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いつも考えていること

国立民俗博物館『1968年』展

遠く遠く、千葉は佐倉、国立民俗博物館『1968年』展を観に行きました。佐倉がもうちょい都心近くに寄ってきてほしい。DIC川村記念美術館もあるし。

 

期待はもちろんヘルメット。

 

で。

キャプションのテンションが高い。序盤からこれ。

1968年は、世界に目を転じると、ベトナム反戦運動が世界的に展開され、アメリカではキング牧師暗殺を契機として公民権運動が勢いを得、フランスでは五月革命とも呼ばれる学生運動・労働者ゼネストが起こり、西ドイツでは戦後民主主義の形骸化・権威主義化に抗議する学生運動が高揚しました。 

「勢いを得、」とか「高揚」とか、言葉遣いが当時っぽい気がする。

前半はベ平連(鶴見俊輔!)や三里塚闘争(成田空港建設をめぐる闘争、めっちゃ好き)、熊本水俣病闘争(石牟礼道子!)、横浜新貨物線反対運動(初見)。これらの運動は生活と地続きなもので、成果あり徒労ありの現実的な結果が見えてくる(「我々は普通の市民です」というような言葉には怪しさを感じてしまうけれど…)。

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帰宅後ニュースを見てたら、うなりくんがなんかのグランプリを取っていて、成田闘争の時代から隔世の感がある…。

 

後半は学生運動。日大、東大の全共闘や造反教員などなど。全共闘というムーブメントと前半取り上げた市民運動との連続性というか接続を試みる展覧会のようである。お目当のヘルメットの展示は6個程度、全共闘のものだけでセクトの紹介がなかったのはそれ故である。まあ、セクトの紹介なんてしないよな…。

ギャラリートーク(ティーチ・インかと思った)で解説の方が語っているのが印象的だった。

こう言ってはなんだが、前半の市民運動は実態を持ち、現実的結果を持ったものだったが、後半の学生運動は何らの実りもないモラトリアムのバカ騒ぎ(故に楽しそう)でしかない。

展覧会の結論が、闘争は今も一人一人に問いかけている的な感じだったのは正直不服。

最後にウーマン・リブと闘争で田中美津を取り上げていたのが救いで(「女に炊事、家事をさせて、暇な男たちがケンカしていた」とずばり言っていた)、あの学生運動負の遺産の側面しかない、ともっと喝破すべきだと思う。

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疲れた足を引きずって、横にあった常設展『現代』に行ったら、こっちの方がテンション上がった。教科書じゃなくて便覧を見ているような感じ。

38式自動小銃(4キロ程度)を持ち上げられたり、起床ラッパの音が聞けたり(正露丸のCMの音楽)、玉音放送が流れてたり、B29の1/5モデルがあったり、団地を再現してたり、アニメや特撮のオープニングが見れたり、ゴジラがいたり…。おもちゃ箱のような展示!

戦時中のポスターのデザインが、学生運動のポスターとほとんど同じ。むろん、学生運動が真似したのが、戦時中のデザインだったわけだ。真似というか、それしか参考がないというか。

その上、なんだかんだで、国の優秀なデザイナー、コピーライターが作ってるから、戦時中のポスターはどれも完成度が高く、鑑賞に耐える力がある。学生運動のポスターはどこか抜けている気がする。

いずれせよ、ぼくが政治をおもしろいと思うのはそういう、なんというか残念さであり、みんなが政治に興味を持たないというか、嫌いとか怖いとか思う理由が、つまりその「残念さ」なんだろーな、なんて思いました。

 

にしても、遠かった…。