izumishiyou's diary

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相撲

星野智幸の『のこった もう、相撲ファンを引退しない』を読んだ。 

のこった もう、相撲ファンを引退しない

のこった もう、相撲ファンを引退しない

 

かつて、貴乃花に自分の人生を重ねていたが、その引退とともに相撲ファンも引退した星野氏が、白鵬の相撲によってまた相撲ファンへ復帰した、というエピソードは素敵だ。

自分の相撲ファン人生を振り返ると、始まりは安馬だったことを思い出す(母親が貴乃花ファンであったという前史もあるが、それは僕の歴史ではなく、親子の歴史なので省く)。小さな体で、頭から飛び込むような立ち合い。安馬の調子が悪いと、ぼくの顔にニキビができる、などと友人に言われたこともあったが、実際は年がら年中ニキビまみれだったので、因果関係は不明だ。

身体が大きくなり、大関日馬富士となったころ、それまでの安馬的な相撲から少し離れた気がして、ぼくは熱を一度下げたのだが、その後もひっそりと観戦しているうちに、白鵬の活躍とともに熱を取り戻した。

そして今、相撲協会や「日本人」の排外的なところに苛立ったり、苦言を呈したりしている。

 

星野氏は本書で、僕も感じている苛立ちをきちんと書いてくれている。同じ思いを抱いていたので、これはぼくが書いたんじゃないかと思ってしまった(いや、こんなちゃんとは書けないか)。

 

たとえば、2016年の秋場所9日目の日記において、日馬富士-栃煌山戦において、栃煌山に対する声援が七割方であったことを、

本当に栃煌山のファンならよい。でも、これが例えば大関琴奨菊空いてだったら、栃煌山をみんな応援するか、と問いたい

とし、

優勝する可能性があるのが日本人力士ならば、素直に応援するのだ。それがモンゴル勢だと、とたんに日本力士のほうに声援を送る

と苛立つ。

そして

いつだったか、日馬富士へアンチの声援が飛んだ翌日、日馬富士が優勝をかけている白鵬と対戦するときになったら、日馬富士を会場中が応援したこともあった。胸糞が悪くなった

と記す。

ここの面白さは引き合いに出されたのが「栃煌山」というところで、残念ながら栃煌山の普段の取組ではそんな声援は飛ばない。なのに、日馬富士戦だから、そうなった。栃煌山にとっても迷惑な、励みになるとは思えない声援である。

 

同じように、2016年九州場所13日目でも「誰に声援が飛ぶべきか」冷静に苛立つのである。

大変感じが悪い。百歩譲って、にわかに優勝の目が出てきた強い力士を応援したくなるのは当然ではないか、と言うのなら、今場所は、素晴らしい内容で圧倒的に強く安定している鶴竜にもっと声援が飛んでいいはずである。初日から十三日目まで、ずっとトップを走って優勝争いを引っ張っているのだ。しかも(残念ながら)いつも優勝している横綱ではない。この絶好調ぶりに、館内が鶴竜を応援してもいいはずだ。だが、鶴竜コールは一度も起こってはいない。十年前だったら、今場所の鶴竜は確実に大声援を受けただろう。

確か20104年9月場所の千秋楽、白鵬-鶴竜戦。当日券で観に行った日に似たような体験をしたことがある。

その日、逸ノ城は勝って13勝2敗。白鵬は13勝1敗で、鶴竜に敗れれば優勝決定戦(無論、優勝決定戦になれば勝っていただろう)。その時、鶴竜に対する声援、いや「白鵬負けろ」という声が会場を覆ったのである。

僕は激怒した。隣にいた友人も激怒した。反対側の隣にいた見知らぬ女性も激怒した。何の会話も交わさなかったが、三人同時に「白鵬がんばれ!白鵬白鵬!」と叫び、思わず顔を見合わせた。全員、鬼のような形相であった。「この状況はダメですよ!」とぼくが言うと女性も「そうです」と言って、それから三人でまた「白鵬白鵬!」と叫んだ。

 

星野氏は馬鹿騒ぎが嫌なだけなのだ。相撲のある日常を愛し、楽しみたいだけ。

日本人力士だから応援をするというのは嫌な感じなのに、地元の力士を応援するというと不快感がなくなるのは、不思議かもしれないが、全然不思議ではない。サッカーで言えば、日本代表よりも地元のクラブの勝利のほうが大切と感じるサポーターのようなもの。非日常で憂さを晴らすのではなく、日常の一コマとして、労力をかけて地道に応援するというか

だから、NHKが今場所の注目はこいつだと煽り続けることも批判する。ぼくが見始めた頃からかもしれないが、NHKはやたらと「次の大関候補」だのなんだの煽り過ぎなのだ。

 

星野氏は、日常に相撲を根付かせ、日々相撲を愛でるスー女の存在を強く肯定する。

スー女も基本的な姿勢は韓流ファンを同じだ。だから、高齢のおじさんを中心とした旧来のファンや、罵りたいがために相撲ブームに乗ってくる連中と違って、貶めて嫌うという否定的な意識は希薄で、好きであること、好きになろうとすることに労力をかける。

スー女たちは、それまでの男を中心とするファンたちには見えない大相撲の価値と、ものすごい探求力で発掘し続けているのである。その中には、旧来のファンが無価値として捨ててきた要素もたくさんある。スー女のおかげで、相撲はまったく新しい価値を発見され、新しい楽しみ方を作り出され、生まれ変わり、存続を許されたのだ

イケメンとか勢関の色気とか、私にはどうしても判断がつかない価値基準もあるが、それでも相撲の楽しみがずっと広がっている。とにかく人にハードルを課してこないから、心地いい。

こと女性ファンは「にわか」と侮蔑されがちだ。しかし、旧態依然とした男性の方がよほど「にわか」で、何も分かっていないことが多い。あるいは、古い価値観の中で偉そうに講釈垂れたりする。やたら力士本人と知り合いであることを自慢してきたり。

何よりも大切なことは(相撲に限らず)、その世界を自分の日常として、愛し続けること。非日常的な「祝祭」としての相撲ではなく、日常の一部として相撲と付き合い続けたい。ただ、それだけ。

 

ところで、照ノ富士にインタビューした記事がアップされた。

note.mu

率直に言って、感動した。

最近の大事な相談事は何かと尋ねると、
「辞める相談かな(笑)。こういうのは正直な方がいいでしょ」
と、こちらが苦笑いする変化球を返してきた。明るく話す裏には忘れられない痛みを抱えているようにも見えた。

これからの照ノ富士がどうなるか分からない。ハリのない体を見ると、辛くて目を逸らしたくなるくらいだ。

間違いなく、全ての力士はいつか引退する。だからこそ、今応援する。そして、引退した後の人生も、幸せであることを祈っている。