ドラマ「トクサツガガガ」がおもしろかった。
朝ドラで不機嫌な娘を演じ、吉岡里帆と比較してどこか頼りない雰囲気をまとっていた小芝風花が、少し見ない間に素晴らしいコメディエンヌになっていた。
倉科カナや木南晴夏、寺田心、カミナリのマナブくんなどもハマっていて、大変楽しんだ。
特撮オタクのOL、しかし周囲にはオタク趣味を隠している主人公・中村叶。
彼女は、女の子が特撮にはまることを良しとしない母親に怯え、その嗜好を隠し生きているのである。
そのほかの登場人物らも、年齢を気にし特撮オタクを卒業しようと考えていた吉田さんや、かつての職場でドルオタであることをからかわれたことから趣味を隠すようになった北代さん、大柄で強面なため女児向けアニメが好きであるもそれを恥じている任侠さん、といったようにそれぞれに悩みを抱えている。
彼らと同じように、アニメやアイドルなど、オタクと称されがちな趣味を明らかにしていない人というのは少なくないんだろう。
自分の好きなものを好きと大声で言えない環境を、笑いによって跳ね除けようとしたこのドラマは、とても素敵だった。
と言いつつ、不肖私は趣味を隠さない人生を生きてきた。
相撲が好き、サウナが好き、美術が好き、ラグビーが好き…。なんでもかんでも口に出してしまう。
特撮やアイドル好きの女性だと「あの人、若い男の子が好きなんだね」と周囲に偏見を持たれるかもしれないが(男性のアニメ好きが犯罪者扱いされるような偏見とか)、自分の趣味は比較的そういった実害のない趣味だからかもしれない(せいぜい、相撲とサウナを結びつけて、裸の男が好きなのかと言われる程度)。
加えて、自分は自分をオタクと思っていない点も異なるだろう。
私にとってそれらは「オタク」という「趣味」的なものではなく、生き方、人生そのものなのです、という譲れない気持ちがある。
と書いてみて思った。
よくわかってないのだが、「オタク」ってなんなのか?
みうらじゅんから「ロックはジャンルではなく、生き方だ」と教わったが、もしかしてオタクも生き方なのではないか。
トクサツガガガの主人公が残業を強いられた際に、残業よりも大事なことがあるとして、
「ショッピングしたり(カプセルトイ)、スイーツ食べたり(食玩)、お芝居を見たり(ヒーローショー)、インテリアに凝ったり(フィギュア)、そういうことのために働いてる」
と演説するシーンがあった。
特定のものに対する情熱を深めることで、その特定のもの・ジャンルを通じて、新しい興味や知識につながっていく。
特定のジャンル・ものを超えて、世界が広がっていく。
とすれば、それは「生き方」「愛し方」なのだろう。
しかし、一方で東浩紀言うところの「タコツボ化」してしまうと、没コミュニケーション、世界へのまなざしが閉ざされてしまうこともある。
ジャンル外への興味・関心を閉ざしてしまえば、蔑視されてしまう「オタク」になってしまう。
いかにジャンルを超えてみせるか。いかに「それ」と生きていくか。
「それ」の豊かさを、人生をかけて証明することこそ、フアンの使命なのではないだろうか。
であれば、オタクだろうがなんだろうが、呼称の問題に過ぎないから、誰かにオタクと言われても差し支えないし、誰かがオタクを自称しているのも何の問題でもない。
大切なのは、「それ」に対するアティチュードである。
さて、ドラマは母親に趣味を否定され親子の縁を切ることになったり(最終回で修復を兆しを見せたのは正直言って不満であるが)、「好きな気持ちは誰にも奪えない」などの印象的なセリフがあったり、全六話があっという間だった。
エマージェイソンもジュウショウワンも、一年間通して見た気になるくらい、丁寧に描かれていた。
続編やスピンオフを期待したい。特にミヤビさんのこととか。