一昨日の週刊新潮に掲載された、週刊文春が週刊新潮の中吊り広告の原稿を版元からもらい受け、スクープ潰しをしていた件、めっちゃおもろい。
読者であるぼくとしては、週刊誌ができる"日"単位のスケジュール、記者らのギリギリの努力が描かれていることがおもろいところ。
木曜 前号発行
金曜〜ネタ集め
月曜 原稿書き始め
火曜 朝一 中吊り広告完成→各方面(掲載元)に配布
火曜 朝二 原稿締め切り
火曜 昼 ゲラ
火曜 夜 最後の修正
木曜 発行
こんなスケジュールで動いてるなんて知らんかった。
このスケジュールにおいて、火曜の朝一に出来上がった新潮の中吊り広告を文春が盗み見て、火曜夜の最後の修正までに内容を合わせ(記事によってはスクープ速報を打ち)、新潮のスクープをつぶした、と新潮は主張。文春は完全否定。
新潮に掲載されている写真(文春社員が中吊り広告をコピーしている)については何も書いていないから、疑惑を払拭できたとは言い難い。
週刊新潮が盗られたと主張する記事はいくつかあって、
・高木復興大臣(当時)パンツ泥棒疑惑
・慶応大生の集団強姦疑惑に関する被害者母親の言葉
他いろいろ、という具合。
盗った盗られたと言う割には、素人目にはそんな騒ぐようなスクープなのか、いまいちよく分からないのがまたおもしろい。
連載引き上げを先に見つけた方が勝ち、パンツ泥棒だと報じた方が勝ち、タレントの親を先に突き止めたら勝ち、と話を矮小化すれば、なんだか滑稽に感じられる。
むろん、報道の持つ使命を考えれば、広く情報を集め、素早く知らしめることが私たちの知る権利を支えており、重要なことは分かっているのだけれど…。
いつかのNHK朝の番組「あさイチ」ではにわのはに丸くんが週刊文春の副編集長に突っ込んでいたが、「伝える意義」「公共性」とはなんなのだろうか、考えさせられるし、分からん。
先日来、朝日新聞が加計学園問題に安倍首相が関与していたことを示す文書が見つかった、とスクープを発信している。文書の真偽についてはまだ定かでないと言うべきだろうか。菅官房長官はそれを「怪文書」と呼んで、疑惑を打ち消そうとしている。文科省は「存在確認できず」と発表した。見た感じ、「手持ちの議事録」、つまりメモ書きっぽいから、いくらでも言い逃れできそうな、なんとも言えない文書ではある。
最近、何が本当か本当じゃないのか、分からなくなっているよ。いいや、本当も嘘もないのか。君からすれば君が正しい、ぼくからすればぼくが正しい。
共謀罪の説明もあやふやで、あれが成立したら、マスコミなんか複数人で動くのが当たり前なんだから、何を探っているのか、警察が捜査してしまうんじゃないだろうか。ぼくなんて根無し草だし、変人扱いされがちだし、友だちは少ないから共謀しようにもできないので大丈夫かもしれないけど、いつも多数派でいられる自信がないので、不安で仕方ありません。
誰かが得しない、誰も損しない、そういう社会設計を多数派の人、目指してくれないか。決められる政治(別名、良い独裁)がみんな好きだけど、決められる民主主義という新しい制度設計が必要なんじゃないの。あーあ。