埼玉県立近代美術館(MOMAS(モマス))の企画展『日本におけるキュビスム―ピカソ・インパクト』展に行った。
日本における「キュビスムの受容」に着目した展覧会、と聞けば、それだけでもう面白いだろうと思わせる企画力の強さを感じる。
日本が海外からの影響をどう受けたのか、というのはここのところよく見かけるテーマではある。
2015年の東京芸術大学大学美術館『ダブル・インパクト』展もそれだった*1し、『二科100年』展にも、2016年の『黒田清輝』展にも、それぞれそうした「西洋⇒日本」の視点があった。
未開の日本が「開国」させられたことは間違いない事実であって、その影響を無視は無論、軽視することはできない。
問題は日本が西洋をどのように受容し、今に至るのか、ということである。
で、キュビスムに焦点を当てたこの展覧会では、「1910-1920年代におけるキュビスム受容」と「戦後におけるピカソという大いなる存在の影響」の二つの時代を対比させて、提示する。
やっぱり前半の方が面白い。
1910-1920年代は情報が少なく、雑誌も白黒の分かりにくい印刷で、キュビスムが紹介されたと言っても、何が何だかわからない。
フォービスムもキュビスムも未来派もダダイスムも、全部ごっちゃになって海を渡ってきたものだから、ますます混乱を深めて、それぞれの画家の頭の中で考えた「ぼくのアヴァンギャルド(前衛)」が開陳される。
だから、頓珍漢とは言わないまでも、独自の解釈・発展により、不思議なことになっている人も少なくない。
しかし、それこそ「アヴァンギャルド」であり、だからこそエキサイティング=芸術だ、と思わせられる活気がここにある。
反対に、ピカソ以降はまんまピカソの模倣なものもあって、それぞれの作家の苦悩が見えるが、「アヴァンギャルド」か、と言えば、そのものではないと思う。
むしろ、その模倣は作家の苦悩の一端であって、これを一つの出発点として、その人たちの表現がスタートしたのだろう。
さて、いくつかの印象に残った作品を紹介して、この展覧会の感想としたい。
まずは未来派とキュビスムがごっちゃになっているこちら、河辺昌久の『メカニズム』。
SF小説の表紙のような、このサイバーパンク感はたまらない。
次に坂田一男の『浴室の二人の女』。彼は日本において早い段階からキュビスムを受容し、そしてその後ただ一人、キュビスムの可能性を探求した作家、とのこと。
しかしこの浴室の表現のかわいらしさ。左上にある、ひねるスイッチらしきもののある四角い箱。我が家のバランス釜の風呂にも同様のスイッチがあるため、なんだか笑ってしまった。
あと、こんな狭い浴室になぜ二人で入ろうとしたのか、などなど、観ていると感想が溢れてくる。
尾形亀之助『化粧』。
尾形亀之助の名は詩人として知っていたが、初めて絵画に触れた。モダンな作風で驚いた。詩人としてもモダンではあるが、どことなくやけっぱちな感じがかっこいいと思っていたので、絵画でのこの表現は新鮮だった。
まあしかし、彼の出版した詩集のタイトルは『色ガラスの街』だの『雨になる朝』だの、おしゃれーな感じがするものだと思うと、この表現も納得ではある。
青空文庫で読めるので、詩の方もぜひ。
後半、ピカソからの影響の大きい作品は、たとえば以下の二つの作品など、その苦悩は分かるものの、「まんま」な感じにどう反応すればいいのか、困惑する。
鶴岡政男『夜の群像』
山本敬輔 『ヒロシマ』
しかし、たとえば難波田龍起の『湖』などは、その形態はピカソの牛を彷彿とさせるものの、クレーなんかも思い起こさせる素敵な抽象表現となっている。
こうやって、その作家なりにピカソを消化したのだろうと感じられると、やっぱりほっとする。
最後に、谷角日沙春『猫と八仙花』。
どこがどうとかよく分からないけれど、すごい、と思った。この作品を最後に展示するのは、ちょっとずるいと思ってしまうほど、素敵な作品だった。