Nu blog

いつも考えていること

電車通学

小学生の頃から電車通学していて、中学・高校・大学の十年間も電車に乗っていた。

就職して東京に来てからも電車に乗ってばかりである。

もう四半世紀近く、ほぼ毎日電車に乗って生きている。

 


手加減して計算してみた。

一日あたり往復一時間乗っているものとし、休みの日を差し引いて一年に二百日乗っていると仮定して、一年二百時間掛けることの二十五年の五千時間。

と、いうことは、これまでの人生で二百八日分は電車に乗っていることになる。

とはいえ、これはずいぶん手加減した計算である。

本当はもっと乗っているだろう。人生の一割は電車に乗っている、ような気がする。

 


私は自ら志願して小学校を受験した。結果、乗り換え含め三十分程度電車に乗って小学校まで通うこととなった。

親からすれば、ランドセルに背負われているような我が子が電車で通学するなんて! と無謀なことのように思えただろう。

先日、祖母からのバースデーカードを発掘したのだが、「電車とホームの間に落ちないように!」と書いてあった。小学校の最寄駅は電車とホームの間が空いていることで有名だったのだ。

 


入学してしばらくは集団登校のおかげもあって、つつがなく通えていた。上級生に導かれるまま、電車に乗り、乗り換え、行くわけである。

そんな蒙昧な日々にある時亀裂が走った。

というのも、一ヶ月ほど経った五月の頃。いつもの時間に出たはずなのに、なぜかいつもの電車に私は乗り遅れてしまったのだ。

なんでかは分からない。マア、ヨタヨタ歩いていたのだろう。

みんなは先に行っちゃった、とはまるで中原中也の詩句のごとし。当時の私は知る由もない詩句であるが、いづれにせよ、私は上級生らがいないことにパニックになった。

腹の底から喉元にかけて、ぞぞぞぞっと恐怖がせり上がってくる。吐きそう、泣きそう、死にそう。危険信号が身体中を駆け巡る。

私は思わず家路を引き返した。

すると、ちょうど通勤しようとする父に鉢合わせた。

父親にとっても驚きのことだったろう。どうしたのか問われてもロクに答えられない小学生。仕方がないと私を駅までまた連れて行ってくれた。

不幸なことに父親は梅田方面行き、私は三宮方面行きと進行方向が真逆。しかもホームは対面式。

あちらのホームに現れた父親が私に「次の電車に乗りなさい」と周囲も気にせず大声で声をかけてくれた。

「次の電車」とはつまり、今来た電車ではなく、その次の電車のことを指している。

なぜか。東京の方には伝わらないかもしれないが、阪神電車には各駅停車だけでなく、急行、特急、快急、準急、通勤特急、通勤快速、区間急行、普通といった様々な種類の電車が運行されており、私の学校の最寄駅には特急に乗るのが最もスムースなのである。

今来た電車は普通=各駅停車。もしそれに乗れば、通常の倍は時間がかかるため、父親は「次の電車に乗れ」と指示したわけだ。

で、小学生・私は物の見事に「次の電車」=「今来た電車」に乗った。

車窓から父親を見やると、父が手を振っている。私は見送りと思って手を振り返したが、今思えばそれは「違う!」の意味で手を振っていたのである。

いつもより長い時間電車に乗る。なかなか目的の駅まで着かない。静かな車内で、私の不安は募る一方だったが、下手に動くよりこのまま運ばれようと決心して、倍の時間かけて学校まで行った。

誰もいない校門、シンとした下駄箱、各教室から先生の声が聞こえる廊下。

先生に遅刻を咎められた記憶はない。静かに「座りなさい」と言われたように思う。

クラスメートに何か問われた記憶もない。

唯一隣に座っていたAさんが、優しく「大丈夫?」と聞いてくれた。そのやさしさをじんわり思い出せる。

両親からも怒られたりはしなかった。

ただ、しばらくしてから、誕生日に手作りの路線図を渡された。車種ごとの停車駅も一目でわかる優れもの、親心感じるプレゼントだ。

ほどなくして友人らの影響もあり、特急だけでなく、快急や準急も乗りこなせるようになった。区間急行だけは今持ってよくわからない。

5000系、5500系…なんて会話もしていたものである。友人らはレトロ党だったので、9000系の新しい車両のシルバーの色味があまり好きではなかった。阪神電車には、クリーム色と青あるいはオレンジの、どこか野暮ったいデザインが似合っているのだ。

などと言いつつ、新車両に出くわすと我先に乗り込んで、「においが違う」「電光式路線図だ!」などと大騒ぎした。

 


…。

小学生の記憶だけで随分書いてしまった。

中学生の時には中学生の時で、電車にまつわる思い出がたくさんある。

同じ部活のIくんと、帰り道、一駅だけ二人きりになる瞬間があっていつもお互い無言で何も話さなかったこととか、酔っ払いに「学ランのホックと第一ボタンは外すもんだ」と絡まれこととか、部活で遅くなると甲子園駅でタイガース戦終わりのお客さんが入ってきて、負けた日の彼らは荒れているので近寄りたくないのだが、ある日なぜか一人上機嫌なおじさんがいて「この調子でいけば、阪神は優勝してしまうな。俺の計算ではそうなる」と言うので阪神が勝ったのかと思ったら、普通に負けていて、どういう計算やねんと思いながら、家に帰ってニュースを見てたら、タイガースは五位で、何をどう計算すれば優勝するのか分からなかったりとか…。

高校生になって、毎朝女性に近づいてはニヤニヤする気持ち悪いおじさんがいて、いつも本当に肘鉄砲を食らわされていたのだが、私が髪の毛を伸ばすようになって、ピンクの意味不明なカーディガンを羽織っていたら、そのおじさんが後ろ姿から私を女性と間違え、ニヤニヤ近づいたはいいのだが、横顔を見て男だと分かった途端、見たことのない残念な顔をされたりした。

 


最後のエピソードは意味不明だが、マア、電車にまつわる思い出はたくさんある。

向かいに座っている人が読んでる本を、ちらっと見える表紙から当てる、あるいは本屋をくまなく探し回って見つける、などという変態的なこともやっていた。

体育会系らしい高校生が友だちと別れた途端取り出した本が、岩波文庫だったりして、目を疑ったり…(偏見か…)。

 


高校生の頃、秋の数日、自転車に乗って学校へ行ったことがある。電車に乗っても自転車で行っても、実はさほど通学時間は変わらない。

自転車をこぐと心地よい秋の風を感じる。街路樹も色づき始め、そろそろ文化祭だな、文化祭が終わったらもう年末だな、なんてことを思う。

そして、ふと電車に乗っている時間が恋しくなって…。またぞろ電車通学に切り替えて、今に至る。