Nu blog

いつも考えていること

教養

「教養」のない人間には酒を飲むことくらいしか残されていない。教養とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことでもある。ー中島らも『今夜、すべてのバーで』

ゴールデンウィーク明け、特措法に基づき使用停止要請を行った施設の名称を公表するため、いくつかのパチンコ屋が名指しされた。それと同時に、メディアはパチンコ屋に並ぶ人々を映し、人々がそこに負の感情を向けるよう仕向けた。まるで『1984』の「二分間憎悪」である。くだらない。

三浦瑠麗氏は、アベノマスクについて呆れるような肯定的な意見(「中高年男性中心の政権が頑張って家庭に必要なものを考えた政策だから応援しましょう」)をツイートしたけれど、この件については「見せしめのような店名公表には反対」「好ましいもの好ましくないもの、望ましくない職業の差をつけ、憎しみを焚きつけるやり方はよくない」とツイートした。マトモな時はマトモだよな、と思う。

しかし。 よもやパチンコを本当に銀玉を弾くゲームだと思っている人はいない。三店方式によって成立しているギャンブルだ。だから、パチンコ屋に行列している彼らの多くはギャンブルをしに来ているのである。

酒飲みのほとんどが「俺はアル中ではない」と思っているように、パチンコユーザーの多くも自身を「ギャンブル依存症ではない」と思っているだろう。しかし、酒飲みにしたってパチンコユーザーにしたって、少なくない数が依存症予備軍であり、また依存症に陥っているのだ。 

依存症について厚生労働省が公表しているページがある。特に漫画は読みやすい上にわかりやすい。自分は関係ないと思っていても、世間の目を構成する一人としてとりあえず読んでみるべきだ。

www.jiji.com

漫画ではアルコール、ギャンブル、薬物について描写・説明されている。それらは患者数が多く、また健康や金銭、人間関係といった生活に直接的に影響を及ぼすからだろう。

だが、これら以外にも買い物依存症とか、セックス依存症とか、ネット、ゲーム、窃盗、摂食、宗教、DVなどさまざまな依存症がある。また、人間関係への依存である「共依存」も依存症の一つの現れ方だろう。

なぜ彼らは依存症になるのか、と考えてみれば、そもそも何かに依存していない人などいない、ということに気づく。

誰しも何かに依存している。たとえば仕事中毒(ワーカホリック)とか、ずっとテレビやYouTubeを見続けてるとか、整形マニアや美容オタクとか、活字中毒ビブリオマニアとか。オタク的な嗜好は、大なり小なりその対象物に依存していると言える。

依存症と名付けられたのは、その依存が度を越した結果、他者に被害損害を与え、自身の正常な生活を営めなくなるからだ。つまり、整形マニアだからといって何の悪いこともないが、借金してまで整形し出すと病名がつけられるかもしれない。

何かに依存することを一概に悪いとは言えないし、思えない。なので、パチンコ屋に並ぶ人を糾弾する勇気が僕にはない。

依存症を憎む気持ちはあるけれど、依存症になる人間というものを否定することはできない。

 

そして、パチンコ屋を一掃せよ、というような意見はまったく肯定できない。かつてアメリカで禁酒法がマフィアを跋扈させたように、パチンコ屋を排除すれば裏社会におけるギャンブルが跳梁することは目に見えている。

前述した「三店方式」もグレーなやり方だから、競馬や競輪、競艇のように、パチンコも国が管理すればいい。中島らも大麻解放論と同じ理屈である。

 

自分の足で立ちつつ、お互いの存在を確かめ合うように、支え合って生きていきたい。