Nu blog

いつも考えていること

ビブリオマニアでない私

本を読むのが好きなわけではなかったんだな、と最近よく思う。

ビブリオマニアという言葉があって、本に囲まれて生活していたい、稀少な本を手に入れたい、というような「モノとしての本」好きを指すが、これにも当たらんなとひしひし思う。

情報源の一つ、というか初めに思いつく情報源が本だから仕方がなく本を読むのであって、定期的に本を手に取るものだからどうしたって素敵な本に出会い、大事なもの思い出のものは捨てられなく、手持ちの本が増えた。

なので、希少本の類は持っていない。せいぜい昭和四十三年二十二刷、岩波書店発刊の内藤濯版『星の王子さま』くらいではないか。大型本で六〇〇円である。

これも祖父、母から譲り受けた大切な本だから大切なんであって、希少本云々ではない。しかし火事でもあったらまずこの本を救出するだろうと思う。

そして文庫本がやたらに多い。これはもう、学生の私も気軽に買える値段であったから、というそれだけである。畏れ多くもハードカバーを買うことなどできなかった。二、三万円の服や靴を買うのと同じくらい、二千円、三千円一冊には覚悟が要り、そう悩んでいるうちに立ち読んで満足しちゃったりする。すいません。

だからまあ本に囲まれたいとか、積ん読とか、あまりそういう願望はない。

くわえて、本を読んでる、活字に触れている時間が幸福だ、ということもない。

知りたいことが書いていそうな新書や学術書を読み進めるのは苦痛ではないが、大した喜びもない。ただの調べ物である。

小説を読むのは恐ろしい。たいてい一行目で「これはヤバイやつだ」ということを直感する。直感のほとんどは当たる。ヤバイ小説は「わー」とか「きゃー」とか言いながら読む。楽しそうに見えるだろうが、どちらかというと打ちのめされてるのである。

哲学書や詩も同じで、面白いことはあっても楽しいことはない。「ぎゃー」とか「わー」とか「もう嫌だー」とか言いながら読む。負けてるんである。

最近青空文庫夏目漱石の講演や太宰治の短編を読んでいる。言葉が面白いのか、人間が面白いのか。ずっと前から私は何にもよくわかってない。