Nu blog

いつも考えていること

満たされた土俵の中で

大相撲三月場所が無観客で行われた。

祝祭としての大相撲本場所、ということを考えると、観客のいない状態はおかしく、悲しい。特に大阪および近辺の人からすれば年に一度しかないその時を、2011年に続きまたしても不意にされたわけだから、つらい。

祝祭としての大相撲、つまり観客がいなければならない理由について、私の敬愛する一冊、宮本徳蔵先生の『力士漂泊』よりその意義を引用したい。

蔵前でもそうであったが、国技館の内部は金剛界マンダラの構造を持っている。(略)

マンダラの中でも胎蔵界が思弁というか、メディテーションの世界をあらわしているのに対して、こちらは身体行動、アクションの世界を代置している。だから金剛力士を闘わせて、そこから生じる白熱したエネルギーをつうじて宇宙の生命力と一体になり、怨霊の鎮魂とともに除災を祈念する相撲の行事には打ってつけだ。(略)

残りの七つの小方形(略)これらはことごとく一般の観客席である。虫眼鏡で覗けばわかるが、飛行天、虚空天、化楽天、飲食天、歓喜天、…、そのほか数かぎりもない欲界、色界、無色界のちっぽけな神々がマンダラのこの部分を隅ずみまで満たしている。美貌、ブス、利巧、アホ、デブ、痩せっぽち…およそ想像しうるかぎりのタイプがもれなく揃っているが、どれもが必要不可欠な構成員だ。相撲の効験は、単に取り組んでいるチカラビトたちのみにとどまるのではない。数千の見物人もまた、ここで酒を飲み焼き鳥をかじりつつ、わあわあがやがや騒ぎ立てているあいだに、勝負の真剣さについひきこまれて浄化され、おのれを超えた霊的な存在ーー諸天、諸明王となってゆく。おかげではね太鼓に送られて隅田川岸に出てきたときには、誰もが気分がすっきりし、眼がうるみ頬が赤らんだいい顔になっているではないか。

感動的な考察だ…。

マンダラの中心でエネルギーをほとばしらせる力士たちとその儀式を見守る私たち観客。互いに宇宙の一構成要素として、国技館の中で浄化、昇華される。

つまるところ、本場所には観客が必要だが、新型コロナウイルスの影響により無観客となってしまった。

苦渋の決断てあったことは推察するまでもない。本場所には観客が必要だと原理主義を掲げれば中止もあり得た。あえての無観客開催にはNHK等からの放送収入など損失補填の意味合いもあっただろうが、八角理事長が挨拶で述べた「世の中に平安を呼び戻す」「世の中の平安を祈願する」ことにこそその意味があったように思う。

「古来から力士の四股は、邪悪なものを土の下に押し込む力があると言われてきました。また、横綱の土俵入りは五穀豊穣と世の中の平安を祈願するために行われてきました。」というご挨拶には大きく賛同した。

横綱土俵入り、取組の一番一番、土俵の上で電撃のごとく放たれる、力士たちの熱量に感じ入るものはなかったか?

その厳かな様を、テレビを通じて私たち何千、何万の人々が見守ったのである。もはやそれは祈りである。信仰である。

ああ、空っぽの観客席にうっすらと人々の影形が見えてくるようだ。テレビ画面のこちら側にいる私たちの姿を映したものではなく、これまでに相撲を見守ってきた幾千万の人々の霊魂かもしれない。

すり足の音が、四股の音が、柏手の音が、呼出の声が、行司の声が、透き通った空気を震わせ私たちの耳に届いた。

観客席におわす霊魂らが音の振動に揺られる。そんな気がした15日間であった。

 

優勝は白鵬。見事な15日間だった。技量審査場所となった2011年5月、賜杯を抱けぬこの時に、他の力士に優勝させるのは忍びないと白鵬は語ったそうだ。今回も同じ気持ちだっただろう。

観客のいない中優勝する、そんな業を背負えるのはいやはや畏れ多くも白鵬だけである。偉大な横綱。大横綱。日の下開山。第一人者。

 

鶴竜も立派だった。序盤、星二つを落としたとはいえ、力強く負けない相撲を続けていた。ずいぶん立派な横綱で、どんな親方が、どんな解説者が、どんなコメンテーターが、どんなアナウンサーが、どんな新聞記者、雑誌記者が「力が衰えた」と表そうとも、それを明らかに跳ね返した15日間だった。立派な横綱である。次こそは7回目の優勝を期待したい。

 

その両横綱に意地を見せられたのが朝乃山。力強く落ち着いた四つ相撲で大関昇進待った無しと思われたが、13日目、14日目、白鵬鶴竜にそれぞれ土俵際で競り負けた。半歩分、肘分の負け。両横綱とも絶対に先に出ない、落ちない。明らかに朝乃山が先に落ちるのを見ていたのが恐ろしい。横綱の格を見せつけられたわけで、朝乃山はきっとこの2日間を胸にもっともっと強くなるだろうと思う。大関に昇進してからが勝負だ。番付にはまだ上がある。富山出身111年ぶりの大関太刀山同様横綱になるしかない。朝青龍を生んだ、名門・高砂部屋の力士としても期待がかかる。背負うものの多さにこそ、力が宿る。新大関の場所をどう迎えるか。楽しみにしたい。

 

一方、栃煌山、德勝龍、妙義龍、松鳳山といったベテラン力士たちの不振が気になった。力が発揮できない場所もある。みな怪我や不調を治し、来場所活躍してほしい。

琴ノ若にも注目が集まったが、霧馬山も良かった。先場所三賞受賞したのはまぐれではなかった。鶴竜の指導を受けている姿も可愛らしく、これから応援していきたい。

来場所は久々に照ノ富士を幕内で見ることになる。着実に上位へ戻ってきてほしい。宇良も幕下へ戻る。膝は万全ではないようだが、一つずつだ。

 

本場所が終わっても、日々、力士たちは四股を踏んでいるはずだ。その四股が大地を鎮めてくれると信じて、日々過ごしたい。