新たな境地に達するものだと思うから惜しいものである。