ミュシャ展を観た。
『スラヴ叙事詩』20作がメインの本展。チェコ国外において、全20点まとめて公開されたのは世界で初めて。
ミュシャと言えば、アール・ヌーヴォーの代表、装飾性豊かに女性を描いた華やかなポスターのイメージが強く、油絵の大作を手掛けていることすら知らなかった、というのが本音だ。
2013年頃に森アーツセンターで開かれたミュシャ展は、画家のイメージ通りポスターがメインの展覧会だったと聞いている。なので、興味のなかったぼくは行かなかった。すごく混雑していたらしいし。
どうも自分の中で、ミュシャとラッセンを同じ扱いをしてしまう。ポスターというメディアへの抵抗感がある。
まず、画面が大きい。くらくらするほど大きい。にもかかわらず、隅々まで余すことなく使い切っている。
一枚の絵に膨大な情報が詰まっていて、このような比較は無意味とは言え、『スラヴ叙事詩』1枚が小品2、30枚分に匹敵するのではないだろうか、と思う。
衣装、表情、姿勢、持ち物。
場所、建物、調度品。
時間。
いつ、どこに、どんな人が、なぜいるのか。何を描こうとしているのか。
ひたすら時間をかけて観る必要があって、すごく疲れる。
スラヴ人の歴史を知らずに観たので、帰ってから世界史の教科書を繰ってみたが、やっぱり分からない。取り上げられる回数がどうも少ないのだ。
というのも、10世紀頃からポーランドが表舞台に出てくるが、東欧は常にロシアとドイツに挟まれて、奪い合いの中心地、ウォーラステインの世界システム論で言うところの周縁・半周縁の立場を余儀なくされていたからのようだ。
周囲に翻弄されてきたスラヴ人(と雑にまとめるのは良くないのだろうけど)なのである。
20世紀前半の民族主義の高まり、民族の独立、国家の樹立に資することを目指し、ミュシャはこの『スラヴ叙事詩』を描いた。スメタナの『我が祖国』にも影響を受けたと言う。
スラヴ人の歴史を打ち立てよう、という壮大な野心作。
しかしながら、現実には、その野望は果たされなかった。16年もの歳月をかけて完成した時、すでにチェコスロバキア共和国が成立しており、民族としての独立を果たしていたがために、作品の持つメッセージは人々にとって「いまさら」なものとなってしまっていたのである。無念。
しかも、その後のスラヴ民族の運命は「歴史は繰り返す」のとおり、第二次世界大戦ではナチスドイツに、そして大戦後はソ連にそれぞれ時代の流れに翻弄されることとなる。
ナチスドイツはユダヤ人だけでなく、スラヴ人も標的にしたそうだ。また、プラハの春、ビロード革命といった聞き覚えのある言葉もチェコにまつわる事件と聞くと、戦後にも苦難のあったのだ、とようやく思い至る。
今の私たちが知るチェコ共和国はつい30年ほど前に成立した国なのである。
なお、社会主義体制時における教会による相互監視などから宗教への不信が強く、無神論者が多数を占める、という事実にもなんとも言えない思いになる。
さて、スラヴ人、チェコの歴史はここまでにして、再度、絵に目を向けてみよう。
①原故郷のスラヴ民族 トゥーラニア族の鞭とゴート族の剣の間に
③スラヴ式典礼の導入 汝の母国語で主をたたえよ
④ブルガリア皇帝シメオン1世 スラヴ文学の明けの明星
⑮イヴァンチツェの兄弟団学校 クラリツェ聖書の印刷
ミュシャの描いたスラヴ人の歴史は戦争によって失い、言葉によって取り戻す、その繰り返しだ。
1枚目「原故郷のスラヴ民族」として、異民族の襲撃に怯えるスラヴ人を描く。周囲に翻弄されるスラヴ民族を象徴するかのような一枚だ。こちらを見つめる男女の目の強さ。そして夜空に輝く星々の美しさ。誰もが見入るに違いない1作目らしい作品だ。
3枚目「スラヴ式典礼の導入」において、キリスト教国となったモラヴィア王国では母国語で神を祈ることができるようになった顛末が劇的に描かれている。スラヴ民族が言葉を得たことがここから見いだせる。
また、4枚目「ブルガリア皇帝シメオン1世」では皇帝を中心に学者や文学者が描かれ、言葉がスラヴ民族の文化を作っていく様がいきいきと写し出されている。不思議なことだが、絵によって、言葉の持つ強い力、意味を感じさせられるのだ。
15枚目の「イヴァンチツェの兄弟団学校」でも、スラヴ民族が言葉を得た希望の時間を見ることができる。チェコ語の聖書が印刷され、その聖書を人々が熱心に読む様子が描かれているのだ。どこか長閑な天気、老若男女が屋外で本に目を通している。喜びに満ち溢れているではないか。
そして、7枚目「クロムニェジーシュのヤン・ミリーチ」、9枚目「ベツレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス師」、10枚目「クジーシュキでの集会」は「言葉の魔力」シリーズと題され、それぞれ説教の様子が描かれている。これらの絵からは、書き言葉ではなく、口から放たれた言葉もまた人々を結び付けることをまじまじと思い起こさせる。
一方で、8枚目「グルンヴァルトの戦いの後」や11枚目「ヴィートコフ山の戦いの後」12枚目「ヴォドニャヌイ近郊のペトル・ヘルチツキー」、16枚目「ヤン・アーモス・コメンスキーのナールデンでの最後の日々」からは、戦いによりたくさんのものを失ったことが伝わってくる。寂寞とした風景に、無条件で悲しみを感じてしまう。
戦争が幾度となく繰り返され、すべてのものを失う度に、言葉によって連帯し、また立ち上がる。それは、スラヴ民族に限定されない「人間の歴史の営み」だ。
しかし、だからこそ、奪い、失う戦争がなければ、と思う。
世界史の教科書をぱらっと読み返し、歴史を振り返るとつくづくそう思わされるし、今も世界中で起きている「戦闘行為」や「衝突」、あるいは「テロ」は確実に何も生み出さず、すべてを破壊し、消し去るだけだ。
壊さずにいたい、言葉によってみんなと結びつき、豊かな文化を生み出していきたい、耕していきたい、と思った。何ができるかは分からないけど。