特に書くこともないけど、何か書きたいような気がして書き始めた。先週、義実家に帰省したが、やることがなくて手持ち無沙汰な1週間だった。サウナに行きたかったのに、ぼやぼやしてたら行きそびれた。バカだ。何冊か本を読んだ。面白いのや面白くないのがあった。たぶん初めてファッションセンターしまむらに行った。ムーとコラボしたキャップなどがかっこよかった。太陽の塔に登った。情熱、生、現実を感じた。嬉しかった。藤岡拓太郎の原画展に行った。恐怖と笑いが同居する瞬間。長い時間、車に乗った。友人が買った家に行った。子供ができていた。おめでたいと思うと同時に、羨ましさが屈折した形で湧いたから、複雑な気持ちが胸の底に溜まって、澱み、嫌な気持ち。ディック・ブルーナのカメのぬいぐるみを買った。抱いて眠っている。休みが終わって、ほっとした気持ちになったのは意外なようで意外ではなかった。「休みが終わってほしくない」と、そこまで強く思ったことがない気がする。毎日がきちんと過ぎてほしい。いや、しかし映画を見ている時や本を読んでいる時、絵を見ている時、音楽を聴いている時などは「この時間が終わらなければいいのに」と思うことがある。保坂和志が猫を飼っているドキュメンタリーを見ている間も少し「ああ、楽しいな。もっと浸りたいな」と思った。簡単に言うなら「楽しい時間が終わることを前提として、現在を楽しんでいる」のであるが、分かりにくく言うならば「楽しい時間などさっさと終わってほしい」と思っているのでもある。なんてね。そして、久々に出社して、休み前からの進捗を聞いたら何も終わっていなかった。期待していたことの半分どころか一つだって終わっていなかった。そんな大変な作業だったのかと思って取り掛かってみたら、割合すぐに終わった。訳がわからなかった。ぼくが手持ち無沙汰にしていた5日間を、本当の意味でムダにされたような気持ちになった。8月が半分過ぎた。夏にはもう飽きた。