衛生観念、キレイさ、清潔さの基準は人それぞれだ。
自分の衛生観念と他人の衛生観念の程度の差を知る瞬間は、とても怖いものである。
カレーをぐっちゃぐちゃにかき混ぜるとかお箸の持ち方や魚の食べ方、ものをすする音、噛む音。
ジーパン洗ったことないとかバスタオル洗う頻度とか。
手洗いうがい、歯磨きの習慣、歯磨きの時間、そんな短いの? そんな長いの? 歯磨き用のコップって洗うの?とか。
洗濯機の洗濯槽って本当に汚れているのだろうか。エアコンのフィルターって掃除したことない。そういや室外機ってめちゃ汚い。
トイレやお風呂のきれいさ、きたなさ、洗い方、洗うところ、洗う道具…。
野菜とか食材の「いける」判定。
半年前に賞味期限切れた程度なら食べられるよ。消費期限切れの卵でもしっかり火を通せば食べられるでしょ、とか。
インスタントラーメンは体に悪いから食べない。スーパーのお惣菜はどこ産か分からないからダメ、とか。
野菜の切り方、細かくってどのくらい、二センチ幅ってもうちょっと細いよ、皮の剥き方が危なっかしい。煮込みすぎ、反対に火はもっと通さないと、とか。
言葉づかいの汚さとかも衛生として含めてもいいかもしれないと僕は思う。
マジとかクソとか、下品な言葉を使っちゃったり、きしょい、ムカつく、死ねって反射的に言っちゃったり。
敬語を正しく使えなかったり。そもそもそんなもの知らなかったり。
変な口癖があったり、上から目線の言い方だったり。
情けは人の為ならずとかすべからくとか役不足とか確信犯とかの使い方が間違ってたり。
十把一絡げとか羞恥心とか御用達とかの読み方を間違っちゃったり。
きれいはきたない、きたないはきれい
育ってきた環境が違うから、しょうがないことなんだろう。でも、あまりにもズボラはあかんし、合わせる気がないのもおかしい。
ちょっとぐらいの汚れものを、目をつむって受け入れ合えたら素敵だし、おかしなことを指摘できない関係の方がおかしい。
MERSの前はSARS(重症急性呼吸器症候群)、エボラ熱にデング熱、鳥インフル、豚インフル、PM2・5。不安と不信の材料は尽きない。今回の取材でも韓国、台湾、中国、日本を循環する近隣不信の連鎖が見えた。「自分の国は清潔で、他国は不衛生」。どこの国のだれの胸にもそんな暗い幻想が巣くっているのだろうか。
悪の凡庸さは、自分は普通のことをやってるだけだとみんな信じていることじゃないだろうか。
結婚だって、仕事だって、頑張らなきゃやっていけない。なぜか専業主婦としての仕事が出来ることは当たり前という認識の上で女性の社会進出が謳われている。専業主婦が軽視されすぎではないか?家事ができて当たり前なんて人生はいつから難易度を上げたんだ?残業して帰ったら21時を過ぎている。あと12時間したら、自分はもう職場にいるだろう。
私は「普通」で、私の周りもだいたい「普通」で、どうしてあなただけ「普通」じゃないの?と無垢な顔で言える人が羨ましい。
あなたの普通と私の普通は全然違う。
同じ日本語に見えて、異なる言葉を話しているし、同じ時間のようで、異なる時間を過ごしている。
他人はたくさんいるが、自分は一人しかいない、最も普通でない、特殊な存在だ。
他人にとってもそれぞれ自分は一人しかいないのであり、つまり全員特殊である。
しかし、特別な人は、いない。