Nu blog

いつも考えていること

水連学校

今でも不思議に思っていることがある。

小学生の時である。

カナヅチだった私は、夏休みになると水練学校という、市で独自に行われている水泳教室に、強制的に通わされていた。六年間、ずっとである。

水練学校は、近くのN小学校のプールで開催されていた。

そこに通う生徒は当然のことながら皆N小学校の生徒であった。

しかし、私はわざわざ電車に乗って大学附属の小学校に行っていた。そのせいで最寄りの小学校であるN小には知り合いが誰一人い

なかった。

初日、母親に連れられてN小へ行く。自転車に乗って、行き方を教わる。

「この踏切を越えて、大きな道路を渡って真っ直ぐ行けば右手に正門が出てくるからね!」

確か結局小一の間は毎日母親に連れられた記憶がある。一人で行けるようになったのは、小三くらいだったと思う。

 


学校に着くと、兄がN小の生徒なので、母が顔見知りの先生に挨拶をしたりする(兄はカッパのように泳げるので、水練学校には行かず、家でスーパーファミコンなんかをしていた)(水練学校は泳げない生徒が行くものではなく、泳げる子はより泳げるように上級のクラスもあるのだが、兄は行かなかった)。

見知らぬ学校の見知らぬ先生、見知らぬ更衣室に見知らぬ子どもら。母親に連れられて来る見慣れぬ私。履いている海パンの種類も少し違っているから、みんなからじろじろ見られたりする。

始まる前も、休憩の時間も、話す相手のいない二週間。苦手な水泳をしに、孤独な思いをしに行くのだから、私は水練学校がずいぶん嫌いだった。

 


まずは水に顔をつけてみよう、それから浮く練習をしよう、なんて言われる。

「ダルマ」と呼ばれる、膝を抱えて丸くなって浮く練習を一夏、いや三夏ほど繰り返した。三年生の頃に一年生と一緒にダルマをしているのは恥ずかしかった。

初日に「君、このクラスなの!?」と見知らぬ先生に驚かれるのも嫌だった。そしてダルマが覚束ないのを見て、ホンマや…みたいな反応されるのもつらかった。

しかし、泳ごうにも泳げないのだから仕方がない。「ダルマ」の項目に「済」のハンコがいただけない。まるで教習所でいじめられる舘ひろしのようである。小学二年生の頃流行った映画「タイタニック」を見て、冷たい海とか関係なく、泳げないから死ぬなと思ったことを覚えている。

今となってはなぜ泳げなかったのかが思い出せない。今も大してうまく泳げるわけではないけれど。

小学校の六年間をかけて、私はようやく二十五メートル泳げるようになった。いや、なってないかもしれない。なったことにしている気がする。中学生に入ってから、身体の使い方が少し分かって、泳げている雰囲気は出せるようになった。まあ、苦手なことには変わりないが、大人になってからは泳ぐ機会もなくてありがたい。船にはあまり乗らないようにしている。

 


さて、小学二年生の時の話。

その水練学校初日の帰りに、私は母親とアイスクリームを食べた。

私はアイスが好きだった。夜中に「走るアイスクリーム屋さん」という、可愛らしいアイスクリーム屋さんが近所にやってくる。それをこよなく愛していた。

五百円玉を握りしめ、兄と買いに行く。兄は豪勢にトッピングなど頼み、上限いっぱい五百円を使い切るのだが、私はもしそんなことをして次回から買いに行ってはいけないなどと怒られるのが嫌だったので、いつもチョコミントを買ってそれで終いにした。

帰りに段差があるのだが、いつもそこでサンダルが脱げかけるので、気をつけないといけなかった。幽霊がいて、私のサンダルをつかむのだと信じていた。

 


話を戻して。

水練学校の帰りに寄ったその小さなアイスクリーム屋のアイスは、なんだか無性に美味かった。暑い夏の昼下がりで、普通なら混雑していてもおかしくないのだが、私の記憶ではその店は閑散としていて、母と二人きりだった。

母がそういった間食をするのは珍しかった。吝嗇というわけではないが、あまり子どもに余計なものを買い与えるタイプではなかった。

孤独な二週間、帰りにはいつもそのアイスのことを思い出したが、母親にそれをねだることはできなかった。今からは想像がつかないほど、引っ込み思案な子どもだったのである。

しかし水練学校の最終日、私は勇気を出して母親に「初日行ったあのアイスをもう一度食べたい」と言った。

母親は二週間頑張ったご褒美にと快諾してくれた。自転車に乗って、前に行ったように右、左と曲がる。確かこの辺りにあったはず…。

ところが、アイスクリーム屋は見つからなかった。

母親もその店がどこにあるのか思い出せなかった。

母親も首をひねっていた。二人してきつねにつままれたようだった。

二年後、一人で水練学校に行くようになってからも、何度もアイス屋を探したが、ついにその店は見つからず、途方もなく美味しかったあのアイスを食べることはついぞ叶わなかった。

 


子どもらしい夢なのかもしれない。初日に食べたことも、最終日に二人で迷ったことも。