ゴールデンウィークが明けましたが、筋肉痛が半端やなくて、歩けません。
10年以上振りに運動をした結果(これまでも山登りなどしていたけれども、久々に無酸素運動をしたのです)、太もも、ふくらはぎ、腕、腰、腹、体のいたるところが痛く、壊れかけのロボットのような動きしかできない。階段の上り下りもろくにできぬ。ジョイ・ディビジョンのイアン・カーティスのダンスみたいな、かくかくした動きになる。ラブ・ウィル・ティア・アス・アパート・アゲインである。椅子に座ることも、椅子から立ち上がることも、どちらも辛い。にもかかわらず「急いで課長捕まえろ!」などと言われ、走らねばならんかったりする。足が千切れるかと思った。芝生に倒れ込み、青空を眺めたのはいつぶりだろう。ダイエット番組で倒れこむふくよかな方を見て、気の毒に思ったこともあるが、自分の今の体力は似たようなもんである。運動したという爽やかな心持ちがないではないが、今はただただ身体がしんどい。
・ヌード展@横浜美術館
2014年のチューリヒ美術館展で観て以来、ナビ派のボナールを見かけるたびにワクワクしてしまう。ナビ派だけ、ボナールだけの展覧会というのは聞いたことがないけれど、「なんやら美術館展」に行くとボナールは大抵ある。「なんやら美術館展」というのは、時代ごとに作品が分けられていることが多い。だから、美術の発展の歴史がよくわかる。前衛美術が何を乗り越えようとしたのかが見えてくる。けど、ボナールからは何かそういう反骨心というか、野心を感じない。あたたかな眼差しだけがある。でも、時代が産んだ画家であることはよくわかる。不思議な画家である。このヌード展においても、妻がお風呂に入ってるところを描いた作品が出ていた。他の作品に見られるような「ヌードを描くこと」への気負いがないように思える。日常の一場面でしかなく、それを愛してることがひしひしと伝わってくる。「これを描くんだ!」みたいな切迫感もない。愛が溢れただけのような感じ。
最後らへんにあった写真は、やけに切なくて困った。写真というのは、インスタグラムなんかもそうですが、切なさの装置なのですね。
・ターナー展@東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
1840年代のバグってる(褒めてます)ターナーが好きなのだけど、少なかった。数点だけ、そのあたりの習作があった。波と空を描いてるのだけど、どれが波でどれが空か、入り混じってわからない。素敵だった。
・『グーグルマップの社会学』
序盤から「全然地図好きそうじゃないな…」と思ってたら、あとがきに「社会学における格好の研究対象と考えて、地図を選んだにすぎない」と書いてあって、やっぱりなーってなった。なんと表現すればよいかわからないが、地図に対する愛が感じられなかった。それをダメだとは言わないけど、そのせいだろうか文章にグルーヴ感がないように思う。
でも、話の流れは綺麗というか、社会学らしい社会学的考察で、読みやすくて、とてもよかった。お手本のよう。きちんとした題材に、的確にアプローチするまじめさがある。
要約じゃないけど、どんなことが書いてるかというと、目的地への経路を探索するだけの使い方を東浩紀の「データベース消費」「動物化」に結びつけたりするようなお話です。めっちゃ雑な要約に思えるかもしれませんが、ここはこの本の象徴的な部分のように思う。その後の展開をかいつまんで説明すると「グーグルマップという便利なものによって、人は検索機能で見たいものしか見なくなってる。でもマップは人を外に連れ出すことができる。様々なレイヤーを重ね、別の視点を作り出すこともできる」みたいな話になる。要約した部分から、なんとなく予想できる展開じゃないですか。こう評しちゃうのはわかるわからないとは別の、何か心掻き立てるものがないからな気がする。学問とはいえ。
・『宇宙用語図鑑』
『哲学用語図鑑』もかわいいのだけど、これもかわいい。アリスタルコスという人が古代ギリシャの人なのだが、なんと太陽や月の大きさを測定したらしい。で、めっちゃ大きいことに気づいたらしい。もしも、世界で初めて太陽や月の大きさに気づいた人間になったとしたら、たぶん腰抜かす、気が狂う、泣き喚くと思う。2千年後にコペルニクスに発見されるまで埋もれていたというのだから、天文学はやはり規模が違う。
・稽古総見@国技館
「相手してやろう」みたいな雰囲気で栃ノ心に胸を出した稀勢の里が、呆気なく2回も負けたのには驚いた。栃ノ心は格下相手に何連勝もしていた。ますます力をつけて、充実しているのだろうと思う。ちなみに鶴竜も負けていた。稽古とは言え、ちょっと辛い。
白鵬の身体を見ると、調整バッチリのようである。足の親指にテーピングしていたのが気がかりではあるけれど、トラブルなければ、まず優勝という風情。新三役の遠藤に稽古をつけていた。
高安が肩を痛めているようで心配。
五月場所が始まる。
・小沢健二@武道館(2日目)
国技館からの武道館という流れ。二階席の一番前だったのでずっと座ってました。相対性理論の時もずっと座ってたので、武道館で立ったことがない。けど、2時間も立つのしんどいからちょうどいい。立ち上がって踊り狂う人もいたけど、座って乗ってました。「ある光」を明るく、ポップに仕上げていたのにドキドキした。アンコールの「流星ビバップ」や「春にして君を想う」もよかった。
「日常に帰ろう!」と呼びかけた後、「フクロウの声が聞こえる」を再演し、「ていう音楽のある日常です」と締めた。ライブを非日常と囲ってしまうのではなく、日常と地続きのものとする。それはオーディエンス側の態度を問われているようにも思う。フェスのように「非日常」を演出された空間、即興的に、その場のノリで盛り上がることを可能にする空間が隆盛を極め、今後もその市場を拡大することは止められないし、止めなくて良いことだ。しかし、だからこそ、音楽を非日常に追いやって、変な特殊性を帯びさせてはならないのだと思う、なんとなく。
・ご飯
チキンライスが食べたくなって、チキンライスを作って食べた。やけに上手にできた。美味しかった。
クックドゥの担々麺も美味しかった。花椒が最近好きだ。ていうか、世間的にも微妙に流行ってるんだと思う。
キーマカレーも美味しかった。翌日、カレーうどんにしたらやっぱり美味しかった。
ドミノピザが持ち帰りにするとすごく安くなったので、久々にピザを食べた。美味しかった。