気持ち悪いことからは目を逸らしたいのですが、そうもいかないので、箇条書きしときます。
・東京医科大学、入試得点操作
→当初、女性を一律減点と報道されたが、その後の詳報により、全員に0.8かけて、3浪以上の男性を除く男性に20点足し、3浪なら10点、4浪以上と女性には点を加えなかったとされている。
誰のどういう意向が働いていたのか。あるいは関係者全員が薄々納得しながらやっていたことなのか。たぶん後者な気がする。ぬるっとした意思決定のあり方。
この作業を担当しなければならない立場になっていたら、と思うとゾッとする。でも、企業にいると割とこれに近いことがある。そういうことにうまく声を上げられるかと言うとうまくいかない。保身に走ってしまう自分もいる。
初めて報道された時、記事の結びに「議論を呼びそうだ」とか書かれていて、びっくりした。議論なんてねーよ!
→なんだろう。「失言で辞任」の流れが途絶えたのはいつからなのだろう。いつからか「その程度で騒ぐな」的な発想が蔓延し、何があろうと辞めないことが普通になった。いつかみんな忘れるだろう、と言う態度。人民裁判的に辞任させられるのがよくなかったことはわかるが、であればこそ、こうした差別発言などを厳しく律する自浄作用を持っておけよと思うのだが、世間はボクシング界のカリスマ、山根会長の方がお好きなようだった。
・三浦翔平、「尽くしてくれてます」
→そういう質問におうむ返しで答えただけではある。だから、つまり記者の質問がキモいのだが、回答としては「は?」みたいなことを言ってほしかった。
・「ちょうどいいブス」
→そもそもは花王のプロモーションツイートで、ちょうどいいブスを否定的に使ったことがはじまり。加えて、その言葉を使った芸風の相席スタートというお笑いコンビの女性が痴漢への対応でトンチンカンなツイートをしていたというもの。
もともとこの芸のコンセプトに、自虐以上の自己肯定的要素を認め得なかった自分としては、この度このように炎上していることは必然的帰結ではないかと思っている。お笑いの世界で女性芸人として生きることの今日的困難はようやく語られ始めたことのように思うが、契機としてはアジアン隅田の休業だろうと思っている。休業の理由が"ブス"いじりを苦にしたものだったは一つの衝撃だったし、納得だった(実際の休業理由は違うという話もあるらしいが)。今、渡辺直美やAマッソ、イモトのようなジェンダー規範から自由な芸風を確立している芸人もいる。尼神インターやゆりやんレトリーバーなども、内包しつつも克服しようとする姿勢に共感する(微妙だけど)。一方で、多数を占める男性のお笑い芸人が、ジェンダー規範に無意識であることの虚しさも思う。情報番組に出る女性芸人などは未だに「女性の視点ではどうですか?」みたいなコメントを求められ続けている。さっきハリセンボンの春菜もそんなコメントを求められていた。は?って感じである。
・女性部長、怒られる
→白山高校の野球部部長がバッターボックスに立ちスウィングした結果、高野連に叱られたらしい。しかし、バッターボックスに立つ部長さんの笑顔、見えないボールを追っている選手たち、なんとも素敵な写真だ。にしても、背番号をつけてない人以外はグラウンドに入ってはいけないというルールの意味がよく分からないので、コメントのしようがない。女性だからではない、というのが空々しい言い訳に聞こえるのは、蒙昧かつ恣意的な運用の結果ではないだろうか。
etc、etc……。
バイブスが至らん(by YONCE)ことばかりである。
最後に。サマセット・モームの短編集を読んでいたら、サマセット・モームの短編はとてもいいものばかりなのだが、現地妻に3人子供産ませてたことを告白した夫を許せない妻の話に関する解説が、「現地妻を許せない白人女性の人種的偏見」という謎の解説となっており、気持ち悪かった。え?どこに人種的偏見あった?みたいな。読み返してみたが、なぜそんな解説になったのか不明で、考えてみたが、つまり解説者にとってはどうやら「現地妻は当時の常識だから妻は普通許すもの」「それを許さないのは現地妻という非白人人種に対する偏見があるから」という発想があるみたい。でも、小説の内容的に非白人人種に対する嫌悪より、「現地妻くらい普通だろ」という夫に対する嫌悪しか表現されてなかったので、今もってあの解説は謎である。