朝一にこの記事を読んだ時は大した違和感はなかった。もともと「日本人」連呼には奇妙さを覚えつつも、大坂なおみの偉業に、日本の報道は「日本人であること」以外の意義を見いだせないのだから仕方がないよな、と思っていたので。ぼくはテニスに詳しくないので、おかげさまで大坂なおみがどのくらいすごいことをしたのか分からないままです。
にしても「日本人よりも日本人らしい」なんて言葉はバカらしい。
副島淳は「日本人初には違和感はないが」と前置きしつつ
行きつけの居酒屋である男性が「正直、日本人初で優勝するなら、本当の日本人の方が……」と話すのを聞いて、さびしさを覚えた。男性は「100%日本人」という言葉も交え、手放しでは喜べない思いを語ったという。
と言う。
問題はそこだ。
メディアは大坂なおみを、肌の色も育ちも関係なく「日本人」と持ち上げているし、世間もそのように受け入れているフリをして、実際は「日本人よりも日本人らしい」などの言葉で暗に「日本人ではない」側面を臭わせている。
この陰湿なダブルスタンダード。白鵬に対してのそれに似ている。時には「日本人より日本人らしい」と賞賛しつつ、ダメ押し張り手などについては「モンゴル人だから分かってない」と腐す。日馬富士にもそうだ。日本の報道は、そのほか全ての「日本出身力士」(≠日本人力士)以外の力士に対して、いつもダブルスタンダードで構える。
はてなブックマークのコメントを見ていると、そのダブルスタンダードにさえ気づいていない様子のコメントが散見された。果ては朝日新聞こそが差別を生み出してるなどとトンチンカンなことさえ言われていて、びっくりである。
たとえば
みんな何も考えずに日本人として扱ってるのに反差別界隈が騒いでるのほんと滑稽
とか
「日本人初」と喜んでるの?それ書いてるのはむしろ大手メディアだけで「日本国籍を持った彼女が一躍スターになり、その魅力的なキャラクター含めて人気者」なだけ。日本人論に固執しているのはむしろこういう新聞
とか
多少なりとも縁のある人を深く考えずに応援することについてものを申すのは変というか偏屈だなという印象
こうしたコメントがトップに上がっている。どうも能天気な、かつ無自覚なコメントにしか思えない。
これらのコメントより、以下のコメントがぼくの言いたいことを表している。
仮に彼女が犯罪者だったとして、僕らの社会は今と同じように彼女を「日本人」とするのだろうか。 このあたりに違和感を覚える人が多い、という話では?
先日のサッカーW杯でも、ドイツ代表のエジルが「勝てばドイツ人、負ければ移民」という言葉で自身の境遇を表した。
「君の心のブラック・ピーター」というドキュメンタリー番組において、「外国で活躍したサッカー選手はオランダ人、犯罪者は○○出身と報道される」というナレーションがあったことを覚えている。
「日本出身力士」などと訳の分からない言い方をする日本の報道は、ヨーロッパの鏡のようだ。「純粋な」日本人を褒めるためなら、そんな不毛な努力を厭わない。ウケる。
ラグビーが好きだと言うと、「ラグビー日本代表ってほとんど日本人いないよね」と言う人がいる。「ああいうのってどうなの?」と聞かれることもある。ぼくは「むしろサッカー日本代表に日本人選手しかいないことに違和感を覚えます」と答えることにしている。もちろん「日本人」という言葉の定義は互いにバラバラだ。というかなんの定義もない。しかし、そうした対応をすることで、ぼくはぼくなりに国籍に対する態度を表明したい。
国籍や出自へのこだわりがなくなることは、多分ないだろう。むしろますます強まるかもしれない。どうにか抗いたいのだけれど、難しい。