深澤真紀さんの講演会に行ったら、面白すぎたのでメモ。
印象に残ったところだけかいつまんで書かせていただきたいが、深澤さんはとてもお話がうまく、かいつまんだ内容だけを見るよりもちゃんと講演を聞きに行って、その全体を聞いてもらいたい。ぜひ、他でやっていたら行くべきである。
1.若者にチャンスを与えていない社会
20代男性のうち、正社員であれば、25%が結婚しており33%に交際相手がいると言う。つまり半数以上にパートナーがいる。と聞くと、最近の若者は結婚しない、恋愛しないはずじゃなかったの!?と驚かないだろうか、ぼくは驚いた。
しかし非正規雇用で働く20代男性になると状況は一変する。結婚している人は4%、交際相手がいる人も16%。パートナーがいない人が8割となるのだ。
そして非正規雇用で働く人の割合はどんどん増加している。最近のデータでも、高齢再雇用を含めた数字とはいえ、就業形態のうち非正規雇用が4割を超えたことがニュースになった。以下リンクは日本経済新聞と言うこともあり「不本意は減少」などとポジティブな見出しにしたいという気持ちがにじみ出ているのがおかしい。
この「不本意が減少」も高齢再雇用が増えたことを踏まえれば当然の結果だろうが、と鼻で笑いたくなる。
正社員であれば、先行きがちょっとは見えるので、彼女もできるし、結婚もできる。
一方、非正規社員は、結婚は当然のことのようにありえなく彼女もできない。
深澤さんはこの原因の一つに「女性の母親の反対」というものがあるのではないかとおっしゃっていた。「そんな非正規社員の人と結婚なんてしちゃだめ!もっといい人がいるはずよ!」と娘に厳しく言いつける図式があるということ。
また反対に男性側の親も「非正規社員のくせに結婚なんて大それたことを言うんじゃないっ!」と一喝して、男も結婚できないのである。
そんな親たち勤める会社を見てみれば、若い人たちはみんな非正規社員だったりするので、この社会の歪みは根深いものがある。
「ちゃんと就職していない人は結婚してはいけない」という日本ルールは、「ちゃんと就職」させない現代日本においても機能しており、非正規雇用の若者が増えると同時に結婚できない若者も増える、という見事なコンボを見せている。
20代男性だけを正社員にすればいいわけでなく、女性の雇用も増やせば子どもが増えることはフランスや北欧における成功例があるのだから、取り組まざるを得ないと厚労省も認識している。
チャンスを与える、という言い方を深澤さんはされていたが、ぼくはそもそも親が何の疑問もなく「結婚しちゃダメ!」と言えることに恐ろしさ、親世代の「自分たちが良ければいい(会社を見渡せば非正規ばかりのくせに、自分の息子が非正規なことを"ちゃんと就職していない"などと思える)」感覚の身勝手さを思う。
非正規雇用の増加とともに若者の貧困率は上がっているらしい。貧困率が増加すると大抵犯罪が増えるものだけれど、日本では若者の犯罪は減っているそうだ。この現象は日本でしか見られないものらしく、その理由を紐解く一つのデータが「日本の若者の死因の一位は自殺」というものがある。他の国では「事故」だそうだ。アメリカの二位は例外的に「殺人」らしいが。
なにせ、日本は食えないんならものを奪ってでも食う、とは発想しない(治安としてはとてもいいことだ)。そうではなく「食えないのは自分の責任だから、死ぬ」のである。
そうやって「若者を自殺へと仕向けているのは大人だ」とおっしゃっていたのはとても印象に残った。
2.若者VS親世代
対立軸を作りたいわけではないが、若者と親世代の間の意識の差は大きいものだと感じた。
日本の歴史をたどるととにかく平穏な社会が長く続いていて「戦国時代」と「明治維新」以外にドラマがない。その時代だけが何度も大河ドラマとして繰り返されて、がつがつした「男らしさ」が作られている。
「伝統的な家族」というのも、昭和の一時代に限ったものを想像しているだけで、それ以上ではない。平安時代の母系社会、通い婚があり、封建社会があり、近代における家族全員が商売し家事育児をする社会があり、まあ、なんせ「伝統」というのは精々五、六十年程度のもののくせにやたらと大威張りしているのだから可笑しい。
時代の移り変わりとともに社会も変わり家族も当然姿を変える。いつまでも「自分が築いた形」にこだわって、ましてやそれを強いるのは傲慢でしかない。
親世代にとって自分たちが過ごしてきた時間、人生は長く、正しく、今さら変えられない。若者にとっても親世代が過ごした長い時間はむげにはできない。
それでも、若者は親世代の「楽しくない人生」に勘付いてしまっているし、加えて自分たちをうまいこと使おうとしている、利用しようとしていることにも気づいている。
「社会は甘くない」とばかり言う親世代から、人生の何に期待して何を楽しもうとすればいいのか学ぶことはできない(社会は案外甘いのに)。
親世代はもっと「楽しむ」ことを見せて、もっと若者に期待して、もっと若者に頼って、若者を支援しないと、介護やこれから先の人生で、若者から用済みにされる、見捨てられることになってしまうのではないだろうか。
年を取り、弱ってしまえば、かつて偉かったことには何の意味もないし、見返りなく面倒を見る人もいない。
それでも人なので、かつて面倒を見てくれた人には恩を感じて面倒を見るものだと思う。恨みを買わないよう、将来面倒見てもらえるように、今のうちは偉ぶらず、面倒を見るのが得策だと、気づいた方がいい。
3.機嫌良く生きる
子どもの頃読んだメアリー・ポピンズの物語で、機嫌が悪い少年に向かって「今日はベッドの悪い方の側から起きたのね」というエピソードがある。少年はそれに対して「ぼくのベッドは壁についているからいつも同じ側から起きている」と反論するのだけど、メアリー・ポピンズは「今日はそちらが悪い側だったのでしょう」と意に介さない、というお話し。
朝、何はなくとも機嫌の悪い日があれば、何はなくとも機嫌のいい日もある。
できたら、毎日ベッドの「いい方の側」から起きたいものだが、どちらがいい方か悪い方かは起きてみないと分からない。
毎日いろいろあるし、たくさんのことをやらないといけないから、なるべく自分を「すり減らさない」ように生きましょう、というのが深澤さんのお話し。
人生はどう考えても長い。
さらに現代の情報量は半端でなく多い。情報量の処理の観点からしても、過去の人々が感じた人生の時間感覚より、僕たちの体感している人生の方が確実に長く、濃密で、うんざりする。
この長い人生に立ち向かうにあたって、少なくない人が人生の意味を求めて宗教にすがるわけだが、多くの宗教も人生に意味を与えてくれるわけではない。
しかも下手をするとスピリチュアルな、うさんくさい商売にひっかかっちゃたりする。
「人生全体」みたいな考え方はやめて、日々「寝るために働き、出すために食べる」感覚で、ぶれつつ、流されつつ、機嫌よくしておくのがいい。
そのためには自分はどういう時にどういう反応をするのかを知ることが大切で、特に「悪い予感」対策をしっかりやることが、機嫌よく生きていくコツだ。
「悪い予感」に対しては、それを感じたら「逃げる」=行かない、参加しない、やらないのがいい。
「乗り越える」「成長する」のは上手くいった人たちの言葉でしかないので、うのみにしない。やっぱりやりたくないことはやりたくないし、できないことはできないのだから無理にしない(志は低く、プライドは優しく)。
自分が「機嫌良く生きる」ことで周囲もほっとして機嫌よくなるだろうし、そうするとさらにその周囲の人も機嫌よくなって、機嫌よい輪が広がるととても素敵だ。。
幸せは他人との比較なので誰かを不幸にしないといけないけれど、機嫌の良しあしは自分だけの問題なのでそれこそ「コスパ」がいい。
それでも機嫌が悪い時や不安がある時、悩みがある時は「やけ酒」「やけ食い」より「ふて寝」「ふて風呂」!昼過ぎから風呂に入って寝てやれば、案外すっきりするものらしいし、財布も体も傷めないどころか労わられるのでとてもいいそうだ。
悩み事は相談しましょう、というけれど、相談すると問題が膨らむ事も多いので、環境を変えてみて、いつもと違う駅で降りて見て、知らない八百屋でアボカド買ってみたり、レジのお姉さんに「今日嫌なことあったんですよねー」とか言って「あ、そうなんですか」みたいな間の抜けた返事をもらってみたり、そうしていると気持ちも少し楽になって、悩み事も軽くなっていたりする。
なくならなくても、軽くする、減らすことで楽になる。
以上雑多に書いてしまった。僕のメモ、ということです。
志は低く、機嫌は良く、生きる。そうだよなあ。何かに振り回されて楽しかったことなんてないのだから、ドラマは求めず、一日一日を着実に。