映画「未来を花束にして(原題:SUFFRAGETTE)」を観た
1900年初頭のイギリスで、女性参政権を求めて、店への投石や爆破、ハンガーストライキ等々「言葉より行動」で動いた女性たちを描いた物語。
日本版と諸外国版とで、ずいぶんと印象が違うことで話題に。
予告編でも、日本版ではポストや別荘の爆破、お店への投石、警官の暴力等が省かれていて、どういう映画かあんまり分からない。
タイトルの「未来を花束にして」というのも、どこのシーンから引っ張ってきているのか意味不明。
(海外版の予告編ではちゃんと爆破シーン、投石シーン、警官の暴力シーンが入れられていて、「暗い内容」であることがよく分かる)
まあ、そんな日本におけるプロモーション戦略などはどうでもいいんです。
以下、感想。
「女性は理性的でないから政治には向いていない」という言説が、女性に参政権を与えない理由として冒頭に示されるが、現代日本においてはまったく耳馴染みのある文句だったので、煽り文句にある「百年後のあなた」である私としては、百年経っても同じですよ、としか思えない。
残念な日本の私である。
主人公の夫が気弱そうな雰囲気なので、これはもしかしたら途中から味方になるのかな、と思っていたら、ならなかった。
ならないどころか、夫こそ最大の敵だった。
周囲の男から「妻に恥をかかされてるな」「ちゃんと言って聞かせろよ」と言われる夫の苦悩は実にちっぽけだ。しかし、そのちっぽけな苦悩、ちっぽけなプライドだけが夫の、男のすべてだ。そのプライドを守るためなら、妻も追い出す。
結果的に子どもも養子に出すことになるのだから、あの後、彼は一人工場勤めを続けたのだろうか。うーん、すべて可哀想だ。
主人公が夫に「子供が娘だったら、どんな人生だったと思う?」というなけなしの説得を試みるも、夫は主人公の目を見ることなく「君と同じ人生だ」と答えるシーンの腹立たしさ。
夫自身、その理屈として「妻の人生は自分が幸福にしている」と納得させるような気持ちがあるのだろうと推測できるけれど、すぐ横で「幸せじゃない」と主張している女の口を封じて「君は幸せなんだよ」と言い聞かせようとしているのだから、滑稽だ。
この一瞬感じられる狼狽に「理不尽だと分かったのに、自分をどうにか納得させる」男=マジョリティの弱さがにじみ出る。
依って立つ理屈・根拠がどこにもないと気づいても、それでもなお保とうとする破綻。
警官にぼこぼこに殴られるシーンも胸糞悪い。警察は治安維持を目的とした組織だから、体制がおかしくても、そのおかしさを成り立たせようとする。恐ろしい暴力装置だ。
大臣の別荘を爆破したことで公安のおっさんに「タイミングが悪ければ、人が死んでた。お前に人の命を奪う権利があるのか」と詰められるが、それに対し主人公が「男には女を殴り、言うことを聞かせる権利があるのか。」と反論する様はスカッとした。
そうだ、そうだ。人に対して説教する暇があるなら、我が身を振り返れ。なぜ、持たざる者の権利ばかり抑圧し、持っている者の権利に口を出さないのか。
散々人に無理を押し付けておいて、ちょっと反撃したら大騒ぎ。滑稽だ。
公安のおっさんはまだ活動を始めて間もない主人公に目をつけ、スパイになれ、と持ちかけるシーンがある。もしかして、スパイになるのでは、とドキドキしたのだが、ならない。安心した。
その公安のおっさんの説得の中で「どうせお前は組織の駒、歩兵にすぎないのだから、使い捨てにされる。深入りするな、止めとけ」というような言葉がある。
しかし、主人公は断りの手紙で「お前だって歩兵じゃないか」と書き返す。
そうなのだ、互いに歩兵に過ぎないのだ。
むしろ主人公は今いる工場でさえ歩兵以下の扱いを受け、これ以下はないくらいだ。
この映画に出てくる男たちにはムカつく。いや、映画に出ている男がムカつくのではなく、権力を握っている集団にムカつく。権力を握って、それを平気な顔で押し付けてくる奴らがムカつく。
もっと映画館が怒気に包まれてもいいんじゃないかと思った。
「工場長のクソ野郎!」「公安のおっさんは引っ込んでろ!」「警察が暴力振るうな!」「ろくに子供を育てられないなら、親権とか抜かすな!」などスクリーンに向かって、幾度となく声を張り上げたくなる。
しかし、周囲から涙をすする音が聞こえたので、驚いた。
今の日本ではまだこれらの活動を、昔を懐かしむように、過去の頑張りを眺めるように、見られないのではないか。
泣いている場合ではなく、怒りを持って、現実にフィードバックする時代なのではないか。
そんな風に思う。
最後に、スクリーンに参政権を獲得した国の一覧が流れた。リード・オン、先導せよという一語に希望を託し、闘った国々だ。
そこに日本はなかった。
なかったのである。