物欲のない子供だったので、お年玉をもらっても、言われる前に母親に渡していた私である。
いきなり三千円とか五千円とか大金もらっても、何に使えばいいのか思いつかなかった。
その感覚が抜けず、あれがほしい、これがほしいのないまま、大学を卒業するまで過ごしたように思う。
小学生の頃は、小学生新聞を熟読し、落書き帳に下手くそな漫画を描き、飼い犬と戯れ、ゲームボーイカラーでポケモンと牧場物語をやりこみ、土日はラグビーをしていればオールライトな子供だった。
中学生の時はラグビー漬けかつ中原中也を読む生活で、高校・大学生の頃でさえ、ファッションに興味なく、ギターがほしいとかいうのもなく、本屋にばかり入り浸っていた。
見聞が狭くて、新しいものを知らず、欲しいものが思いつかなかったんである。
などと思い出したのは、十年使っていない休眠預金の権利が消滅すると聞いたからだ。
その昔、私があまりにもお年玉を使わないものだから、父が通帳を作ってくれた。
河童のキャラクターが描かれた通帳を覚えているが、今はどこにあるだろう。まごうことなき休眠預金である。
当初いくらか預け入れたのだが、私は現金を手元に持っておきたい派だったため、多分全部下ろしたはずだ。
しかし、覚えていないのでわからない。もしかすると、いくらか預けていて国庫に入るのかもしれない。多分大した額ではないだろうが。
母親から昼ごはん代に毎日五百円玉をもらう。
パン二個とかで昼を済ませて余った分は次の日に回し、次の日にもらう五百円玉を貯金する。
たまに千円札をもらったら、絶対に使わない。パンを一個にしてもお札には手をつけない。
高校時代にそんなことをしていたら三年で十万円近く貯められた。
大量の千円札と500円玉を数えるのが好きだったが、その姿は絵に描いたような「守銭奴」であっただろう。
しかし、冒頭で述べたとおり、守銭奴ではなく、使い所がなかっただけなのである。
勤め始めてから、通帳の数字が増えることが楽しくて仕方がなかった。
使うよりも貯めるのが好きなのは相変わらずで、使うと不安になるのである。
毎日食堂でご飯を食べたりすると胃が痛む。冷凍食品を買い込んで弁当に詰めた方が、たとえ粗食でも精神衛生に良いのだ。
当初はうなぎのぼりで増えていった貯金であるが、飲みに行ったり、趣味に使い始めてすっかり貯まらなくなった。減りもしないから、収支はトントンというところだろう。
お年玉も毎日集めていた五百円玉、千円札も消えた。
もしかすると、消えたと思っていただけで、いつかあの日々のお金が戻ってくるのでは…?
なんて夢みたいなことを考えてみたりする。