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いつも考えていること

『ドリーム(Hidden figures)』

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映画『ドリーム』(原題『Hidden figures』)を観た。

 

教科書で見たように「白人用」と「非白人用」に分けられた社会が現実にあって、何が怖いって差別する側はそれを当たり前だと、一切不思議に思っていないことだ。だから、黒人が白人のコミュニティに入ってくると奇異の眼差しでもって、無意識に敵意を表す。オフィスに入っただけで、コーヒーを入れただけで、図書館で本を借りただけで、その視線が刺してくる。

あるいはエンジニアを志すメアリーに対し、「就業規則の補足に記載されているとおり、白人専用の高校または大学における講義を修了していること」がエンジニアの資格を取るためのに必要だという。そのルールなら黒人はエンジニアになれないではないか。メアリーは声を荒げず「いつだってゴールをずらされる」と非難するが、白人にとってそれは正当なルールでしかない。

つまり、すべては無自覚な差別なのである。

そうした白人のナチュラルな気持ち=無自覚な偏見・差別が、ミッチェル(キルスティン・ダンスト)の言葉―「偏見は持ってないのよ」に凝縮されている。映画を通じ黒人の置かれた状況をまざまざ感じた観客私たちはオクタヴィア・スペンサー演じるドロシーの「そう信じていることは分かります」という答えの意味を痛感するのだ。

 

他方、差別を打ち破る素敵な言葉もたくさん出てくる。

キャサリン(タラジ・P・ヘンソン)は、数学の天才で、その才能を見出され、飛び級で進学、ドロシーに「彼女は何でも計算できます」と言わしめる主人公だ。

黒人女性として初めて宇宙特別研究本部に配属される。ここの上司、ケビン・コスナー演じるアル・ハリソンは最高に良い。

アルはその背景は謎だが偏見や差別とは縁がないようで、仕事の結果だけを模索している「モーレツ」な人である。だから、昼に頼んだ計算を夜持って行ったら「もうその計算は要らない」とゴミ箱に直行、なんてこともあるが、それは差別や偏見でなく、仕事のスピード感に関する問題なのだ。

だから途中「家には帰れないと妻に電話しておけ」とか「一旦帰って家族サービスしたらまた明日から仕事だ」というように男性的目線のあるセリフも、思想的な言葉ではなく、事実を告げただけ、「帰れないから帰れない」から言っただけなのだろう。

だから、不必要なことがあれば、ぶち壊してくれる。コーヒーポットに貼られた非白人用と書かれたテープを剥がし、白人と非白人で分けられたトイレの看板をぶち壊す。「NASAでは、小便の色に違いはない」は名言だ。

現実離れした怖いおっさんでもあるが、彼の存在が劇中、観客私たちを常に安心させてくれる。

また、ジョン・グレンが実にいい奴であった。彼が画面に出る度、爽やかで、にこやかで、屈託がなく、他人を信用する才能があるのだろう。「あの切れ者が言うなら、僕は飛びます」。ラストの展開は痺れる。 

 

主役3人とも怒ったり、苛立ったりもするけど、人生を生きていることが伝わってきて、なんだか羨ましい。

先のエンジニアの件ではメアリーはそもそも男性上司からエンジニアになることを勧められる。それに対し「夢は見ません」と答えるメアリー。男性上司が「もし白人男性だったなら、エンジニアを目指していたか」と問われ「別に。白人男性だったなら、もうエンジニアになっているから」と痛烈な皮肉を答える。メアリーの口達者さは、それが彼女の生き方そのものなのだと思う。
あるいは、コンピュータの導入により、ドロシーは「計算係」としての自分たちの仕事がなくなることを懸念するも、プログラマーの仕事が必要になるはずだと仲間を鼓舞し、勉強するという流れ。リーダーシップとは、仲間を路頭に迷わせないこと、か。

IBMを導入した男性らが「このまま使えない箱のままなら無給だぞ」と言われ落ち込む中、「あら、つなぐ所が違う」なんつって配線をピャッと変えて起動させるのは、史実ではないだろうけど会場内爆笑だった。扉のサイズを間違えていたのは事実に基づくのだろうか?

そしてキャサリン。計算の天才という描写だけでなく、娘であり、母であり、恋に落ちる1人の人間である。それら1人の人間の中にある全てがこう上手くまとめられるものか、と脚本に感嘆。

 

最後に、ジム・パーソン演じるスタフォードの憎まれ役が秀逸だった。

ドサっとわざと大きな音を立てて書類を置いたり、機密情報に黒い線を引き読めないようにしたり(薄くなってて透かされたり)、書類の製作者として計算係の名前を署名させなかったり。

彼がいわゆる善人になって「人間は分かり合える、ハッピー!」なんてまとめられていたら、なんのこっちゃであったが、そんなことなくてよかった。もちろん、できたら差別や偏見から抜け出して、分かり合える相手になれば良いのだけど、仕事上の関係って、分かり合えなくても、認め合えたらいいのだとも思うから、ラストで少なくともどうやら協力し合えるようになったと思われるので、それで最上ではないか。

 

フックのある音楽とともに、なにせ元気の出る映画でした。