izumishiyou’s diary

いつも考えていること

横浜にぎわい座「上方落語会〜NHK新人落語大賞受賞者の会〜」の感想

横浜は桜木町、にぎわい座で開かれた「上方落語会〜NHK新人落語大賞受賞者の会〜」に桂雀太が出ると聞き、馳せ参じた。雀太他、よね吉、佐ん吉、三若が出演。演目はそれぞれ「遊山船」「蛸芝居」「稽古屋」「夢の続き」。いずれもはめもの(口演中のお囃子)のある賑やかな演目だった。

 

さて、雀太演じた「遊山船」、喜六と清八という上方落語ゆかりある2人が、橋の上から屋形船を眺め与太話をするだけの前半部分、そして喜六が家に帰り、前半部分を受けて、妻と言葉遊びをする後半部分ときれいに分かれる作品である。

予習に聞いた桂ざこばの声は、テレビのままにがなっているのだが、なかなかどうして聞きやすい。賑やかさも似合っており、喜六の雰囲気がぴったりだ。特に後半、天窓まで上がり妻の頭を見て「嫁はん、こんな上から見んの初めてやなあ。うわ、嬶、えらいところにハゲがある」という余計なことを言うシーンはありありと情景が思い浮かぶ。

雀太の喜六も十分にアホである。見所だったのは前半部分、振袖を着た舞妓を見ての掛け合い。「舞ってへんけど舞妓」だの「振ってないけど振袖」だのがジャブとなって、その後に続く実にしょうもない「南京豆取り出しにくそう」論争が爆発的に面白くなる。

「あのー、あんな、長いところに南京豆入れたら、取り出しにくいやろなあ」という喜六の、「思いついてしまったから言うけど」といった感を演じる雀太の顔の憎らしさ!「入れへんのは分かってる!入れへんねんけど、入れたら取り出しにくいやろなあ言うてんねん!」

 

2番手は桂よね吉。どこかで見たことがあると思ったら朝ドラ「ちりとてちん」の劉備だ。懐かしい。

まくらの面白い人と面白くない人との違いはどこから来るのだろう。この人はまくらが抜群だ。客いじりも少し交えた雰囲気作りも素敵。

歌舞伎にまつわるまくらだったが、後でよね吉の師匠、桂吉朝の落語を聴いてみたら、まったく同じくだりのまくらがあった。いわゆるサンプリングである。

落語というのは、まくらにもオールドスクールを敬う精神があるのかと感動する。とんかつDJアゲ太郎で描かれたとおりなのだ。

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さて、「蛸芝居」は全編にわたり芝居を演じなければならないので、演者にとっての難易度は高いことだろうし、聞き手にとっても理解力や教養を試される演目だった。分からないところもあったので、歌舞伎について勉強しようと思った次第である。

しかし、途中までは家中の者が芝居がかるだけのアホな演目なのに、後半にかかるとタイトル通り、蛸が芝居を始めるのだから、上方落語の想像力は強靭だ。

ありえないことを想像力はでもって笑いに変える。落語の魅力を堪能した。

 

3人目、佐ん吉。2015年のNHK新人落語大賞、色気と品のある「愛宕山」は素晴らしかった。仕草やなんかにどことなく、末っ子のようなかわいらしさを感じる。

演目は「稽古屋」。色っぽい稽古屋のお師匠さんが佐ん吉にぴったりだ。一方アホな喜六もよく似合う。宇治の名物蛍踊りの下品さも、佐ん吉が演じれば可愛らしい。ギャグ漫画的な笑いではなく、日常系漫画的な笑いとでも言おうか、安心して見られる優しさがあるように思った。

 

最後は桂三若。「夢の続き」なる演目はどうやら本人の創作落語のようであるが、聞いてる間はそれを知らず、文枝の作ったものかな、と思った。夢オチに次ぐ夢オチという不思議な構造をしたお話。ハッピーエンドにできるように思うが、無念のままというのがリアリティか。

 

なお、前座は「鉄砲勇助」。嘘をつきまくる不愉快と愉快な狭間をうろつくようなお話である。

この話の初っ端、「あっちで事故があって、アベックの女の腕が取れてしもた」「大変やがな」というだけのくだりで笑っている人がちらほらいて、この日のお客さんの受けるポイントがよく分からないな、とぼくは思ってしまった。その後の話としては「女の連れの男がスタスタ歩いて行くから、なんで心配せんのか聞いたら、「もう手が切れたんです」やと」「嘘つくな」というように嘘話が続くのだが、嘘だと分かることでようやく緊張が緩和するのであるから、前段で笑うのはおかしい。腕が切れた話で笑ってる人がいたら、かなり怖い人である。話を知らないぼくが素人なのだろうか、と不安に思う。しかし、話を知ってようと、目の前の噺家さんに没入することで、新しく聞く、感じることができるし、それが大切ではないかと思う。