さんふらわあ号の客室は船の揺れを感じさせなかった。
眠れない私たち高校生三人組は、アーケードゲームのデモ画面を十五分近く眺めていた。
夏の日の夜のことである。
神戸から別府へ、私たちは客船さんふらわあ号で眠れぬ夜を過ごした。
「水曜どうでしょう」の影響もあって私たちは旅に出たくなったのだ。
どこへ?と言われると困る。行きたいところは特にない。運転免許も持ってない。それより何よりお金もない。
もっとも安く、どこかへ私たちを連れてってくれるもの。それがフェリーだった。
神戸から別府に渡り、大分から宮崎、鹿児島と二泊で縦断し、志布志から神戸に戻るという旅程。
フェリーの往復代は、学割が効いて確か一万円以内だったはずだ。
船に乗ってすぐに私たちは浴室へ向かった。
ひょろっとしたメガネ三人組。
「近眼であんまり見えてへんやろけど、実は俺、毎日筋トレしてるから結構筋肉あんねんぞ」とNは言うが、視力〇・一未満のMと私にはNの肉体美は見えなかった。
船内をウロウロして、デッキに出てみたり、カップヌードルを食べてみたりしたら、もう手持ち無沙汰。
いつのまにやら寝静まった船内で、全く眠くない私たち三人は、何をするでもなく、冒頭のとおりアーケードゲームのデモ画面を眺めていたのである。
「Insert 3 coins」という表示が点滅する。もう何度も同じことが繰り返されている。このまま船が沈んだら、なんだかしょうもない人生だったと笑ってしまうな、なんて思う。
それからの二泊、別府で熱すぎる風呂に入ったり、宮崎をほぼ素通りしかけて無闇に降りた駅に何もなく無人駅で一時間待ったり、鹿児島でウロウロしてたら志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所に迷い込んだりした(のちにトリビアの泉で有名になった)。
今となっては、わざわざ九州に行って勿体無い、とも思う。それも若さの特権だ、なんておっさん面してみたりもする。
しかしたしかにそうなのだ。五日かけて、船に乗り風呂に入り電車に乗って帰ってきただけ。
土地のものを食べたわけでもなく、名所にも行かず。大した贅沢。過去の自分が羨ましい。
MとNとは高校の卒業旅行で伊勢志摩にも行った。
この時はバイトして貯めたお金でちょっと良い宿に泊まり飯を食った。
酒を飲むでもないから仲居さんにバカにされて恥ずかしかった。飯を食ったらやることがなく、弱ったりした。
伊勢神宮の記憶はあまりないが志摩では事前に宿を取らず行き当たりばったりに歩いていたら人気がなくて怖かったのをよく覚えている。
そこらへんを歩いていたおっさんに話しかけて案内された宿で「てこね寿司」を食った。存外美味かった。
ボロボロの宿で、そのてこね寿司とまずい朝飯がついて五千円だった。宿の人が「もうスペイン人もビザが切れて帰ってしまっていないのよ」と言う。
というのも、スペイン村という遊園地があるのだ。「エスパーニャ、太陽と夢を求めて~」というCMで関西ではおなじみのところだ。
平日だったせいで、お客さんは三組くらいしかいなかった。店の大半は休んでたんじゃないだろうか。
本来よりも短い距離ではあったけれど、パレードが催された。
パレードは私たちのあたりで一旦立ち止まった。ダンサーに手招きされ、踊りに参加するよう促された。
その様子があまりにも寂しかったので、三人とも全員輪に参加して踊った。私はダリ(の扮装をしたスペイン人)と一緒に踊った。MとNはフラメンコの格好をした女性なんかと踊った。
全員踊ったものだから、写真が一枚も残っていない。
スペイン人に挟まれて、ゲラゲラ笑いながら踊る三人。写真があればなあと思う。
もちろん、記憶には鮮明に残っている。