Nu blog

いつも考えていること

スケッチ(ひといきれ)

街は面白い。田舎よりも面白い。

阪神地区の住宅地で、マンションとマンションの間にある公園を遊び場に走り回っていた子どもだったが、三宮に連れられた小学三年生以来、街の虜だった。たくさんの人が往来し、服と服が擦れ合う様に魅せられた。大人たちがしゃべり、笑いながら歩く。あるいは緊張感を纏ったスーツが器用に人混みをかき分けてゆく。僕は母のスカートを掴みながら、それらを眺めた。今まで見たことのない色がたくさんあった。店の看板や人の服の色。アーケード街に空はなかった。僕は自分が羽の欠けたトンボみたいに思った。いや、ほんとうはこれから飛び方を覚える雛みたいに思いたかったのだが、そんな気の利いた想像ができなかっただけだ。

ああ、すべて、その時脳みそを揺さぶられたせいだ。

 

中学生の頃はまだおとなしくしていた。少ない小遣いも漫画本に使ってしまうから、街へゆくあてがなかったのだ。たまに母親に連れられて買い物へ行くと、お仕着せの服を着て、丸坊主の自分がバカみたいで、その時ばかりは街から逃げ出したかった。この魅力的な街を僕が押し下げているように思えた。

その反動もあって高校生からはずっと街にいた。初めの頃は大通りを練り歩くだけだったが、すぐに路地を歩くようになって、暗くて静かなジャズ喫茶に入ってみたり、古着屋を冷やかしたり、雑貨屋の店員さんに恋したりした。

すっかり街の人になったつもりだったが、気づけばあの大通りを通ることはほとんどなくなっていた。分数ができれば入れる大学に潜り込んで、レコードショップとカフェでバイトを始めた。何者でもない自分が、あの大通りを歩くのが嫌だった。この時もまた、この街の魅力を僕が押し下げている、と思った。二十歳を超えた僕は、そそくさと路地に逃げ込んだ。

 

四十歳を超えた今、路地はもう若者の場所で、僕の居場所はない。 かといって大通りも歩けない。どうしてかはわからないが、多くの人が東京へ行った。あるいは何人かは死んでしまって、僕だけがここに残ってしまった。

今でも大通りを歩く時は肩身が狭い。それでも、小さな子供が大人に手を引かれている姿を見ると、あの時の自分を思い出して、ひといきれがする街の空気で深呼吸する。

 

(1行目は中島らも『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』「街と握りこぶし」より)