Nu blog

いつも考えていること

生き物の気配

今年の春先、どこからどう紛れ込んだのか、押入れの中にネズミが入り込んでしまった。とつぜん、木をギリギリと押すような、削るような音がした。初めは、隣の家の人が何か騒いでいるのかと思ったが、違かった。

ネズミが押入れから出られなくなっていたのだ。ネズミは夜行性なので、夜中、元気よく押入れの中をバタバタと走り回り、押入れの端を齧るなどしていた。その音は凄まじく大きく、まったく眠れなかった。音の大きさから、ネズミも大きいんじゃないかと恐怖を感じた。

朝、静かになった頃に押入れの中へネズミ捕りを仕掛けた。ビビっていたので、押入れの中にネズミ捕りを放り投げただけであるが、その日から静かになった。つまり、捕らえてしまったわけだ。

世の人にこのことを話すと、よかったね、すごいねと言われるが、ここからの方が怖い。どう始末せよと言うのか。世の人はネズミ捕りごとポイっと捨てれば良いんでないの、などと平気な顔して言うが、バカを言うんじゃない。

よもや捕まえられるわけないと考えていたので、その前日に害虫駆除業者へ電話していた。で、業者が「どうもー」なんつって来るので、「きっと捕まえちゃいました」「でも、その処分ができないからしてほしい」と頼んだ。捕まえるのが仕事でお片づけのみは承っていないが、まあ、同じ金額でも良いならやりまっせ、と言われ、二つ返事でオッケーした。割と高かったが、なに、安いものである。

ネズミは、そんなに大きくなかった。らしい。きちんと見ていない。業者さんいわく、まったく小さいサイズ、とのこと。このサイズなら、ちょっとした隙間から入り込んでしまえるんだそうだ。ついでに、消毒や片付け、押入れの中をひっくり返して穴などを点検してくれた。

最後、「ま、この家の古さや立地を考えたら、稀にこうやって生き物が紛れ込んじゃうことはあるんでしょうね」と言われた。

 

夏の頃はアシダカグモが良く現れた。ゴキブリを食してくれる益虫だが、とにかくデカくて、動きがやたらに速い。

こいつも夜行性で、日中出会うことは少ないが、朝イチ壁に張り付いてたりする。この蜘蛛はなかなか臆病で、人のいる方にはやってこない。カーテンの陰に隠れたりする。隠れないでくれ! と思うが、仕方がない。

しばらく一緒に暮らしていたが、最近見かけなくなった。餌がいなくなったのかもしれない。食物連鎖は侮れない。クモがいなくなるとゴキブリが増えるのだ。この蜘蛛と出会う方が、ゴキブリと会うよりいいのだけれどなあ。

なんにせよ、突然出会うのが心臓に悪い。ふと壁に目をやる時など、ちょこっとそわそわしてしまうのだ。

 

鳴海健二の「六甲おもてなし百景」という、センサーを設置して、人が通ると、植物をガサガサ揺らす作品があった。六甲ミーツアート、2014年の作品である。

人工的に生き物の気配を作り出す作品で、それを知らずに通った時は、本当にタヌキでも潜んでるのではないかとだいぶんキョロキョロした。他の人も「なに?」とか言って、立ち止まったり、飛び上がって驚いたりしていた。心臓にいい作品ではなかったが、そのアイデアが素晴らしいと思った。

六甲山という自然にいるのだから、草むらに生き物がいたっておかしくない。むしろ、気がついてないだけで、ごまんといる。そのくせ、ガサガサ気配がしただけで、このまごつきよう。平成狸合戦ぽんぽこみたいな感じだが、まったく、鋭い批評的な目線を持った作品だった。

 

実家で飼っていた犬は、よく眠る犬であったが、突然夜中にとことこ歩いて、お手洗いをしたり、水を飲んだりした。そうやって書くと、飲み会帰りのお父さんみたいな行動であるが、まあ、そうだったんである。

こちらも眼を覚ます時がある。「どうしたん?」などと声をかけるとちょっと振り向いて、目で「トイレ行くねん」と言う(言っているようにこっちが勝手に捉えている)。

フローリングに肉球と爪の当たる足音。おしっこの音、水を飲む音。

そして寝床へ戻る犬。競艇場のプールが、風に揺られて波の音を立てる。バイクの通り過ぎる音。そしていつのまにやら眠りに戻る。安全な気分で。微かに寝息を立てて。

その頃生き物たちは、私の気配を感じているのだろう。