Nu blog

いつも考えていること

相撲のこと

好角家、と言っても、基本的にはテレビで見ているだけ、年に数回国技館に足を運ぶ程度、十年ちょっとだけの相撲ファンの感想ですが、横綱稀勢の里をどうすればいいのかさっぱり分からない。

四連敗の末、初日に怪我をしていたなどともったいぶった言い訳で五日目に休場。初日に怪我をして、しかし「まだやれる」と判断したのは横綱の責任感だろう。それは偉い。しかし、とはいえ、三連敗が休場のタイミングだったのではないか。あのタイミングならまだ分かる。怪我で調子でなかったんだね、という感想だった。

むしろ四日目の栃煌山戦は怪我を感じさせない相撲だった(まあ、だからこそ五日目に出場して負けたら目も当てられない状態に陥ったわけだけど)。

負けてしまったが、もしかして十五日間出るんじゃないかと思うような内容だった。皆勤負け越しも覚悟の出場があるんじゃないか、そこまでの覚悟を持って臨んでいるのか、と少々胸を躍らされたくらいだ。

しかし、負けた。それで結局気持ちが折れて、怪我を要因として休場することになった。きっと、あの栃煌山史上最高の徳俵がなく白星が上がっていれば、五日目以降も出ていたのだろう。

しかも休場。引退ではなく。

引き際を周囲がとやかく言うのは野暮だ。だからここから野暮なことを言う。

八場所連続の休場明けに優勝争いに絡まぬ十勝五敗。それで横綱の責任を果たしたことになっていたのがまず不明な評価だった。その上での四連敗。何かを失っている気がする。

横綱をどのようにとらえるかは人それぞれだから、弱い横綱がいたって良い、というのも一つの意見だ。かつて(江戸時代とかだっけ)、弱くても体格が立派だから土俵入りだけ勤める大関がいた、なんて話も聞いたことがある。稀勢の里をそういう意味で特別扱いするのもありだろう。

友人の一人は、稀勢の里はこれから永久に東の横綱に名前を残しておけばいい、死んでもずっと休場扱いでいい、などと皮肉を言っていた。この特別扱いを思えば、そうした皮肉もむべなるかなという感がある。

横綱にするのが早かった、間違って推挙してしまった、と認めて大関に降格してあげた方がいいのではないか。かつて千代の山が成績不振の際、大関口角を申し出たことがある。それは却下されたらしい。しかし、稀勢の里に対してまだ横綱になりたてだから、様子を見てあげようよ、みたいなことが二年にわたり許されている状態はなんなのか。今までの横綱たちに厳しくしてきたのは何のためだったのか分からない。

これで来場所、鶴竜白鵬に進退を迫るようなことがあれば、ぼくは猛烈に怒る。その二横綱に進退を迫るのであれば、稀勢の里は何なんだと怒ってやる。どっかのバカが、「白鵬は休んでは優勝して、引退を伸ばしている」みたいなことを言っているのを見かけた。休んだ後に優勝してるんだから、どこまですごいんだって話である。しかも全勝やぞ。誰にできる芸当か。

稀勢の里を擁護する気になれないのは、そういう周囲のダブル・スタンダード的反応が大きな要因で、本人のせいばかりではない。しかし、稀勢の里が結果を出してくれれば、と忸怩たる思いもある。あるいは、昨年優勝して、その時の怪我のせいでもう結果を出せないのなら、その時が引退のタイミングだったのだ。むしろその時にドクターストップなど、不本意で構わないから引退してほしかったとさえ思ってしまう。稀勢の里を止められたのは、そういう不条理さだけなのではないか。今は稀勢の里本人が不条理になってしまった。

 

もちろん、今場所はおもしろい。

栃煌山の五勝目は、もしや旭天鵬と優勝決定戦をした時のように優勝争いに加わるのでは、と期待を抱かせるものだったし(二連敗しちゃったけど)、貴景勝の六連勝からの御嶽海による七連勝阻止は激熱だった。竜電の高安戦も胸が熱くなる相撲だった。嘉風久々の殊勲インタビューもよかった。妙義龍もですね。妙義龍は復活してる感じあります。がんばってほしい。あと、北の富士さんが錣山さんといちゃついているのも可愛かった。

大関陣が場所をけん引できていないことには少し不満が残るが、優勝ラインはたぶん十二勝三敗。まだまだ分からない。栃ノ心の不振は気になります。相撲の特殊性を踏まえた、怪我に対する抜本的改革(土俵の高さとか、ある種の体重制限とか、力士における怪我しにくい体作りの研究とか)を期待したい。

後半戦を楽しみながら、初場所稀勢の里がどうするか、イライラ、じりじり待っている。