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いつも考えていること

『独学大全』感想

読書猿『独学大全』を読んだ。辞書的に使うことを想定された本だったが、その作りの明瞭簡潔さと独学の方法を余すことなく教えてくれる内容がおもしろくて頭から最後までずーっと読んでしまった。

なぜ学ぶのか、動機からはじまり、いかに時間を確保し継続するのかという環境づくりから整備し、何を学びたいのかを見つける方法、資料と知識へのアクセス方法や整理方法、そして学び方(読み方、覚え方、わからないの超え方)まで、実際的な方法をぐいぐい教えてくれる。さらに国語、英語、数学の具体的な独学エピソードを挙げてくれているのも心憎い。

章の初めに「無知くんと親父さんの対話」が挟まれる。無知くんが親父さんに独学のあれこれを聞く寸劇だ。無知くんが教えてくれと言う度に親父さんは「やめたきゃやめろ、やりたいことをやれ」と返す。何かを知りたいという欲求を持ってしまった以上、勉強するしかないのだ。知らなくてもいいや、と諦められる程度なら、やらないし、やる必要もない。独学に限らず、なんだってそうだろう。

「にもかかわらず」諦められないこと、やりたいと思うこと、やろうとしてしまうことが自分の欲求の根源であり、独学とはその「にもかかわらず」を追求する最高の暇つぶしなのであろう。

 

レファレンスツールの使い方は、図書館司書の資格を勉強した際に知ったことと重複していた。つまり、一般的な事典から始めて、知るべきことを知り、専門事典やその他書誌として広げていく。司書の授業で知った時にかなり感動した思い出だったので、それがここに収められていることもまた感動だった。

みんなグーグルで検索する世の中になったから、事典から始めよと聞くと、多くの人は「え、めんどくさい」的な気分になるのではないか。「ネットの検索でも同じ情報が出るでしょ」とか「知ってることしか書いてないでしょ」とか「最新の情報が載ってないでしょ」とか。別にそう思いたいなら、そう思ってればいいし、少しでも不安になるなら、実際に事典を引いてみるべきだ。普段の私たちがいかに総合的な知を軽視し、場当たり的な判断や関係者のてんでばらばらな意見のかき集め、いきあたりばったりで中途半端な決断などで日々をやり過ごしているのかがわかる、と言うと言い過ぎか。

日常とは冷静な判断をさせてくれない。癖や習慣、反射神経で生きている。これを『独学大全』の中では二重過程説という心理学の知識から「システム1」と呼ぶ。システム1は無意識に、自動的に動くものである。しかし、人間は「システム2」を持つ。意識的に制御しなければならず、反応は遅いし、労力も必要だが、抽象的・仮説的思考ができるし、新しい課題にも大王できる。知識や勉強はシステム2の世界である。システム2だけで生活はできないが、システム1だけで生きていると間違いを犯すことがある。

 

『独学大全』は誰にとっても役立つ本だ。読み方がわからない、本が怖いという人にもその方法を伝授してくれる。また、学校で勉強させられている子供達にこそ有効かもしれない。学校は規律を押し付ける場所で、先生は勉強のやり方はあんまり教えてくれないから。

 

最後に。

偶然の一冊に出会う方法の一つとして図書館の返却コーナーが挙げられていた。

「ここに並ぶのは、少なくとも誰かが借りていった書物たちである。そしていわゆるベストセラー本は次に借りたい人の予約が入っており、ここには並ばない。返却書コーナーはある意味、図書館ユーザーたちが選んだセレクション・コーナーであり、生きた図書館の縮図でもある。」p346

全くその通りだと思う。すべての知識はなにかとつながるが、そのきっかけに触れるためには偶然が必要だと私は思う。

図書館は誰もが使える公共の場だから、誰にも等しく偶然を起こすことができるはずだ。「お父様の本棚から盗み読んだカフカに感動したんです」というような、文化資本のある家庭でないと知識につながれない、なんて時代ではない。そして、読書に感動を求めるんじゃない。ただ知識を求め、そして知識から感動を得よ!