Nu blog

いつも考えていること

お笑いと想像力と本音とこれから

お笑いについて考えたい。
といっても、ぼくは現場に通っている人間ではないので、お笑いの最前線にいる人からすれば反発必至かもしれない。
それでも一つ、言いたいことがある。
お笑いに次の想像力を提示してほしい、という希望だ。

ぼくは高校生の頃、お笑いの道を考えたことがある。
同級生に誘われて、だ。
結果、ぼくはやる気がなく、だらだらと今に至る。
その同級生はお笑いの道を歩んでいる。
誰というほどではない。誰というほどになってもその誘いに乗らなかったぼくが言う話ではない。
で、彼に「『漫才師やってみたいと思ってるねん』というネタを考えた」と言ったら、ばっさり「それはおもろない」と言われたことがある(たぶん、覚えていないだろうけど)。
でも、今思っても、そのネタは多分時期に合っていた、あるいは遅過ぎたくらいだと思っている。
今、それくらい漫才はめっちゃおもろなく、お笑いもまた同様なのだ。
なぜなら、その先のネタが必要だからだ。


自分の考えるお笑いのことを少し書く。
極私的お笑い論。

1989年、兵庫県で生まれ育った僕にとってお笑いとは吉本新喜劇であり、漫才であって、それらはテレビによって身近なものだった。
テレビのおかげで、あまりに身近すぎて、実際の吉本新喜劇や演芸場に足を運んだことはない。
土日の昼は、新喜劇とそれに続くネタ番組がやっていて、正月でもないのに延々テレビでネタを見るのだ。
オール阪神・巨人、とか、海原はるか・かなたとか。
小学生の頃はベタが好きで、大木こだま・ひびきの「そんなやつおらんやろ〜」とかおかけんた・ゆうたの「ええ声〜〜!」とか、そういう単純なのが好きだった。
懐かしいなあ、おかけんた・ゆうた
ティーアップとか海原やすよ・ともことか。関東の人に言ってもまったく伝わらない気がする。
すでにますだおかだ矢野・兵動メッセンジャーとか、2丁拳銃ハリガネロックアメリカザリガニあたりは新人の賞レースで顔が知られていた。
といっても関西ローカルだったから、たとえばますだおかだなんかが後に全国区の番組に出て「新人」っぽく振る舞っているのが変に見えたものだ(そう言えばM-1に出てくる漫才師も10年以内という割には知った顔ばかりで新人賞のわりに不思議な感じがしてた)。
まあそれはさておき。
とにかくネタありきだった。
トーク番組は怪傑えみちゃんねるくらいのもので(上沼恵美子という偉大なるおばちゃんがいるのだ)、ネタの面白い若手はこの番組に呼び出されて、天才・上沼恵美子に「あんたトークおもろないな」と言われるのが大抵のオチなのだ(上沼恵美子に比すればほとんどの人はおもしろくない)*1
あとは、明石家さんま島田紳助とんねるずの番組があったけれど、どれも若手芸人を使った彼らの芸なのだった。結果、明石家さんまは素人を使った「恋のから騒ぎ」、島田紳助は芸を持たないタレントを使った「ヘキサゴン」や「行列のできる法律相談所」、とんねるずは歌手をいじる「うたばん」等、若手芸人を使わなくても笑いが取れることを証明してしまうのだから、やはりすごい才能である*2


お笑い番組は土日の昼間にしかなく、ゴールデンタイムはドラマを見るか、野球を見るかという時代から、いつの間にやら、たぶん小学校高学年から中学校にかけてナインティナインがものすごく人気になって、ガラッと変わる。
めちゃイケぐるナイ
見てないと次の日の話題がわからない感じ。
仲間のノリを楽しんで、遊んでいるような、それはネタなのか、一種のドキュメンタリーなのか、見たことのない番組だった。
あと、ウンナンウッチャンナンチャン笑う犬の冒険炎のチャレンジャーウリナリ
これまた不思議で、番組の中でゲームをやっていて、それが学校で流行るのだ。
ぼくはもうまったく馴染めなかった。1ニョッキだの「ぶんぶんぶぶぶん(バイクに乗って数を数える奴、あれなんていうのか忘れた)」だの言えるか!という感じだ。でもどこでもあれやってたから、すごい影響力を感じる。
しかしながら親世代は「何を話してるんかようわからん」と言って、見ている僕ら(兄と僕)に「騒がしいから音量下げて」と言うのであった。

時は90年代後半合から2000年、お笑いブームだったのだ。
ナイナイやウンナンのような「仲間で遊ぶ」を見せる今までにない番組とともに、2000年代に入ると笑いの金メダルエンタの神様爆笑オンエアバトルといったネタ番組も増え、今よりもネタを見る機会が膨大に、それもゴールデンタイムに流されるようになった。
今でも覚えているのが、陣内智則が「マジっすか!」という深夜番組をやっていて、あれをネタ番組というのかは分からないが、若手芸人、といってもバッファロー吾郎野性爆弾テンダラーあたりがわけのわからないVTRを作って、その異彩ぶりを発揮していた。
思えば今のアメトークのような感じか。
なんというか、むちゃくちゃなことばかりしている番組だったような記憶がある。
ネタ番組とは言い切れないけれど、才能をパッケージ化して見せる点では、ネタ番組と言ってもいいと思う。
ゴールデンタイムにお笑いが出てくると、その前段階、お試し的な位置づけの番組が深夜に放送され、ここで評判が出るとゴールデン進出、という流れもこのあたりから始まった。
がんばって夜更かししたり、録画したり(Gコード予約というのがあって、新聞には番組名の横に8ケタくらいの番号が振ってあった)、いろんな手段で、ずっとテレビに張り付きだった。

爆笑問題くりぃむしちゅーの存在もここが華だったと思う。
バク天カワズ君の検索生活といった、今のシルシルミシルなんかの系譜になるのか、スタッフの作ったVTRを見てコメントする番組は、僕にとってここらへんが最初だ。
特にバク天アンガールズ猫ひろしを発掘し、検索生活は掟ポルシェを表舞台に引っ張り出した。
くりぃむしちゅーのたりらリラ〜ンも好きだった。あのベタドラマ、見てた人いるんかな。今でもたまに見たくなる。


とにかくお笑い芸人がたくさんいた。
今もたくさんだけれど、その頃から突然たくさんになったのだ。
ちょっと前まで、とんねるず明石家さんま島田紳助の番組しかなかったのだ。
それが、ばっと花開いたようにここも芸人、あそこも芸人というように、テレビのチャンネルどれもお笑い番組になったのだ。

しかしながら、ゴールデンタイムにおけるお笑いは、自分たちだけでは笑いを作れず、外をバカにしたり楽しませたり、あるいは仲間で遊んだり、自家中毒に陥っているだけにも思えた。
それは大御所たちが素人やタレント、歌手をいじりだしたこととリンクしている。仲間内で遊ぶナイナイにしても毎回ゲストとしてアイドルや俳優を呼んでいたし、ウンナンも社交ダンスを踊ったりしていた。
真剣にやることを売りにするいわゆる「リアリティ番組」調のものが増えて、以前からあった電波少年やガチンコ、ASAYANに加えて、あいのりやサバイバーといったものがあって、バラエティ番組においても予定調和よりも何か展開が読めないことを求める風潮があったのかもしれない。
といっても、それらの「読めない展開」はさほどのものではなく、ゲームに負けた罰ゲーム程度のものであり、体を張った当時の芸人たちに失礼かもしれないが安全圏な笑いとも思える。
そういう意味で言えば一番体を張らせた番組は「ロンドンハーツ」だったと思う。
たぶん今でもやっている「格付け」や、初期の名作「Bl@ack Mail」、このブラックメールは当初素人のカップルに対して仕掛ける(素人のカップルの男性に女性を近づけ、告白して浮気を迫る)という残酷な企画があって、恐ろしいものだった。
Wikipedia見てたらカミングアウト温泉とかあって、めっちゃ懐かしい。
展開の読めなさ、というか「次にどうする?」を迫る番組としてロンドンハーツはたぶん一つの到達点だった。

しかしなんにせよ一度才能を認められたら、お笑いのサークルに入ったら「なんやらファミリー」「なんやら軍団」として安泰、というような刺激のなさ(刺激は「内部」における演出によって作られるもの)とある種の平和的な笑い(その平和は閉鎖的なもので、いかに「外部」を作りそれを笑うか、という構造を持っていたように思う)。
ネタ番組はその入り口、試金石的な位置づけのようだった。
90年の終わりから2000年代初めののほほんとした、終わりなき日常のムード。


その一方で2001年、M-1グランプリが始まる。
これはもう革命的な番組だった。
しかし、初代チャンピオンが中川家、また2回目もますだおかだ、3回目はフットボールアワー、とそれまでにずっとネタを見てた連中の、ごく順当な、ABCお笑い新人大賞の大きい版、みたいな印象はあった。

何が革命的だったか、と言えば、そんな見慣れた連中の中に麒麟笑い飯、千鳥らが各回で「ノーシード」として現れ、その衝撃的に「新しい」笑いをぶちまけたことである。
今までに見たことのないやり方、ボケ方、ツッコミ方。
テンポが違う、見ている景色が違う、次に何を言うのか分からない。それまでの漫才なら「そう来るかあ」と唇の端を上げて笑うところが、「そう来るか!」とあんぐり口を開けるしかなかったのだ。
いわば、野球を見ていて、次に何を投げるのか予想していたら、突然マグロをさばき始めたようなもので、「何を言うかわからない」の質がガラッと変わったのだ*3

その後土日のネタ番組でよく見かけるようになっても、いつも新鮮さに驚くというか、オール阪神・巨人大木こだま・ひびきがつまらないものに見えた。
ちょうど堀江貴文が「想定の範囲内」という言葉で世間を翻弄していた時代だった。
1000万円をかけた戦い、という構造は、宇野常寛の言う決断主義の時代が表されるようになったようにも思われる。
そのためにネタを作る、というますますお笑いにとってネタは入口、という流れが確立され、売れた芸人はネタをしない(賞レースから降りる)のであった。


そして高校に入ってから、つまり2000年も中盤に差し掛かった頃から、アメトークが始まり、今よく見るお笑いの形、いわゆるひな壇形式のトーク番組が増え始める。
バラエティ番組全盛の時代で、トリビアの泉IQサプリクイズヘキサゴンもこの頃がピークだったんだと思う。
ネタ番組は子供騙しみたいなエンタの神様と、短すぎて笑う暇もないレッドカーペットしかなかった。
土日のネタ番組もいつの間にかなくなって、ゴルフやドラマの再放送になってしまった(リーマンショックが起きた2008年を境に広告がどっと減った、あるいはこんな企業、こんなCMが流されるのか、というようなことも増えた)。
結果としてお笑いは、いつの間にかバラエティ番組に姿を変えていた。
いつも通りのオープニングからいつも通りの流れや波乱(いつも通りの波乱、というのも変な言葉だが)があって、いつも通りのオチがあるバラエティ番組。


この頃M-1グランプリはまた、ブラマヨチュートリアルといった、関西にいればおなじみのコンビが勝っていた(ハイヒールビーバップという筒井康隆江川達也も出ていた番組の隔週ペースのレギュラーだった*4
おなじみながらも自分らのスタイルを捻ったり曲げたりした彼らの努力には恐れ入る。
そんな中、ぼくは西以外の漫才に驚いていた。
おぎやはぎポイズンガールバンドタカアンドトシ、ナイツ、サンドイッチマン南海キャンディーズ、あっと驚くボケじゃなく、一つ一つ丁寧に作り上げたツッコミが笑いどころとなっていて、素敵な漫才だった。
しかしサンドイッチマンを除くほとんどが、M-1本番では高い評価を受けることがなかった。
早口なことはあってもどこかゆっくりとしたテンポでボケる彼らが主流となることはなかった。
どんどん早いテンポを求めて、ボケを重ねていくのが主流だった。


上述したとおり、この中学から高校にかけて、ネタ番組というお笑いは減り、反対になんでもかんでもバラエティ番組になっていた。
スポーツにしても、たとえばバレーボールやフィギュアスケートなんかに象徴されるやたら煽る風潮があって、まるでアイドルを見るような感じになってきた。
スマスマは90年代からだが、TOKIOや嵐、関ジャニと言ったジャニーズのバラエティ化はとどまらず、果てはニュース番組をバラエティ化するかのように、キャスターの位置にさえジャニーズがいて、芸能ニュースや社会問題にコメントするようになる。
反対に女性アイドルは冬の時代で、2010年を越えてPerfume、そしてAKBの流行を待たなければならないけれども、彼女らにしても冠番組でバラエティ番組を持つことになる(気になる子ちゃんは2008〜2009。まじか。ここらへんはちょっと時代認識がずれているかもしれない)。

お笑い芸人も「バラエティ番組最適化」された人ばかりが目に付くようになる。
土田晃之次長課長品川庄司バナナマンといった人たちだ。
彼らのネタをぼくはほとんど見たことがない。気がついたらそこに座ってうなづいたり合いの手を入れたりしていたのだ。
その頃からぼくは、あまりテレビを見なくなった。
バラエティ番組というのは、笑わせることばかりが目的じゃなく、むしろ仲良くすることが目的だ。
だから危険なことに挑戦したり、泣かせるような演出があったり、驚く出来事がないといけない。
これはひとえに「得したい」という視聴者の欲望を反映させたものじゃないかと思う。
どうせ同じ一時間なら笑ってばっかりよりも喜怒哀楽いろいろ体験したい!というのがバラエティ番組の興隆につながっている、という見立てだ。
悪いことじゃないけれど、テレビという娯楽にそんな効率というか、役立つことを求めているような気がして、たぶんぼくはテレビを見なくなった。


そして2010年、M-1が終わる。
僕はこの2010年大会を強く記憶し続けている。
こんなに象徴的に、お笑いが終わったことを示すのかと悲しかったのだ。

終わりの予感は、実は2008年のハライチに感じていた。
といっても彼らは決勝には出ておらず、準決勝に進出して敗者復活に臨んでいた。
ぼくは暇だったのでそれをBSで見ていた。
そして、ああ、もうお笑いはここまで来ていたんだなと思った。
ハライチというのは「〜の〜」とか「~な~」というテンポ、語感だけの言葉を連ねて、あたかもアドリブのようにその無茶振りに応えていく、という形だ。
これは漫才でもなければコントでもない。
おふざけだ。
褒め言葉である。
本来漫才とは「人が対話する」ことを基調としており、そこに本音(らしいもの)がないと入り込めない。
だからブラックマヨネーズなら肌が汚いことから色々悩まないといけないし、チュートリアルなら勝手な妄想をしないといけない。
人と発想が結びついているからこそ漫才になる。
対してコントは「キャラが話す」ことを基調とするので、誰であろうと構わない。演じているキャラクターが何を言うか、どうしてそんなことを言うのかが理解できればいい。
たとえば東京03なんかだと、「少し身勝手な人」「いじられている人」といったキャラクターを序盤にさっと提示して、その後の展開を生み出す。
演劇のようでもある。
反対に言えば、漫才は演劇ではない。
当然何回も練習したこと、何回も同じことを言っているかもしれないが、演劇的、キャラ的になった漫才は漫才ではない。

たとえばサンドイッチマンの漫才はほぼコントだ。
でも彼らはそのコント的世界に入る前に一言入れる。
たとえば「やっぱり不動産屋に行くとテンションあがるよな」「確かに」とかって言うことによって「不動産屋」というシチュエーションをやることに意味を持たせる。
ぎりぎり漫才であろうとする苦肉の策だ。
しかし、もう一つ漫才とコントでは違う点があることをサンドイッチマンは示す。
それは漫才は時間軸に縛られないことだ。
コントはキャラが動くため、時間が一方向にしか進まない。
たとえば「いらっしゃいませ、お一人様ですね」「決めつけんなよ」という流れがあったとする。
漫才なら「やり直せ」と言ってまた「いらっしゃいませ、~」から始められるが、コントの場合はそうはいかない。そこから次の展開、席に案内してもらうとかなにか次に移らないといけない。もしもう一度「いらっしゃいませ、~」と言うなら、「言い直せ」という言葉になる。「やり直す」ことはできない。
このあたり、サンドイッチマンというコンビはおもしろいなと思う。漫才もコントも器用にやってのける。
ネタの本質は変わっていないのに、こっちは漫才、こっちはコントと使い分ける。
人にもなれるしキャラにもなれる。
結果、あの二人が何者か、いまいち分からないのだけれど。


そしてハライチに戻れば、彼らはそういった漫才、コントという枠組をさらに破壊して、もはや無意味な記号、言語の遊びへと漫才を瓦解させた。
何の意味もなく、どこに共感すればいいのか分からない漫才。
時間軸もない。
そのボケが、その言葉が、今ここにある必然性がないのだ。
「いらっしゃいませ」のボケは客が店に入ってくるからできるボケだが、「~の~」というボケには順序はいらない。もちろん、序盤に言うよりも後半に言う方が面白い、とかそういうのはあるのかもしれないが、そんな程度の順列組合せはさほどの話ではない。
当時のぼくは、そんなハライチの漫才にお腹を抱えて笑った。
この人たちは次のお笑いを作ろうとしている!と感じたからだ。


さて、2010年のM-1に戻る。
この年の優勝は笑い飯だった。その前年度の鳥人というネタが笑い飯漫才の真骨頂、想像力の一つの到達点であったことは間違いない。それをさらに進めたネタで笑い飯は優勝することができた。なんとなく、ご褒美のような優勝だった。
彼らの想像力は、それまでの二人の人間が対話することに、妄想とか物語、思い出とかを持ち込んで新しい表現、発想を生んだ。2010年でそれがいったん終わった。
と同時に、スリムクラブジャルジャル、ピースらの漫才に次の10年を感じずにはいられなかった。
すでに人気のあったジャルジャル、ピースらに決勝に出るだけの実力はないとされており、実際点数も伸びなかったが、彼らは自分らの想像力をいかんなく発揮したとぼくは思う。
ピースは擬音語ネタで、ハライチと同じく言葉で遊ぶことを提示した。
ジャルジャルはメタ漫才をやった。
このメタ漫才、あるいは漫才コントというのは2010年のM-1グランプリジャルジャルのネタである。
といっても彼らは「漫才師をやりたいねん」という漫才的枠組みを提示しなかったために、最初から「漫才師」というキャラで漫才を題材としたボケをかました結果、それは「コントである」と感じさせた。
「だってお前がどうボケるか知ってるもん」なんて、なんて素敵な禁句だろう。
本来、「俺美容師やってみたいんだよ」って、嘘なのだ。漫才師になりたくて、このM-1という場に立ちたくて一生懸命やってきたのに、どうして「美容師になりたい」と言わなければならないのか。
スリムクラブは異様な間によって、笑いを誘発した。これもまた言葉遊びである。沈黙という言葉を豊潤に放ったその後に、何があっても別にいいのだ(できれば訳が分からない方が面白いほどだ)
もはや話さないことが笑いになることが証明された。というのも、かなり衝撃的だが、彼らはおろか、彼らのような漫才ももう見ないし、いったいどうなっているんだろう。
 

さて、2010年からもう5年が経とうとしている。
最近のテレビをぼくは見ていないので分からない。
あのジャルジャルの告発はなかったかのようにTHE MANZAIは続き、キングオブコントやR-1といった賞レースは続いているようだ。
唯一可能性を感じたのはTHE MANZAIでアルコアンドピースというコンビが、「俺忍者になりたいんだよね」と言ったら「馬鹿野郎!俺ら何のために漫才やってきたんだよ!」と切れ、その後も「それでもお前が忍者になりたいなら、応援する」とかって真面目に応答すると言う漫才があって、これはすごいと思ったが、やはり禁じ手だったように、二本目に同じネタをやった時にはあまり受けなかった。
なんだか5年とか10年位前からずっと変わらない番組がやっているように思う。
ネタ番組はないままだ。
今年からTHE MANZAIM-1に戻るらしい。
あんまり期待はしていない。

そんな中、こないだIPPONグランプリという番組を見た。大喜利の一番を決める番組だそうだ。これまで、観たことはない。
有吉と千原ジュニアが決勝進出をかけて戦っていた。
お題は「口臭のきつい彼を気づかせる方法は?」だった。
有吉の答えは「言う」「それでもやっぱり言うしかない」の二つだった。

正面切って言うことがおもしろい、包み隠さないことがおもしろい、ということがおもしろいとされるのかと思った。
お、これはすごいぞ、と思った。
思えばジャルジャルのネタも、漫才に対する本音ではなかったか。
いつまで嘘をつくのか、という告発のようではなかったか。
これからは、本音を言うことが笑いになるのなら、その先の想像力があるはずだ、と思う。

でも、それに対して結局THE MANZAIを続け、M-1を復活させたということは、その告発をなかったこととしファンタジーを貫き通すということに他ならないんじゃないだろうか。
漫才師は皆、初めてそのネタをやるようにマイクの前に立つ。
不思議なことである。
ただ一度きりのネタはない。
しかし、そんなことはなかったかのように一度きりのネタのようにあの一夜は消費されるのだ。
たとえ口臭がきついことを誰かが言ったとしても、きつくないように皆振る舞うのである。
王様は裸だと言った子どもの口が封じられるようである。
ジャルジャルもアルコアンドピースも「告発」をしているのに、なかったことにされているように思う。それに答えた番組はないのだろうか。ぼくは「告発された側」の先が見たい。そこで物語を止めてしまわずに。
笑いは想像力の限界を示すものなのだから、何か新しいことが見たい。
ぼくが真実を口にするとほとんど全世界を凍らせるだろう(吉本隆明)
全世界を凍らせて、恐竜は絶滅しても、むしろその先にこそ人類はあるんだろうし。
何かすごいものが観たいなあ、って、それだけのことが言いたかったのだけれど。

*1:後に上沼恵美子M-1グランプリの審査員を務めるわけだが、その際、ノンスタイルに対し「トークがいまいちやからがんばらな」と言ったのは関西ローカルな人からすれば大変面白いコメントだった。たぶんあれ、関西圏以外の人からはただの嫌なおばちゃんに見えたんではなかろうか。

*2:たかじんなんかも天才だけれど、一応芸人ではなく歌手。

*3:保坂和志「書きあぐねている人のための小説入門」より引用の発想。

*4:え?あれ?この番組まだやってんの?)。