Nu blog

いつも考えていること

幸せな気持ちになれるなら

世界には最終回がないと気づいても、人間は世界の終わりの日を想像している。キリスト教徒が最後の審判を夢見るように、今日もドラマは最終回を目指して放送される。愛する男に手を引かれて、結婚式場を逃げ出した花嫁のその後を誰も知らないでいたいけれど、その後の人生の方が長い。最終回でバッサリと、笑顔で朗らかに終わりたいのに、絶対に誰もそれを許さない。 三月三十一日の次の日は四月一日だし、八月三十一日の次の日は九月一日だ。

私たちは終わりの日に留まってはいさせてもらえない。

 

今私はPUNPEEの「The Sofakingdom」について書こうとしている。

マイケル・ジャクソンの「Black or White」やフリッパーズ・ギターの「ヘッド博士の世界塔」を思わせるような、メタ的なイントロ。ソファでポテチを食う音は私たちそのものだ。

インタビューの声だろうか。「小鳥ちゃんを譲り受けまして、起きた時に鳥の声で目覚めたりするんですよ」というボケっとしたセリフが聞こえてくる。

子どものイノセントな声が響きわたり、「ネトフリ寝たふりでみてFreedom」とうそぶきつつ「趣味、避けて通れない偉人、Honey、Family、山積みなのに、外でても自粛してる気持ちならば、いっそ夢の世界」と終わらない日常がのしかかる。

しかし鬱な感じはしない。あ、もしかして…。

GIZMO」でも「この世はVR」と冷笑的に歌いつつも、「君は誰かの3Dスキャンじゃない」「君がいなけりゃ僕はソリチュード」と現実への信頼が見え隠れする。

その次の「夢追人」でもKREVAが「MPC買ってから四半世紀、でもマインドはいまだに未完成品」「まるで永遠できるロールプレイングゲーム、やめる理由は当然無え」と歌い上げ、PUNPEEの「いっそこのままで、一生このままで」という夢見る人間であることの宣言を鼓舞する。

そして傑作「Operation: Doomsday Love」。「あまりにもいきなりすぎて、超不覚にもまだまだ希望で晒されていた、君にまだ伝えたいことで行き当たりばったり、地球の終わりにさ」「胸騒ぎのカタストロフィでも、不覚にも未来へ希望はささくれていた、膝すら笑わない場所でもまだ笑いたい、地球の終わりにさ」という歌詞に、ようやく理解する。あ、幸せなんだな、PUNPEE

これまでもSF的想像力を導入しながら現代の私たちが置かれているやるせなさをゆるく、だらしなく肯定しつつ歌ってきたPUNPEEだが、幸せ要素が加わって最高な感じが出てきたのだ。

ラストの兄弟ソングは「仮に2で割って最高、そうならなくても、ふわり疎遠になるかも、終われない日々のうた」と甘酸っぱさを覚えるところも。

 

終わらない日常という言葉の古臭さは一旦置いておいて、実際日常は終わらない。今日も明日も心臓が動いてるんだからどうしようもない。

苦笑いしつつ、やる気完全に無くさず、ほどほどにがんばって気持ちよく生きていく。幸せな気持ちになれるなら、結婚の一つや二つ、した方がいいよね。そこから立ち現れる苦悩や葛藤もまた生きがいの一つとなりますように。