あたたかかった3月の中盤に、蔵王に行った。スキーをした日だけ天気が荒れたのはつらかった。ずっと麻雀をして、風呂に入って、のんびりした。
相撲は白鵬、稀勢の里休場で、ハラハラせずに相撲を眺めてるぼくがいる。
鶴竜の苦笑いや、逸ノ城のプチ復活なんかを楽しむ。鶴竜の特に人格面での評価が高まっていることが面白い。あれよあれよと優勝。おめでたいです。
高安と豪栄道はどこかバタバタしてて落ち着かなかった。相撲って難しい。まあ、この雰囲気なら高安はいつかは優勝できそうな気はするけど…。
遠藤がようやく三役へ。ようやく上位定着という次のステップに。がんばってほしい。
にしても、貴乃花の奇行にはついてけない。ほんと、部外者のぼくには何もわかりません。
来場所は白鵬の優勝を期待します。
8時45分と15時15分の2回やってて、窓口で券を買う場合混乱しそう、なんて思ったら機械で買ったので、混乱しませんでした。
愛国心をバリバリ煽るストロングスタイルは完全に成功してて、それに気づいても緊急処置と柔術を学ぼうかなんて気にさせられる。大学生の卒業旅行みたいなシーンが面白いのはなぜなのだろう。最終的にはオランド大統領の演説が素晴らしい、みたいな感じなのもおかしい。
『ミリオンダラー・ベイビー』や『アンタッチャブル』、『L.A.ギャングストーリー』が録画されてたので観た。どれも複数回目の視聴で、懐かしくかっこいい。『アンタッチャブル』の音楽、最高ですよね。そして『L.A.ギャングストーリー』の『アンタッチャブル』リスペクトは最高ですよね。警官が人を殺しまくるスローシーンの面白さ。ライアン・ゴズリングとエマ・ストーンの競演が今から思えば『ラ・ラ・ランド』の2人なんですね(その前にも一本共演してるらしいけど)。
『ちはやふる』上の句、下の句(金曜ロードショウ)
自分がティーンの時の学園ものは、やたらにヤンキーものが多かったような気がする。ヤンキーな人が野球やったりする系の。『ごくせん』とか『マイボスマイヒーロー』とか、そういうのもありました。その点で『ちはやふる』は『ウォーターボーイズ』や『スウィングガールズ』、ひいては『青春デンデケデケデケ』の系譜なのだろう。つまり、ヤンキーが出てこない。大人的に、見ててほっとします。
『anone』
人は普段、薄ぼんやりとした意識のもと、「仮」に生きているような気分であることが多い。で、苦しいときや反対に楽しいときにふっと「あ、自分は嘘でもなんでもなく生きてるんだ」と気づかされる。気づいちゃうと無性に怖いので、暇つぶしで気を紛らわせて、薄ぼんやりとした意識、「仮」の人生に逃げ込んでいく。みたいなことを繰り返す。
ここで少し言葉遊びをするならば、人生は「仮」のものではなくて、「借りもの」なのである。実感することのできるこの肉体は、アバターみたいなもんだと言えばイメージしてもらえるだろうか。あるいは肉体と対比させて、自我は借りものではないなどとこだわる人がいるだろうが、自我などは肉体よりももっと「借りもの」で、この世界の隙間、あらゆるこの世界の全ての「その他」であろう。イメージとしては、パズルで最後の1ピースがないと思ったら、その最後の1ピースこそが自我であった、というような感じ。
であるから、このドラマで示された「偽」とは人間の本質的なあり方そのものである。偽札と本物の紙幣、偽の家族と本物の家族、偽の言葉=嘘と本当の気持ち、それらの間にどれほどの違いがあろうか。紙幣という薄っぺらな紙は共同幻想として価値を認められているに過ぎない。家族という結びつきもまた。そして言葉というものは考えれば考えるほどに幻想である。
色の対比やなんやと読み解きに興じるのも楽しいが、このドラマは解ではなく問いであり、すなわち哲学、学問としての強度がある。
『漫画みたいにいかない』
雨のパレードの主題歌がよかった。
監督・オークラ、イラスト・ニイルセンというのはぼくにとって『ピラメキーノ』コンビである。音楽はトクマルシューゴ。サントラでは「漫画みたいにいかない」という楽曲で角田が熱唱している。YMOみたいなテクノポップがハマってる。
TBS系 金曜ドラマ「アンナチュラル」オリジナル・サウンドトラック
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『アンナチュラル』
今期最高傑作の呼び声高い本作であるが、ほんとおもしろかった。続編の余地を残すあたりもプロの技。かっこいいなー。こちらもサントラがある。印象的なコインの落ちる音。
『隣の芝生は青い』
最終話で「本末転倒」を連発して、それまでは意味を分かってるつもりだったのに、どういう意味かわからなくなってしまいました。あたたかな社会派ドラマで、こういう作品があるのって良いことだと思います。
中年のための遊園地というネタだったのだが、ホーンテッド・ホスピタルと称して「愚かな人間よ、現在服用している薬はあるか」「愚かな人間よ、過去に重大な病気を患ったことはあるか」などとただの健康診断なのである。悲鳴と思いきや聴力検査だったり、腕を掴まれたと思ったら血圧測定だったり。
「中年」というテーマと「遊園地」という舞台設定のどちらも生かしたボケで、こういうちゃんとした漫才がM-1でも見たいなあと思った。
おしゃべりの延長としての漫才でなければ、やっぱりぼくは、それがどれだけ上手かろうとコントであって漫才ではない、と思う。
ぼくのお笑いの原点はやっぱり漫才であって、おしゃべりが面白い、このこと以上にすごいことはないと思う。
演技やストーリーがもてはやされる今のお笑いの多くを、それほどおもしろいとは思わない、和田まんじゅう擁するネルソンズを除いて!
ポンキッキーズが終わったと聞く。BSの放送が見られないつらさ。悲しいなあと思う。
絲山秋子の『沖で待つ』、西村賢太の『小銭をかぞえる』『無銭横丁』、山崎ナオコーラの『反人生』、若竹千佐子の『おらおらでひとりいぐも』を読んだ。
滝沢カレンの3/28のインスタでびっくりする。このフレーズの美しさ、平安時代の日記文学かと思いました。
春の来日をそよそよと待っていたら、あっという間の春に、迎えられる準備すらされてしまいました。
(以下、閲覧注意。不快なので)
ここの広告が酷い…。ただのニュース配信アプリらしいのに、どうしてこんなアプローチになるのだろう…。