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いつも考えていること

穂村弘『水中翼船炎上』

穂村弘の『水中翼船炎上』を読んだ。

図書館の司書さんが推薦する一冊に置いてあって、手に取った。司書はAI化されるなどとほざいている政党もあるらしいが、こうして本と出会えたのは、顔も存じ上げない司書さんのおかげである。ちなみに私のよく利用する図書館は指定管理者制度を導入しているので、司書さんたちはもしかすると非正規職員かもしれない。少なくとも多くは公務員ではないわけだ。いかな労働条件で司書業務に従事されているのか。なんだか空寒い気持ちになる。

さて、穂村弘に話を戻して。

名著、自選集『ラインマーカーズ』を何度も読み返したのもずいぶん昔のことになった。本棚にあると信じているのだが、ここ五年ほど一度も見つけられていない。どなたかにお貸ししたままなのだろうか。まあ、好きなのはおおむね覚えているからいいや。

 

「水中翼船炎上」は穂村弘らしいあるあるの満ちた短歌がたくさんある。

なんとなく次が最後の一枚のティッシュが箱の口から出てる

なんだろうときどきこれがやってくる互いの干支をたずねる時間

堀(美)主任がハンドクリーム塗りながら階段降りる避難訓練

髪の毛がいっぽん口にとびこんだだけで世界はこんなにも嫌

どうしてかティッシュの最後一枚はなんとなくわかるし、なぜか干支が注目を浴びる日が一年に一回くらいあるし、堀(美)主任がぼーっとしながら春の日に、あるいは秋の日に非常階段を降りて行く風景も思い浮かぶ。髪の毛も、普段は気にしていないのに、口に入っただけで世の中の表情を一変させてしまう。

そこから、小学生の頃を振り返った歌へと移ってゆく。特にこの歌がいい。

曲がっても曲がっても曲がっても曲がっても眩しい夕陽が正面にある

身に覚えのある光景。短歌の醍醐味である。

そして唐突に現れるこの不穏な歌から、母の死が歌われる。

突き当たりの壁ぱっくりと開かれてエレベーターの奥行が増す

なんの説明もないのに、それが横たわった人を搬送するためのエレベーターだということを直感する。

今日からは上げっぱなしでかまわない便座が降りている夜のなか

という歌には、母の不在という私自身にもまったく同じ経験があって、まるで見られていたよう。以下の二首も、まったく同じではないが、夢の中で会ったことなど何度もあるから、笑ってしまった。

あ、一瞬、誰かわかりませんでした 天国で髪型を変えたのか

新しい髪型なんだか似合ってる 天国の美容師は腕がいい

そして再び現在へと戻っていき、カラフルな歌が現れる。世界には色が溢れている。大切な人の死によって、多かれ少なかれ世界は色を失いかけるが、こうして世界には色がある。まだ死んでいない私たちは、できれば生きていくしかない。

熱い犬という不思議な食べ物から赤と黄色があふれだす夏

そう。人が死んでも腹は減る。ホットドッグを頬張り、ケチャップとマスタードが反対側からはみ出る。夏である。人が死んでも汗をかく。クーラーをつけて昼寝をする。だって、私はとりあえずまだ生きているから。

 機会があれば、ぜひご一読を薦めたい。