徴兵制に関する三浦瑠麗の理屈が私は好きだ。
軍人と市民が明確に二分されていると、市民が軍に対し戦争を求めるハードルが下がり、むしろ戦争が起きやすいのではないか。で、あれば、徴兵制を採用し、市民を当事者にしてしまおう、という理屈。
大変、腑に落ちる。
しかし、私の結論は真逆である。
軍人と市民の距離が離れているから戦争が起きるのではなく、軍人がいるから戦争というチョイスが生まれる。
で、あれば戦争放棄、軍という存在をまったくなくしてしまえばよいのではないか。
自衛隊ではなく、レスキュー隊にして、それに対して徴兵制(徴隊制?)をとる。
災害に対応できる人材を作ることの方が、よほど日本という島国国家には必要なことだろう。
三島由紀夫の「不道徳教育講座」では、「若者はナヨナヨすべし」と皮肉られていた。
つまり、若者がナヨナヨと、鍛えられない体となれば、政治家は若者の肉体を使って徴兵もできなくなる、ファッショ化や共産革命の心配もなく、「平和主義、戦争絶対反対の見地からは体位向上は顰蹙」「つつけばよろけるような奴ばかりになったら万世の泰平ここにあり、といえる」という皮肉である。
その皮肉を馬鹿正直に捉えてみるのはどうだろう。
成熟した国家として、自然災害に立ち向かう、ナヨナヨした国。
助け合う精神のよく発達した、成熟した社会だと思うが、いかがか。