Nu blog

いつも考えていること

「腐女子、うっかりゲイに告る」

トクサツガガガ」に続き、NHKがまたいいドラマを作った。
腐女子、うっかりゲイに告る」である。
 
ひよっこ」で豊子を演じた藤野涼子がBL好きの腐女子を、そしてその腐女子が恋する同級生を金子大地が演じる。
タイトルがミスリードを誘発しているのだが、主人公は腐女子ではない。彼女の恋する同級生が主人公である。彼は腐女子に告白されてしまうのだが、ゲイで年の離れた男性と付き合っている。葛藤、悩み、欲望、そんなさまざまな感情から、ゲイであること、付き合っている男性がいることを隠し、腐女子と付き合い始める。
 
タイトルがほんとミスリード誘発しまくりである。腐女子目線の、コミカルでできればポジティブな内容を期待したのだが、物語はゲイ目線、かつ当然のことながらその生きづらさがテーマとなっており、かなり辛い物語であった。
原作は「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」だ。原作も読んだ。もちろんタイトルは原作が正しい。ドラマはキャッチーに寄りすぎた。でも、まあ、そのおかげで私は釣られた。
 
印象的だったのは、2話。
純君(主人公のこと)は、気軽に股間を触ってくるタイプの親友の亮平(人との距離が近いタイプの人)に対して、以下のようなことを思う。
「ぼくは亮平と付き合いたいと思ったことはない。だけど、良平とセックスしたいと思ったことは何度もある。この感覚を異性愛者は絶対にわかってくれない」
絶望、諦念、自嘲、そんないろんなものが混じった感情である。しかし、実際は異性愛者にも同じ感覚がある。直截的に言えば「あの人と付き合いたいとは思わないけど、セックスしてみたいなー」という漠然とした感情を抱かない異性愛者がいるだろうか。特に男性で。
この感覚を正しく表していたのは、山崎ナオコーラで、『カツラ美容室別室』において主人公は付き合わなかった(付き合えなかった)女性に対し、「一回くらいセックスしてみたかったな」と考えるシーンがある。
などというと、「私が」そう思っていることになり、たとえば会社の上司、部下、同僚の女性、これまで接してきた女性すべてに対して、誰彼構わず欲情していると捉えられそうだが、それこそが浅薄な思い込みだ。そんなわけない。
にもかかわらず、その浅薄な思い込みを、異性愛者は同性愛者に対して平気でやってしまう。
 
その後、腐女子からの告白に対して心の中で「欲しい」と連呼する。
「男に抱かれて悦びたい」
「女を抱いて子を生したい」
欲望が溢れる。
はて、これは同性愛者だからの欲望なのか?
 少し角度を変えれば、異性愛者だろうが同じような身勝手な欲望を持っていたりする。「幸せな家庭が欲しい(自分は家事育児などはしたくない)」とか、そんなようなこと、表面化されない身勝手な欲望を、誰でも持っている。
それゆえに、相手の思いに応えてあげることの傲慢さ、自分勝手に相手を利用することの恐ろしさが、ドラマを通じて私たちに突きつけられる。背中に刃物を突きつけられるがごとく。
身に覚えがある、と言わざるを得ない。身に覚えがないとは誰にも言わせたくない、そんな共犯者的な気持ちにならないか。
 
つづく3話目、4話目で描かれた二人のデートの様子は、大変きらきらした時間が流れていて、腐女子側の気持ちになってつらかった。
利用されている、騙されている、と表現することができるかもしれない。しかし、そこに至る過程を私たちは知っているから、何も言えない。ただ
悲しい。
 
合間合間に挟まれる、母親や同級生からの数限りない「小さな偏見」が、指に刺さったトゲのように、喉に刺さった小骨のように、チクチクと苛立ち、痛みを与えてくる。
 
飛び降りの直前、先に紹介した亮平に対し「お前とセックスする夢見たことある」というと、亮平は「年上の教師とセックスする夢見たことがある、変態だろ?」と返す。原作では、その後小野くんが「おれはマジックミラー号が好きだ」と言うシーンがある。こと性に関して普通などありえない。今はそうでもいつか変わるかもしれない。それは努力とか、訓練ではない。今はマジックミラー号でも、いつかはまったく別の趣味になっていることがある。反対に、今ゲイでもいつか女を好きになるかと言われれば、そういうわけではない。
 
にしてもすっかり藤野涼子のファンである。すこし空気の読めない腐女子を好演していた。キラキラしていた。かわいかった。インスタグラム、フォローしちゃいましたよ、ほんと。