izumishiyou’s diary

いつも考えていること

Choose Facebook, Twitter, Instagram and hope that someone, somewhere cares

世代じゃないから、リアルタイムで追えていたわけじゃないけれど、高校生〜大学生の時に接したものたちがゾンビのように復活? いや、あの時それらは死んだのではなく、今に至るまで一緒に生きていたのだ。ex.小沢健二、そして下記2作品もまた。

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『T2』

www.t2trainspotting.jp

前作『トレインスポッティング』は、ブリティッシュ・ロックとエウレカセブンに興味を持った7年前、大学生の時に観た。ヤク中、アル中、喧嘩好き、汚くて、どうしょうもない人たちばかりが出てくる。そこまでどうにもなれない自分=まだマシな自分、なんて彼らと自分を比較してみれば、それゆえ、その人たちも自分も辛いと思った。ぼくはもっとどうしょうもなくなりたかったし、彼らはもうちょっとマシになれるはず、だと思って。

続編である今回も同じ感想で、どうにもなれないダメな人たちを観ながら、とはいえ、自分も大してどうにもなってない、と全て丸ごと辛いのだった。

 

冒頭、レントンはジムで汗を流し、シック・ボーイに対してオランダで中小企業で働き、結婚しているし子供もいると言うから、よもやダメから抜け出したのかと思いきや、故郷に戻った途端、すべてが逆戻り。パーティ会場からお金を盗み出しまくる描写は爆笑(「0時を回った、もう一回出せるぞ!」)だが、なぜまたそうなってしまうのか…、辛くなる。

シック・ボーイとスパッドは相変わらず。刑務所にぶち込まれたベグビーも凶暴なまま。

まあ、そんなもんですよね。ぼくやぼくの友人の20年後も、今と大して変わらないだろうし、そうあれば御の字だ。

 

スパッドの登場シーンは前作の面接シーンを彷彿とさせて嬉しい。サマータイム…。彼は前作も今作もキーパーソンで、観る側の代表、象徴みたいなものか。彼の住むあのやけに背の高いマンションのどんよりとした感じ、日本で言うところのニュータウンのように、イギリスではお馴染みの社会問題の風景なのだろうか。20年前には新しかった場所が20年経って古くなる。

シック・ボーイとレントンの関係は、ホモソーシャルまんま。二人とも新しい出演者、ベロニカの方を向き、二人で過ごした過去を話しまくる。ベロニカには私の方を見て話さずに二人で話せば、と呆れられる。しかし、二人は向き合って話すことができない。向き合えば殴り合ってしまうから、間に女を挟む必要がある。なんとホモソーシャルな関係ずばりなんだ。なぜ男は潔く男同士でいちゃつけないのか。

前作から暴力的でワガママなベグビーが、ぼくは苦手で苦手でたまらないのだが、今作もそれが止まらない。怖くて見てられない。古典的な方法で脱獄し、息子にコソ泥の手伝いをさせる。妻とは上手くいかないのに、レントンを追って勃起する、という描写は、ホモ嫌いの潜在的ホモであることを示唆しているようだ。朝日新聞の記事で、監督のダニー・ボイルがベグビーを主役に置いたスピンオフを考えていると書いてあったが、たぶんぼくは観ないなあ。

 

この映画には、男性にまつわる問題が散りばめられている。男の暴力性、破滅願望、支配欲、女を挟まなければならないホモソーシャルな友情、ホモフォビアのホモ…。

漠然と、彼らは反権威的だが反権力的ではなく、どちらかといえばEU離脱を支持し、(アメリカにいれば)トランプに投票しそうな感じがする。ワイドショーで現状の秩序を擁護する発言しかしない松本人志と同じような感じ。

スパッドの文才やベグビーの少しの反省、レントンとシック・ボーイの関係を救いや希望のように捉える人もいるかもしれないが、果たしてそうだろうか。もしも20年後、「T3」が作られたなら、ヨボヨボの老人になって、何も得られていないまま、それでも生きなければならない彼らの姿が描かれるだろうし、実際に生きるぼくもまたそうなのである。つらすぎる。


そして、彼らはたくさんの人を傷付けまくっているが、加害者である意識が全くないのが怖い。彼らのダメさに、不器用とか中年の危機とか愛すべき人間とか、そんな言葉を当てはめて安心してはならないはずだ。それは前作の時も同様で、刹那主義とか退廃的とか若さゆえの絶望とか、そんな風に慰めるのはやっぱりおかしい。

フェイスブックツイッター、インスタグラムを選べ、どこかの誰かが見てくれてることを期待しろ、昔の恋人を見つけて、違う風にしてたら今ごろは…と思え、そして歴史が繰り返されるのを見ろ」

適当に訳してみた。生きることは今という過去の積み重ねだったと気づいたその時、すでに選べる選択肢はほとんど残されていない。その時はその時にやれることをやっていた、と言い訳したり、悔やんだり。しかし人生は死ぬまで続く。

Choose life.
Choose Facebook, Twitter, Instagram and hope that someone, somewhere cares.
Choose looking up old flames, wishing you’d done it all differently.
And choose watching history repeat itself.
Choose your future.
Choose reality TV, slut shaming, revenge porn.
Choose a zero hour contract, a two hour journey to work.
And choose the same for your kids, only worse, and smother the pain with an unknown dose of an unknown drug made in somebody’s kitchen.
And then… take a deep breath.
You’re an addict, so be addicted.
Just be addicted to something else.
Choose the ones you love.
Choose your future.
Choose life.

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ブルーハーツが聴こえる』

tbh-movie.com

高校生の時、ブルーハーツハイロウズエレファントカシマシドラゴンアッシュブッダブランドを好んで聴いていた。今振り返っても、よく分からん趣味だなあ。

ブルーハーツというのは青春と生活と政治を統合した稀有なバンド、というのがぼくの認識。

だから、その楽曲を元に作られた映画は青春と生活と政治のエッセンスがにじみ出ているかと思ったら、いやはや感傷に満ちていた。

6作品あったので、一つにまとめて評することはできないけれど、全体を通した感想は「なんだか疲れた」である。

「ハンマー」で繰り広げられるライトノベル的な会話劇は、どう捉えてもブルーハーツ的でないし、あるいは比喩を重ねなくとも、尾野真千子も角田晃弘(東京03)ももっと面白く言葉遊びができそうだし、序盤から不安になる。あの女子高生役の人、vine大関れいかかと思ったら違うんですね。そして「人にやさしく」のSFはなんだかよくわからない。マジで、よくわからん。席を立っても良いかもと思い始めた。実際この映画、途中でお手洗いに行く人がチラホラいた。年齢層が高いからですかね。3つ目、「ラブレター」で斎藤工要潤がはしゃいでいる姿は、物語そのものも馬鹿げていて麗しかったので、なんとか気を持ち直す。4つ目「少年の詩」は、子どもが疾走するシーン、特にカーブを曲がる時の体の角度が素晴らしい、なんて細かいことを褒めてみる。そして「ジョウネツノバラ」の感傷さには辟易。やっと水原希子なのにこれか…、と絶望的になりつつ、「1001のバイオリン」は東日本大震災にまつわる物語。なんともコメントできない。全体に捗々しくない映画だった…。最後に流れる「青春」の歌詞、「こんなはずじゃなかっただろ」に思わず「うん」とうなづいてしまうのでした。