わざわざ「様」なんてつけちゃって、と自分でも思うけど、神様について。神について、ではなく。
照ノ富士が大関に昇進した。
「横綱は『なりたい』と言ってなるものではない。自分で選ぶのではなく、神様が選ぶもの。選ばれるように努力して頑張りたい」
と述べたそうだ。
ガガ丸の「神様からメールきてて」ってこういうことなのかな pic.twitter.com/itkEOe6PmS
— 砂漠力士 (@SabakuRikishi) 2015, 5月 19
信仰にはいろいろあると思う。
ぼくにはぼくの、人には人の、神様がいる。
たとえ同じキリスト教を信じていても、心の中に現れる神様は人それぞれだとぼくは思う。
ぼくの母はクリスチャンで、母にとっての神様は「乗り越えられない試練は与えない」「あなたならこの試練を乗り越えられるはず」と、とても厳しい神様であったようだ。
ぼくの父は、ぼくはあまり詳しくないけど、浄土真宗かなにかで、正直あんまりよくわからない。西向きに手を合わせるタイプである。
突然引き合いに出すと、小沢健二は歌詞の中でよく神様という言葉を使う。
神様はいると思った 僕のアーバン・ブルーズへの貢献-ある光
神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように-強い気持ち強い愛
神様を信じていない人はいるのだろうか。というか人は神様なんていないかのように日頃生活しているのだ。この世は因果だけで、時間は今から未来へ向かうのみ、放たれた言葉と銃の弾丸は戻ってこないような世界。
じゃあその因果の始まりは?そして終わりは?
知らない、じゃ済ませられない。
キリスト教徒に近いぼくにとって神のいない世界は不思議だ。
自分と他者と、事実だけがこの世界を支えてるなんて、少ししんどい。神様に少しは持ってもらわなくちゃと思う。ねえ、神様、ぼくたちはいつかあなたに会うだろうか。もしかしてもう会っているのだろうか。
謙虚さなんて要らない。ただ、理屈に合わない思いやりを神様を通して感じたい。
自分のせい、他人のせい、そんなことばかりはない。神様のおかげなことと思えば、悪いこともいいことも素敵だ。
神様のせいにせず、神様に感謝しながら。
いつだってすでにぼくらは神様から選ばれてここにあるのだろう。
周りの喧騒を思い、そんなことを考える、五月は晴れている。