2014年も終わるのだなあと去年はろくにしなかった大掃除をしていたら、年末みたいだなと思って、つまり年末は年末からやってくるんでなく、年末のように振る舞った結果年末になるのだななんてことを思った。
12月になってリアル脱出ゲームが楽しくて二回も行ってしまいました。
ぜんぜんダメで二回とも脱出失敗してしまっているのだけれど、来年には脱出したい。
一回目は細かいクイズというかパズルをたくさん解くパターンで、二回目は全体像を導き出すようなクイズというかパズルというか謎解きで、ぼくは二回目の、情報を並び替えていくような作業が好きだった。
時間設定が絶妙で、一時間と決められているのだけれど、あと五分あれば、というようなところまでは解けるもので、それが悔しくてまた行きたいと思う。
複数人で協力するゲームなので、油断するとお金を払っているのに全然参加できずに終わってしまう可能性があるのだけれど、僕の場合、一回目に行った時は友達が主体となって解いてもっと参加しないと楽しくないな、となって、二回目は自分がけっこう主体となって解いて、楽しかった分解けなかったのが悔しい。
どちらにしても、最後の最後まであきらめずに解こうとしたくなるところが楽しくて、仕事でも普段のちょっとした遊びでも、どこか最後の一秒までやり切りたいと思う感覚に飢えているところにびたっとはまったのかなあと思う。
こうやってゲームでその感覚を思い出すことで仕事や普段の生活に対して反省するというか、やっぱり最後の一秒まで考え切らないと楽しくないんだと思い出させてくれる意味でも、このリアル脱出ゲームというのはただの遊びではなくて、現実へのフィードバックのある実のあるゲームだなあと思う。
小説なんかもそういうものだと思う。
楽しむことそのものを目的にした結果、自分の普段の暮らしを見つめなおすことになる、というのは少なくないと思うのだ。
ホイジンガとかカイヨワとか「遊び」についてはたくさんの研究があると思うのだけれど不勉強で知らない。
でも純粋な楽しさの結果が自分を思いがけないところに連れて行ってくれる、なんてことを経験したことのある人は少なくないと思う。
最近、大学入試の形態が変わると言うようなことがニュースになっている。
ペーパー試験よりも人間性重視みたいな話に聞こえて、けっこう危ういようにも思えるけれど、まあ、ぼくは大学受験をしなかったのであまり意見はない。
ただ、面接なんかでボランティア経験を聞かれるからボランティアをするのはおかしいなあと思う(もしそういうことがあれば)。
それはたとえば、体育会系にいれば就職が有利になるから特にしたくもない部活動を中学生の頃から10年間もやりました、というような感じで、何のために何を犠牲にしているのか本末転倒はなはだしいわけだ。
本来は体育会系の部活動に参加するのはそのスポーツが好きな人、やりたい人のはずで、それがたまたま上意下達、トップダウン方式、軍隊式な日本の会社組織にマッチしていただけなのに、どこで誰か取り違えたのか不幸にもやりたくないスポーツをさせられる人が出てきちゃうなら、意味がない。
ボランティアだろうが部活動だろうが生徒会活動だろうがやりたい人がやればいいのに、大学に行くためにそれをするなら、それは不幸が発生する可能性があると思うので、なるべくそういう人がいないような入試制度にすべきだなんてことは僕が言わなくてもいいことだろうと思う。
何が言いたいかと言うと、体育会系の部活でも「そのスポーツに打ち込みたい!」という熱意が結果として就職という形を迎える(上意下達、軍隊式に適応する)というような、いわゆる「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」みたいなことが起きるのが、社会の面白さなのだなあと思う中で、リアル脱出ゲームもそうなのだ、ということが言いたかったのである。
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 - Wikipedia
(要約⇒キリスト教にも「カトリック」と「プロテスタント」の二つの種類があるけれど資本主義は「プロテスタント」が主流の国で発達した。なんでだろうか。
そのヒントは、プロテスタント独特の「予定説」という発想である。
「予定説」とは死後神に救われる人は、生まれた瞬間にもう決まっているというもので、現世で良いことをしようが悪いことをしようが救われる人は救われる。
えーと思うけれど神様が決めることは神様にしか知れないのだから文句もくそもない。
で、でも逆に、少なくとも神に救われる人は神に救われるような人だと思うので、やっぱりめっちゃ悪人が救われると言うことはちょっと考えにくい。
やっぱり真面目に頑張ってる方が救われる人っぽいのだから真面目に生きて死後救われるだろうという実感を持って生きよう、ということになった。
その態度は、真面目に頑張る=社会に貢献する=お金を稼ぐ、というようにつながって、資本主義を成長させることになったのだ!という話。すごいこじつけのようにも聞こえるけれど、社会学の古典中の古典であって、社会学とはいわば関係なさそうなものをくっつける学問なのだ。要約ようやく終わり)
というわけで、リアル脱出ゲームは純粋にも楽しめるけれど、ぼくにとってはその結果、脳みそをフルスウィングする尊さみたいなものを思い出させてくれたのであって、今でもかなり人気でチケットを取るのがいちいち大変なのでおススメしたくないけれど、おススメなのである。
来年こそクリアしたいなあ。