Nu blog

いつも考えていること

相対性理論と集団行動

ポップ・マエストロ、真部脩一。
相対性理論の初期作品、特に衝撃的なファーストアルバム『シフォン主義』、そしてセカンド『ハイファイ新書』を作った人である(『ハイファイ新書』の作詞作曲は相対性理論名義)。
『シフォン主義』はすごかった。「スマトラ警備隊」「LOVEずっきゅん」「夏の黄金比」「おはようオーパーツ」「元素紀行」。いい曲だけ挙げようとしたら、すべて書いてしまった。すべてが予感に満ちていた。新しい時代とか? いや、不穏な気配、「この世の終わりを告げる預言者の誕生」とかの予感。
日本語が分かって良かったと思った。それまではフランス語圏に生まれてたらなあ、なんて思っていたが、相対性理論の登場で日本語に感謝した。ありがとう、日本語。ダジャレがすっと入ってくることにこんな感謝するなんて。
『ハイファイ新書』もすさまじかった。「テレ東」「地獄先生」「ふしぎデカルト」「四角革命」「品川ナンバー」「学級崩壊」「さわやか会社員」「ルネサンス」「バーモント・キッス」。またしてもいい曲だけ書こうとしたらすべて書いてしまった。
これまた終わりの予感に満ちていて、聴きながら、私は幸福な気分に包まれていた。
 
ちなみに真部脩一と西浦謙助が脱退する前の最後のアルバム『シンクロニシティーン』で好きなのは「(恋は)百年戦争」や「三千万年」だったりする。どちらも永井聖一の作品。案外、そっちの方が好きだったりするので、きっとこれまでの作品にも永井氏のアイディアはたくさん盛り込まれていたのだろうな。
 
話を本題に持っていけば、その真部脩一と西浦謙助がボーカルに斎藤里菜を迎え「集団行動」というバンドを始めている。すでにアルバムは三枚目をリリース。
これがまた、すごい良い。
正直なことを言って、バンド名がそんなに良いと思わなかった。妻が勘違いして「現地集合」と言い間違えていたのだが、そっちの方が良いと思う。「集団行動」。なんだか響いてこない。相対性理論」、うーん、すごい名前だ。
そんな名前程度のことで聴いてこなかったが、この度ぼんやり聴いていたら、ぶっとんだ。
ポップ・マエストロの腕が冴えきっている。
「東京ミシュラン24時」。メロディーの綺麗さや、その繰り返しの妙はもちろんのこと、歌詞である。
 
「おいしかったらまた来てね」/もちろんよ また来るね
 
なんというさりげなく、美しい歌詞。
相対性理論は終わりの予感に満ちていた(武道館でのライブで、やくしまるえつこは「終わりを始めます」と宣言した)。
しかし、集団行動には終わりの予感など全くない。むしろ、能天気に今を信じる、そして未来を楽しむ明るさに満ちている。ポップの真髄を表すかのように。
「また来るね」と無邪気に歌えるか? なかなか歌えないですよ!
 
最新アルバム『SUPER MUSIC』では「最高の空間を 最高の感動を」と音楽による高鳴りをそのまま表現している。これは過去作「鳴り止まない」でも同様だ。音楽で受けた感動を音楽でつなげようという意思が感じられる。一方で「1999」のような、相対性理論の「四角革命」の世界を思い出すような儚げなムードを漂わせるが「ぐっと 小気味いいほどのスリルを/刻み込もう 描かれた地図はいらない」と前向きとまでは言わないが、「未来がやばいの/宿題出せない」のような投げやりさがなくなった。
すごく良い精神状態なんだろうなと思う。
ライブ行ってみたい。
 
真部脩一が、やくしまるえつことそのまま組んでいたら、というイフを考えずにはいられない。
しかし、きっと「集団行動」のようなポップ路線ではなかっただろう。
ということは、真部脩一の良さは死んでいたかもしれない。
だったら、こうして相対性理論と集団行動のある「現在」を、前向きに肯定しよう。