二月末に足の小指を骨折した。
幸いショボい骨折だったので、一ヶ月弱添え木(シーネ)を当てて過ごしただけで済んだ。
折れてない左足は革靴、右足は素足に包帯、そしてサンダルという不思議な格好で過ごしたので、すれ違う人皆に声をかけられ、治った際にも声をかけられた。
風呂場で転けた、というあまりにも鈍臭い事故だったので、説明するのが恥ずかしかった。
添え木だと、お風呂に入るときは外せばいいから、生活上の不自由はあまりなかった。
十数年前に腕の骨を折った際は、ギプスを巻かれたので、風呂に入るのも大変だった。ギプスをビニール袋で覆って濡れないようにしたり、汗を掻くから中が痒かったり、まったく良い思い出がない。
その時はラグビーでの怪我だったので、人に言える怪我だったなあ、なんてどうでもいいこと。
しかし、出歩くのには不自由した。
足の小指を使わないように、親指やカカトだけで歩かないといけない。
歩きにくい。
小指を使わないだけで、こんなにバランスが崩れるのかと笑ってしまう。
歩くという動作一つに、無意識に大変な労力がかかっていることを身をもって知った(『どもる体』という本で、同様のことが書いていた。自分の身体はとても繊細に動いている。しかし、その動きを自分で感知・意識することはできない)。
電車を降りて、改札に行くまでに、すべての人に追い抜かれる。
周りを見ると老人や怪我人、ベビーカーを押した人たちなど。
先に行った人たちは、今頃改札を通り抜けているだろうと思うと、見える景色の差に愕然とする。
この間同じ道を通った時は…。
ゆっくりと、周囲にビクつきながら歩いた日々。
どこへ行くのも、普段より少し時間がかかる。冬の寒さに余計に当たらなくてはならないのが辛い。
とにかく愉快な気持ちになれない。
週に一度撮ったレントゲンを見ると、骨はどんどんくっつき、痛みも薄くなっていった。
治るから、我慢できた。
人は、治らないのに、我慢できるのだろうか。
どうなんだろうか。