Nu blog

いつも考えていること

エマ・ワトソンのスピーチから-自由と男性差別と「隠れたフェミニスト」について

 9月20日、国連のキャンペーン「HeForShe」のスタートにあたり、映画「ハリー・ポッター」のハーマイオニー役で知られる女優、エマ・ワトソンさんがスピーチをしました。 


エマ・ワトソン UN Women 親善大使 国連でのスピーチ (日本語字幕 ...

 日本語字幕の付いた動画が国連広報センター(UNIC Tokyo)から、YouTubeにアップされています。

 こういったように、国連でのスピーチがニュースで大きく取り上げられ、TwitterSNSで話題となることは度々ありました。

 たとえば2013年のマララ・ユサフザイさんの演説。マララさんはパキスタン人女性で、2009年、タリバンが女性の「教育を受ける権利」を認めないことに対し、11歳の時からブログや活動を通じ訴えていたところ、2012年、通学中に銃撃され、負傷しました。いわば、学校に通っていたら殺されかけた、とも言える衝撃的な出来事でした。

 その後、マララさんは快復し、2013年7月に国連でスピーチを行いました。

マララさん タリバン銃撃乗り越え国連演説全文「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペンでも世界を変えられる」

「ペンは剣よりも強し」ということわざがあります。これは真実です。過激派は本とペンを恐れます。教育の力が彼らを恐れさせます。彼らは女性を恐れています。女性の声の力が彼らを恐れさせるのです。

 このスピーチは、2012年の事件もあり、世界にまだまだ問題があることを感じさせるものでした。

 しかし、マララさんのスピーチの受け止められ方にはいろいろあり、「イスラム教は怖い」という固定的な感覚をより固定化させたものも少なくなく、女性と教育の問題はパキスタンやその他イスラム圏だけのものとして捉えられ、今ここ、日本にもある問題とまでは行き着かなかった印象です。

 その印象を受けた一例として、マララさんの自伝「わたしはマララ」があるので、amazonのカスタマーレビューをいくつか見てみます。

Amazon.co.jp: わたしはマララ: 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女: マララ・ユスフザイ, クリスティーナ・ラム, 金原瑞人, 西田佳子: 本

男の子が生まれたらお祝いし、女の子が生まれたら悲しむ世界があることを、私達のどれだけが知っているでしょうか。
そればかりか、女の子は教育も受けられず、ダンスも外出も、自由に着飾ることも許されず、タブーをおかすと家族に殺されることすらある世界があるだなんて…
マララがこの本を世に出してくれたおかげで、イスラム圏における女性がいかに貶められているかがよくわかり、ひとりの女性として、何か行動したいと思わせてくれました

 

数年前に「生きながら火に焼かれて」を読み、イスラムの世界の女性の扱われ方に衝撃を受けました。
もちろん、自分が日本で生まれ育ったなかで培った感覚で判断できる問題ではないでしょう。
マララは優秀であるためにその中で生きていくのは、あまりにも窮屈で物足りなかったと思います

 

女の子が普通に学校に通う。
男の子と同じに教育を受ける。ごく普通のことと思って暮らしていました。
でも、それは幸せなこと。
この21世紀になっても教育を受けられない女の子がいっぱいいること。
そして、そんな境遇の中で声を上げた女の子がいたこと。
素晴らしいと思いました。

 これらの感想は、「マララさんは我々に関係のない遠いイスラム圏の女性であり、故に苦しんでいる。私たちはすでに平等な世界に生きていて、それに感謝しないといけない」と言っているに等しいものです。

 しかしながら、日本にも男女格差は厳然として存在しています。

 僕にとって特に衝撃的だったのは、2013年10月、世界経済フォーラムが発表したジェンダーギャップ指数において、日本は136か国中105位であり、特に政治や経済への参加という点で男女格差が存在することが明らかにされたことでした(パキスタンは136か国中135位であり、いわば「マシ」であることは確かですが、「平等」が前提なので、そこに意味はないと言えます)。

男女格差、日本は過去最低の105位 世界経済フォーラムが発表

 マララさんの訴える、教育における男女格差という点では、日本において「学校に通えない」事態は確かに発生していません(2014年5月に「戸籍のない子ども」の存在が取り上げられ、実際には学校に通えない子どももいることが分かっています。NHKの報道では少なくとも500人いるとされています。これは男女格差そのものの問題ではありませんが、根本的にDV被害や明治時代以来の家父長的な家制度の影響が残ったルール等ジェンダーに関する問題を孕んだものでもあります)。

戸籍のない子どもたち - NHK クローズアップ現代

 確かに、学校に通えないことはないかもしれませんが、学校に通うことと教育を受けることがイコールなわけではありません。

 たとえば大学進学に際して、両親が男性の子どもには何も言わないが、女性の子どもには条件を出す(実家から通える範囲の国公立大学でなければ進学させないとか、保母や教師といった専門職に就くことを前提として教育学部以外は受けさせないとか)ことがあります。

 あるいは、「女性は数学や科学が苦手だ」という固定観念ジェンダーバイアス)があり、その結果、女性は数学や科学といった理系分野に挑戦しなくなり、理系への進学率が低くなる、といったこともあります。

 こういったことは、学校に通えないことと同様に、問題のある教育格差ではないでしょうか。

 教育を受ける=学校に通う、というレベルでの男女格差はほとんど存在しないかもしません。先に紹介した世界経済フォーラムの数字でも教育に関するスコアは「0.9757」と平等を示す「1」に近いものです(識字率初等教育中等教育、高等教育への就学率に関する男女比を見たものであり、高等教育の点で女性比率が下回った結果とされている→http://ewoman.jp/winwin/155/1/

 

 論点がずれるかもしれませんが、このデータも興味深いので紹介します→

無償・有償労働時間の男女比較、OECD加盟国ランキング2014年版 - 家事に費やす時間など

 先ほどの世界経済フォーラムの調査ですが、無償労働=家事、有償労働=賃金労働及び学習の時間を調べたものだそうです(単位は1日、対象国はOECD加盟国及びパートナー国29か国)。

 その結果は、日本の女性の無償労働時間は299分(6位)、有償労働時間は206分(16位)。

 対して男性の無償労働時間は62分(27位)、有償労働時間は471分(1位)。

 いわゆる「男は仕事、女は家」という形が見えてきます。それと同時に女性がパートタイム等で3~4時間程度外で働いているということも推測されます。扶養控除が適用される「103万円の壁」を考えると、女性が一か月に稼いでいいのは8~9万円であり、20日で割れば1日4000~4500円、時給を1000円として1日4時間ということになります(といっても東京の最低賃金は888円なので、時給1000円ももらえるというのは大げさかもしれません。僕の出身である兵庫県は、僕が高校生だった10年前の最低賃金は740円程度で、高校生でできるアルバイトで僕がやったものは、たとえば郵便局の年賀状アルバイトや高校野球のチケットのもぎり等ですが、ほぼ最低賃金で働いていました)。

 

 男女格差は歴然としてあります。当然「格差を感じる」ことがあるかないかは人によります。女性が格差を感じる可能性は、男性がそれを感じる可能性より高いでしょうけれど、男性がそれを感じることだってあります。

 たとえば、先ほどの無償労働時間についてでもそうです。

 あのデータは、女性の無償労働について物語っていると同時に、男性は有償労働することを義務付けられているデータでもあります。

 男性が有償労働することを義務付けられている、というのは明文化こそされていないもののかなり強く共有された価値観として存在していると僕は感じています。

 たとえば実家に帰った時のことですが、父と兄と話しており、兄の子育ての話になりました。兄は昼夜を問わない忙しい職種であり、子育ては妻に任せきりとのことでした。父もまた、仕事人間で、僕や兄の子育てを主体的にしていません。二人とも休日に遊びに連れて行くくらいはする、した、という想像しやすい日本人男性だと思われます。

 もちろん、二人とも休日に遊びに連れて行った際には子どもをおんぶし、あるいは重い荷物は持ち、平日だって気がついたならお皿を拭くとか、何かしがしているに違いありません。下手に料理や洗濯をして「家事ハラ」に遭わない程度に、しかし妻に何もやっていないと言われないようにする、という姿勢何だろうと思いますが、それについて批判できるほど僕は自分自身への余裕を持ち合わせません。

 それはそれとして、僕は「子どもができたら、育児休暇とろうと思うんだよね。3年間取れるっていう制度もちゃんとあるから」と言いました。これは普段から考えていることで、と言ってもまだ子供の予定など皆無なのですが、今の会社にいるのであればその制度を使いたいと強く思っています。

 すると、二人とも強く難色の意を表し、止めといた方がいいと親身になって言うのでした(再度断わっておくと、まだ子どもができたわけではありませんし、予定もないのですが)。

 親戚の反対というのは、はねのけられそうでなかなかきついものがあります。もし子どもができて育児休暇をとったらば、僕の前では言わないだろうけれど、父と兄二人になった時に、何か言われるのかもしれない、と思うと少し怖くなります。

 あるいは、会社においても、上司や同僚から「あいつは仕事する気がないんだな」等と言われるとしたら、それもまた辛いことですが、言われそうですよね、怖い。

 そういうことを考え始めると、制度があるからといってやすやすと育児休暇をとれるわけではなくなってきます。

 そして実際に育児休暇をとれば、同期入社の社員よりも出世が遅れるでしょうし、その期間を空白とカウントされ退職金も下がってしまうでしょう。

 育児休暇をとる人が少なくなければ、そんな比較をする必要もないのですが、現時点では少数派のため、どうしても損した気になってしまい、心理的なものもあり育児休暇をとることは憚られます。

 これは、男性が感じる男女格差の一つの現れ方だと思います。まあ、ごちゃごちゃ言ってないで、まず育児休暇をとれ、という話ですが。

 また、話がそれますが、ここまで何度も育児休暇と打ち込んでいて、とても不思議な気持ちになりました。

 さっきまで無償労働と言っていた家事、育児なのに、企業からすると育児休暇、休業、つまりお休みなのです。

 確かにそうでしょう。会社からすれば休まれるのだから休暇です。でも、本人からすれば休暇でも休業でもなく、育児労働に従事するわけで、家でだらだらするのとはわけが違います。

 社会的な言い方として休暇や休業ではない何か別の言い方が必要だと思います。

 

 こうした男性が育児休業がとりにくい状態のことを「男性差別」と言うことがあります。

 他にも、アファーマティブ・アクション女性専用車両、映画や飲食店におけるレディースデーといったところで使われることがあります。

 この「男性差別」という言葉は、現時点においては問題を持っている言葉でもあります。

 なぜならば、その男性差別という視点は、根っこに女性差別、女性蔑視の発想を持っていて、「逆差別」というような言葉に結び付き、男女平等を阻害していることがあるからです。

 たとえば、2014年9月に安倍首相は内閣改造を行い、6人の女性を起用し過去最多として「女性活用」の象徴として話題の一つとなりました。

 この時、記事において「逆差別」という言葉が出てきました。

【首相の内閣改造発言】 女性登用で不協和音も 「実力もない女性を引き上げるなら逆差別だ」との声 : 47トピックス - 47NEWS(よんななニュース)

 女性が指導的地位に就いた時、こうした批判は必ずされるものとなってしまっています。

 こうした批判にはこう反論することができると考えます。

「これまで、実力もない男性を引き上げてきたじゃないか」

 これまでの日本社会は、アファーマティブ・アクションとして「社会の指導的地位に占める男性の割合を100%とする」と掲げてきたのです(女性を0%とするでも構いません)。

 今の状況を、試験に例えてみると、これまで男性だけで試験を行い、1位から10位までを指導的地位としていました。仮にこの試験に初めから女性が参加していたなら、確率的に上位10人に男女は5人ずつだったはずです。つまり、本来なら11位以下であったはずの男性が5人、「実力もない」のに指導的地位にされてきたのです。

 これは本人にとっても社会にとっても不幸なことです。

 そして、現在、女性はいわば後から参加した形になり、男性の方が慣れている試験において10位以上を取ることは難しい状態です。そもそもこの試験に参加できている女性の割合が低いのです。

 なぜなら、女性ががんばって参加したって上位になることはおろか指導的地位に就くことは難しく、参加すれば実力がないと言われ、もし頑張って10位以上に食い込み、なんとか指導的地位に就いても生意気等と言われてしまうのです。

 それではいけないのでひとまず女性の1位から3位と男性の1位から7位を指導的地位とし、女性が指導的地位に就くことを当たり前のこととすることから始めないといけないわけです。

 そうすることで女性の試験の参加が増え、いずれはアファーマティブ・アクションがなくとも、上位10人を選べば自然と男女が5人ずつとなるはずなのです。

 結局、「逆差別」と言っている人は、本来なら実力がなく上位に入れないのに、偶然男というだけで繰り上げられた人なのです。

 

 ここで、エマ・ワトソンさんのスピーチに戻ります(ここまでは前ふりだったのですね。長い)。

 さて、彼女のスピーチの要旨はなんだったのでしょうか。

 フェミニズムへの男性の参加をよびかけたものだったとまとめられると思います。

 このスピーチは「HeForShe」つまり女性のための男性というキャンペーンに基づくものです。

男性のみなさん、私はこの場をみなさんへの正式な招待状を送る機会にしたいと思います。男女平等はみなさんの課題でもあるのです。

 と述べているように、男性への呼びかけがされ、以下のように「男性差別」について語られています。

18歳の時、私の男友達は彼らの感情を私に表現することができませんでした。

  女性が幼少期に性的対象とされることや筋肉質になり女性らしくないと言われることを避けることと同列に、男性が感情表現することを抑圧されているというわけです。また、

男らしくないと見られるのを恐れ、助けを求められずにいて精神的に病んでしまう若い男性たちを見てきました。実際に、イギリスでは自殺が20歳から40歳までの男性の間で最大の死亡原因となっています。これは交通事故、がん、そして心臓疾患も上回ります。男性として成功に必要なものはこれだ、という歪んだ概念によって男性が自信を失い、不安に陥る姿を見たこともあります。男性もまた、平等の恩恵を受けてはいないのです。

  日本は自殺大国と言われますが、その自殺者のうち7割近くが男性です。

日本の自殺死亡率 | nippon.com

 この事実はかなり広く知られていますが、「男の方が大変だからな」というような、あいまいな理屈付けでやり過ごしているように思います。

 何が、どうして、どう大変なのか。その根底にジェンダーの問題が横たわっていることから、目をそらしてはいけません。

私たちは、男性がジェンダーの固定概念に縛られていることをふだん話題にはしません。しかし私にはそう見えます。そして、男性がそうした固定観念から自由になれば、女性の側にも自然に変化が訪れるはずです。

もし、男性が女性に認められるために男らしく積極的になる必要がなければ、女性も男性の言いなりにならなければとは感じないでしょう。もし男性が女性をコントロールする必要がなれければ、女性も男性にコントロールされる必要はありません。

  自分が「これはこうあるべきだ」と思った時、そこには何らかの先入観、固定観念、社会的な何かがあります。それは必ずあると言い切れます。人は、ゼロから何かを作り上げられるほど賢くありません。どれだけ頭が良くても、絶対に元があります。

 そしてその多くは社会的な何かです。自分が問題を感じていなくても「これはこうあるべきだ」と考える時、つまづく力が必要だと僕は思っています。

 これも国連のキャンペーンの一つでしたが、グーグル・オートコンプリートの真実」という動画があります。グーグルで「Women should」と打ち込んだ時、予測変換として、「女性は家庭にいるべき」や「女性は奴隷であるべき」「女性は台所にいるべき」といった衝撃的な言葉が出てくるのです。

グーグル・オートコンプリートの真実 - 当たり前は当たり前じゃない -- ここから対話が始まる - YouTube

 「should」、「べき」と考えた時、そこで立ち止まらなければ、既に見えない鎖に繋がれてしまっていて、動けば動くほどその鎖はきつくなり、逃れられなくなります。

もし、私たちが私たちではないもので、お互いを定義するのを止め、ありのままの私たちとして定義しはじめたら――全ての人々がもっと自由になります。そしてこれこそが「HeForShe」の核心なのです。これは自由に関することなのです。

 実は私たちはまったく自由ではない、ということに気がつかないといけません。

 本当に自由になった時、男性差別の本来の使われ方はありうるかもしれません。たとえば、本当に自由なのに男性は育児休暇が取りにくかったり、本当に自由なのにアファーマティブ・アクションがあって本来指導的地位に就くべき男性がその立場に就けなかったり、女性専用車両によって男性の乗車が妨げられたり、という時に「男性差別」という言葉が現れるのでしょう。

 しかし、今はまだ本当に自由ではありません。だから、男性差別はまだ本来の意味ではありません。ましてや、逆差別などと言い換えるのであれば、それはただのわがままだと唾棄されるような言葉、行為、考え方だと思わなければなりません。 

 

 男性への呼びかけと同時に、彼女はこうも呼びかけます。

もし、あなたが平等を信じるなら、あなたも私が先ほど述べた「隠れたフェミニスト」かもしれません。

「隠れたフェミニスト」は男性の中だけでなく、女性の中にもたくさんいると思います。フェミニストなんて言われたくない、という人は女性の中にもいるでしょう。

 たとえばつい最近もある女性のアーティストが以下のような発言で、フェミニズムへの嫌悪を表明しています。

峯田 だから大森さんみたいな人ががんばって、「私でもやれるんだよ」ってところを中学生くらいの子に見せていってほしい。

大森 うん。でも田嶋陽子的なのはイヤですよ(笑)。ああいうのがやりたいわけじゃないです。女性が社会運動すればするほど女性が不自由になっていくんですよ。だからあれとっととやめてほしくて。だってもともと自由なんだから。社会と関係なく自由でいればいい。世界は楽しいじゃん、ってずっと思ってるんです。

大森靖子×峯田和伸(銀杏BOYZ)対談 (3/4) - 音楽ナタリー Power Push

  フェミニズムにおいて田嶋陽子さんが果たした役割や女性が社会運動を起こしてきた結果をないがしろにしていると受け取られ、批判が起きました。

 しかし彼女も「隠れたフェミニスト」であり、それに気づいていないのだと思います。

 自由であること、平等であることを信じ、求めているのであるなら、彼女は確実に「フェミニスト」です。

 彼女がそのことに気づき、目をそらさず先ほどの発言を見つめなおしたら、何が批判されたのか、理解できるのではないでしょうか。

 

 さて、長々と書いてきましたが、はっきり言ってしまえば、このエマ・ワトソンさんのスピーチは、現実はまだこの程度なのか、と思わざるを得ないスピーチでもあると思います。

 まだ、男女平等は達成されず、今ようやく「男性の参加」が求められているのか。これまでずっとフェミニズム運動に携わってきた人たちからすれば、このスピーチに感動している人たちを見て、ため息をつきあきれ果てるばかりでしょう。

「これまで散々言ってきたじゃないか」

 しかし、まだここなのです。

しかし残念ながら、こうした恩恵を全ての女性が受けられる国は一つもないと断言できます。

世界中のどの国も、未だに男女平等を確立したと言えるところはありません。

 「HeForShe」への参加を表明するところから、始めるしかありません。

http://www.heforshe.org/