中学高校と男子校だった、と言うと「かわいそうに」、ついで「どんな感じだったの」というお決まりの反応をもらう。
というか、その反応をもらうべく、こちら側もあえて名乗り出ている節がある。
もしかすると容姿の良い男性が言った場合「でも、モテたんでしょう?」みたいな反応なのかもしれない。
「6年間、女の子とは喋ったことがありませんッ!」てな気配を醸しているが故の「かわいそうに」なのかもしれない。
マア、気配ではなく、実際そうなのである。
中島らもという作家が好きで、この人は私の学校より学力が2倍くらい上の灘中、灘高卒なのだが、その灘も男子校であったため、「僕に踏まれた街と僕が踏まれた街」という名エッセイにおいて男子校にまつわるエピソードをいくつか綴っておられる。
厳しい校則に対する反抗やヒッピー、ゲバ棒もってのデモなど時代感じる描写も多いが、女性との交流のなさについては時代の代わりはないように思う。
たとえば校庭の砂場で女体を作ったり、修学旅行先でキャバレーに入ってから逃げたり、写真で見かけた友人のいとこに恋したり、とにかく女性というと食堂のおばちゃんと母親くらいしか話したことがないわけだ。
我が事のようである。
中島らもが逝去したのは2004年のことだった。
亡くなったニュースによって、初めて中島らもを知った。先のエッセイは名作で、読み終わるやいなや私は友人らにすぐそれらの本を貸した。
で、みんな腹を抱えて笑ったと言って返す。中には笑い転げた結果、コーヒーをひっくり返して本を汚した奴までいた。
そして私が薦めてもいない「ガダラの豚」だのなんだのを、私より先に読み始めるほど、周囲が中島らもにハマった。
そんなわけで中島らもの影響から、エッセイに書かれたように、闇鍋がしてみたい、ギターがしてみたい、髪の毛を伸ばそう、ジャズ喫茶でだべってみたい、タバコを吸ってみたい、酒を飲んでみたいなどと思い始めるわけである。
いろいろ真似しようとして、失敗した。
闇鍋に下駄を持ってくるというエピソードを真似しようにも下駄が手に入らず、ギターは弾けず、ジャズ喫茶は存在せず、タバコと酒は年齢確認が厳しくて買えなかった。唯一、髪の毛を伸ばし始めたら、アキバ系のお兄さんみたいで、全然ロックじゃなかった。
2000年代の、すべて対策済みの世界の中で、どう振る舞ったって反抗ではなく若気の至りに回収される。
もっとヒップホップやパンク界隈に進出すればよかったのかもしれないが、私たちは時代遅れなオールディーズなロック好きでしかなかった。
それで、どんどん怠惰になっていって、サイゼリヤでだべっている暇な人でしかなくなった。
その頃の友人らがどうしているかあまり知らない。10代の延長戦、怠惰を続けているのだろうか。仕事をしているようで、何にも身は入ってない。私のことである。