izumishiyou's diary

いつも考えていること

映画の感想

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公開中の『孤狼の血』、テレビで放映されていた『日本統一1・2』、『Shall we ダンス?』を観て、思うところがあった。

 

そもそも、映画が警察=公権力を描くのは、自分は違うと思うのだ。たとえ、型破りな刑事を描くとしても。

というのも、映画というか、芸術やジャーナリズムというのは、組織が必然的に権力装置であるように、いわば反権力装置であるのがよいと思う。むろん、なろうと思えばいくらでも権力を維持する装置になる。

反権力とは、警察と喧嘩することとかではない。組織と個人を対立させ、個人の側に立つという単純なものでもない。それらを含むこともあるだろうが、反権力とは一言で表して「乱す」ことだろうと思う。

警察=公権力の目的は、維持を目的としていて、秩序を乱さないことが前提だ。警察が主役の物語は、治安の維持が目的だから、権力的にならざるを得ない。『孤狼の血』も、結句そうであった。

映画は、あるいは芸術やジャーナリズムは、現状に揺さぶりをかけ、人の心をざわつかせ、新しいモノの見方を提供できる。それは権力にはできないことだ。

だから、警察=権力の物語をぼくは受け入れられない。

 

役所広司は、なぜ公権力を象徴させられるのだろうか、と『あさま山荘』でも警察の人だったから、思ってしまう。

確かに、組織の規範を離れ、個人としての矜持・意思を示す姿が似合うと言えば似合う。しかし、それでも目的は治安の維持でしかない。

組織の論理と個人の意思との葛藤であれば、ドラマ『小さな巨人』みたいにギャグに突っ走るか、あくまでも組織の中でいかにやり抜くかを考える『シン・ゴジラ』か、そんなやり方であれば、主人公が公権力に属していても、物語が跳躍する(つまり、役所広司を継ぐ人として長谷川博己がいるような気がする。そう言えば『二重生活』を観たが、冒頭の菅田将暉門脇麦のセックスシーンと長谷川博己全般が良かった)。

アウトローだが、誇りのある警察官という本作の設定は私にとってはつまらなかった。いろいろやっていたが、つまるところ理想的なおまわりさんに過ぎないのではないか。もっと小賢しい警察(ex.『アウトレイジ』)を描いてほしかった。

少なくとも松坂桃李はラスト、ホテルで全員ぶち殺すべきだった(まあ、それをしたら、北野武的と批判されていたかもしれない)。ヤクザを罠にはめて、逮捕するなんて、警察のくだらなさを見せつけられた気にしかならなかった。だから、憤懣のままに養豚場の青年をボコボコにするシーンは良かった。

そのほか『孤狼の血』で良かった点は、千葉優作を彷彿とさせる冒頭の竹野内豊(出番短すぎ…)とクスリを打って討ち入りする中村倫也と「うちのおめこ、タダで拝ませたげたやろ」と言う阿部純子である。いずれも、乱れを生じさせる役割であったから、光っていた。

 

『日本統一1・2』は徹頭徹尾ヤクザ側のお話、ヤクザしか描かない。

ずっと観ていると思考が短絡的になりそうな・知能指数が著しく低下しそうな恐ろしい映画である。何の思想もないから、カウンターカルチャーにはなり得ないのだが、警察を美化するよりはまだマシ、とぼくは評価する。

あるいは『Shall we ダンス?』における役所広司演じる小市民こそ、映画が扱う題材として、グッとくる。

彼の助平心が昇華されてゆく過程は、美しくもあり、醜くもある。「乱す」とはこのことだろうとぼくは思った。

 

(追記:6/8)

アンタッチャブル』や『L.A.ギャングストーリー』、『ダーティ・ハリー』なども警察官が主役だが、なぜそれらは面白いのだろう?

それらの作品でも大抵めちゃくちゃな警官ばかりだが、「うまいことやろうとしない姿勢」が異なるように思う。『小さな巨人』も、うまいことやろうとしない。『孤狼の血』は、なんだかんだ言ってうまいことやろうとするのが、自分にとっては腹立たしかったのかもしれない。