読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

izumishiyou’s diary

いつも考えていること

私をラグビーに連れてって(take me out to the rugby game)

ラグビーW杯が始まった。

相撲も見なきゃならんし、ラグビーも見なきゃならんし、嬉しい悲鳴である。
 
案外自分はスポーツ好きだなあと思う。
囲碁や将棋とかには関心がない。子供の頃に体を動かしていたことが根強く自分の中にあって、根本的にスポーツが好きなんだろうなあ。体育会系は嫌いだけど。
 
ラグビーはサッカーに比べるとルールが難しいようで、反則の種類が多すぎるし、どう判定しているのかわかりにくいところがあって、ポビュラリティを得られていないみたいだ。
 
とはいえ、すべてのルールは以下2原則「ボールより前でプレイしない(ボールより前は防御側、後ろは攻撃側の陣地)」「ボールは持って走るか、キックするかの2通りにより動かす」を基に派生している。
 
たとえば「自分より前にいるプレイヤーにボールをパスしてはいけない」というルールがある。
自分=ボールより前でプレイ(=攻撃)してはいけないので、そこにいる人(=オフサイドプレイヤー)にパスをするのは反則なのである。
 
「前にボールを落としてはいけない」というルールも、単純なミスとかではなく、ボールを保持した人がボールを持って走るあるいはキックによりボールを動かす以外の方法でボールを移動(前進)させようとしたことが問題なのである。
 
案外簡単。観る時にはボールの場所を常に把握することが重要で、加えてそのボールの位置で向かい合うチームの陣地が分かれていると捉えるといい。
なのでボールの位置が相手ゴールに近ければたとえ相手がボールを保持していても攻め込んでいるし、自分側にあれば自分がボールを保持していても攻め込まれていると言える。
そうした陣取り合戦としてまずは見てみると、サッカーとの共通点もあって徐々にルールもわかってくると思う。
 
なにせ難しいのは人がわーっと集まる「密集」だろう。どこにボールがあるかわからないし、何してるのかわからない。
 
まず、どこにボールがあるかは僕にも分からない。あの密集はボールの争奪戦の現場であり、ボールがどちらのチームに渡るかが決定する過程なのである。
だからボールの位置は未確定と言っていい。
何しているのかというと先に述べたとおりボールの争奪戦をしている。
 
ラグビーは原則の通り、ボールのキャリー方法(運搬方法、前進させる方法)の第一が「持って運ぶ」という競技だ。
それに対する守備方法は、ボールを持ってる相手を倒し(タックル)、ボールをもぎ取る(ジャッカル、ターンオーバー)、この一手に尽きる。
なので、誰かがボールを持ち、前に進もうとすると、それを阻むために相手はタックルする。
地面に膝をついたプレイヤーはアンプレイアブル、行動不可となるので、ボールの保持を中止、すなわちボールを地面に置かなければならない。
地面に置かれたボールは誰のものでもない。先にボールを拾い上げたチームのボールとなる。
しかし、そうは簡単にボールを拾い上げることはできない。相手チームも狙っている。同時に拾い上げようとボール周辺に両チームの選手が集まった結果、ぶつかり合うこととなる。これを密集の一つ、ラックと言う。
ラグビーのプレイにおいて、このラック状態はかなり多い。ラン(前進)→タックル(阻止)→ラック(ボールの争奪)という流れが何度も続く。攻撃側はラックにおけるボールの争奪を優位に進め、素早く次の攻撃につなげたいし、防御側はボールを奪ってしまいたい、あるいは相手の次の攻撃を遅らせ、効果的な攻撃ができないよう仕掛けたい。
そういう意図でラックという密集が何度も形成される。
ちなみにラックでは手を使ってはいけない、倒れ込んではいけない、横から入ってはいけない、といったルールがある。これらは密集において、純粋にまっすぐ押し合いボールをするためのルールである。
たとえばラックの中で手を使えてしまえば、密集が形成されているにもかかわらずボールの獲得は押し合いではなく手の出し合いになってしまう。横から入るのも、まっすぐの押し合いを妨害する行為のため許されない。
なにせ簡単に言うと、ボールを真ん中に押し合いして、強く押せた方がボールの権利を獲得する、のである。
ボールの争奪戦をするために、押し合いへしあいしているのである。
 
なお、「スクラム」というのはこのラックの一つの形であると理解していただきたい。
ラグビーの反則には軽重があり、密集における反則や悪質な反則は重く、単純なミスや故意でないものは軽い。
重い反則はペナルティキックによるリスタートとなる。相手チームは10メートル下がらなければならない。ちょんと蹴ってリスタートしてもいいし(10メートル程度の前進が見込める)、大きく蹴って外に蹴りだしてもいい(ラインアウト、通常最後にボールを触れた側とは反対の側によるリスタートとなるが、ペナルティキックは特別で、蹴り出した側のチームからのスタートになる。だからよく蹴り出すのだ)し、ペナルティゴールを狙ってもよい(3点獲得できる)。
軽い反則はスクラムによるリスタート。ボールを投入する権利が与えられるので、ボールの争奪が比較的優位に行えるわけである。
ちなみに中間くらいの反則も一応あって、それはフリーキックによるリスタート。ペナルティキックではなくフリーキックなので、たとえば外に蹴りだしても自分ら側でのリスタートにならないので注意。
 
さて、ラックの他にもう一つ、密集の形がある。
ボールを持って走る人間にタックルしたはいいがこけなかった、膝をつかなかった、ということがある。なんとか捕まえ、動きは止めたがこけなかった。それはラックではない。
敵チームの援軍が来たが、ボールごと捕まえているので、パスはできない。どうしよう、よし、押そう。敵味方集まり押し合いが始まる。
このボールが宙に浮いた状態での密集をモールという。
これもまた人がたくさんになるので分かりにくい。
しかもラックと違ってボールは下にないのでなおさらボールの位置が把握しにくい。
このモールによって防御側がボールを奪取することも可能だが、なかなか難しい。攻撃側は密集の一番後ろにボールを送り、集団になって押すことで前進を図る。
一対一で押し合いをするのではなく、チーム同士で押し合いをする形とでも言おうか。
攻撃側の押しを防御側が止められるかが見どころである。
このモールは、ラインアウトから形成されることが多い。ラインアウトとはタッチラインの外にボールが出た後のリスタート方法である(大昔はラインを引くのではなく、観客の手に触れる位置までを基準としていたため「タッチライン」と言う)。
ボールを放り投げてリスタートするわけだが、その際大きな男たちがジャンプしてボールを争奪するのがラインアウトである。ボールキャッチ後、相手タックルに耐えてモールを形成し、押す、というのが一つの戦術となっている。
 
いろいろ複雑なように見えるが、書いてみて思ったが単純なゲームなのだ。
ボールを境目に攻守の陣地が分かれる陣取り合戦でしかなく、攻撃側は前進を、防御側はその阻止及びボールの争奪を狙っている、というただそれだけなのである。
サッカーの方が攻守が入り乱れており、見る側からするとどちらが優位かがはっきりしておらず、実は複雑だと思う。バスケとか、バレーとかも情勢の判断がイマイチ掴みにくいが、ラグビーは大きなフィールドのどこにボールがあるのかで情勢がつかめる。
なので、フィールドにおける複数のラインを目安として覚えておくことは大切だ。
まずはハーフウェイライン、つまり真ん中。ここを中心にフィールドは半分こされる。
そこから10メートル離れた地点に10メートルラインがある。これはもうただ単に目安のラインである(キックオフ時、キックは10メートル以上蹴らなければならない、というくらいか)。
その外側、よりゴールに近いところにもう一つ線がある。これはゴールラインから22メートル離れた地点を示す22メートルラインである。
このラインにはルール上の意味がある。22メートルラインより内側からであればボールを蹴って直接タッチラインの外に出してしまってもいい(反対に、22メートルラインの外側で直接タッチラインの外に出すと、その地点まで戻ってラインアウト、しかも相手ボールでのリスタートという非常に不利なことが起きる)。これはキックによる陣地獲得に一定の制約をかけるためのルールである。あまり簡単にキックで前進できては面白くないのでそうしたルールがある。
その他にも22メートルラインが意味を持つ場面は度々あるし、攻撃側からすればそこまで前進できたら後ちょっと、という意味もある。この22メートルラインは重要なので覚えておくべし。
タッチラインのすぐ内側に目安のように線が引かれていることがあるが、それはタッチラインから5メートルを示すラインである。ゴールラインから5メートル離れたところにもその5メートルの目安がある。
ラグビーにおいて5メートルは大きい。
ほんのわずかなスペースを意味することもあれば、果てしなく遠い距離を示すこともある。
タッチラインの5メートルより内側を走れば、後少しでタッチラインの外側に押し出されてしまう位置でのランであるが、ゴールから5メートルというのは大抵果てしなく遠い。どれだけ攻撃を重ねてもその500センチがつめられない。
 
少しばかりルールから離れて、戦術について書く。
サッカーなんてのも単純化すれば、攻撃側はいかに相手の最終ラインの裏へボールを運ぶか、キーパーとの一以上対一に持ち込めるか、防御側はいかに相手に自由な動きをさせないか、というのが戦術というか、攻め方、守り方の基本になると思う。
そのための複雑な動き、システムがあるわけでしょう。
よもや適当に蹴り飛ばしたらゴールに入りました、なんてこともたまにはあるかもしれないが、それはまぐれ。実力にはカウントされないことだろう。
ラグビーにおける攻め方、守り方も同様にシンプルだ。
特に守り方の基本は大昔からほぼ変わってないだろう。
 
まず守備は攻撃とは違い、一人だけではどうにもならない。15人全員で守備をする。
「面」と表現するのだが、横一列に揃って並び、攻撃側に隙間を見せない。
どこにボールを持って走ってきても、対応できるように平行に並び、相手の突進に対応する。
この平行が保てなくなると、相手の突進に対応できなくなる。攻められた時に対応できないスペースが生まれる。
体力のきつくなる後半、ホイッスルの鳴る最後の最後までその平行、規律が守れるか、ここにチームの実力、真価が問われるわけである。
加えて防御において重要なことは、前に出て守ること。
ラグビーは陣取り合戦なので、攻撃側は前進しようとする。一歩でも前進できれば攻撃側の勝ちなのである。
防御側は攻撃側に一歩も前に行かせないよう前に出て守り、前進を許さないこと。もっと言えば、守りながら陣地を獲得するくらいに攻撃を封じなければならない。
攻撃側が一歩でも前進するということは、自分たちは一歩後ろに下がる。下がりながら守ろうとすると、後ろ向きに走ることになるので前に出て守ることができなくなり、なお前進を許すこととなる。
しまいには平行の防御ラインも決壊、終了。
一度の前進、一つのほころびですべてが終わることがあるのだ
 
反対に攻撃からすれば、ほころびを突く、作ることが目的となる。
攻撃の戦略はそれに尽きる。
だから、攻撃はシンプルだ。縦に突っ込み、体一つ分でも前に、前に。
ボールは後ろにしかパスできないので、ボールを受け取った時点で既に後退しているわけだ。元あった位置より前にボールを動かすためには、パスをするよりも持ったら前に走る!これしかない。
そうやって小さな前進を重ね、敵の防御ラインを岩盤を削るように、少しずつ少しずつ掘り、崩壊のタイミングを待つ。
防御側に前で止められてはならないし、ましてやボールの争奪で負けるようなことがあってはならない。
ただひたすら一歩ずつ前へ、前へ。
そして防御側のバタつきに乗じて、一気に外へ展開する。空いたスペースに対し勝負をかける。防御側の崩壊していれば、そのまま一気に走りきれるだろう。
これが基本。
ラグビーの戦略というか、トライの取り方はほぼこれ以外ない。
他にも先にも述べたようにモールで押して前進する方法もあるし、相手のミスを誘いペナルティゴールを狙うこともあるが、基本は一つ。当たって砕き、ほころびを突く。
 
単調、ツマンネと思うかもしれない。
反対なのだ。
単調に見えても実際は多彩な動きがある。それを読み解かなければならない。
それに、王手をかける瞬間が面白いのではない。
王手までいかに持っていくかが醍醐味なのである。
そこに至る道筋が千、万、億通りあり、そのうちのたった一つのやり方が、その試合、その時にまるで定められていたかのように現れる。
それがスポーツの醍醐味、奇跡、尊さなのだ!
 
さて、ここまでお読みいただいて、ラグビーの基礎知識、楽しみ方が少しわかってもらえたら幸いである。
ぜひラグビーW杯、世界最高峰のプレイを見て楽しんでほしい。
 
 
さてさてここからが本題(!)。
日本代表の歴史的勝利について!
 
日本が南アフリカに勝つなんて、一ミリも、本当にまったく、微塵も、欠片も、まったく、まーったく考えていなかった。
いや、これはぼくに限った話ではないだろう。誰が勝つなんて予想をしていただろう。
誰も日本に賭けないから、賭けにならないと言われた勝負なんである。
番狂わせ、それも南アフリカが墓穴掘った的な番狂わせではなく、日本が勝つためのラグビーをやって勝ったのだから、歴史的勝利なのである。
 
ラグビーを知らない人からすれば、何をそこまで興奮するのか、という感じかもしれない。
しかし、ぼくが生まれてこのかた、日本代表が勝つなんて、見たこともなければ、想像したこともないのだ。
ありえないことだった。ありえないことのたとえ、瓢箪から駒の代わりになってもいいくらいありえないことだった。
引き分けで御の字、いい試合をすれば日本ラグビー前進した、と評価され、ぼろ負けが普通、それに対する酷評もないくらい。
それが世界における日本のラグビーだったのだ。
 
中学生の時、2002年日韓共催のサッカーW杯があった。
忘れもしない。ぼくの通う中学校はわざわざ、講堂でその試合を放送したのだ。別に卒業生が出ているわけでもないのに、なんでか知らん、わざわざ大スクリーンで!
翌2003年、オーストラリアで行われたラグビーW杯を知る人は少ないだろう。ぼくはJ-Sportsでほとんどの試合を見た。
最高の大会だった。
イングランドウィルキンソンがアホほど活躍した。キックで何点取るねん!と突っ込む暇もないくらい量産した。イングランドの獲得点数の多くが、ウィルキンソンのキックによる点数だった。
開催国オーストラリアは悲願の優勝ならず。しかし明らかな実力差でそれまで他国を粉砕してきた姿は、意地やプライド、背負っているものの重さが感じられた、なんというか「恐怖」のチームではなかったろうか。
ニュージーランドのスペンサーがめちゃかっこよくて、試合前の儀式、ハカを指揮するその迫力に痺れた。
なお日本代表はぼろ負け、勝てる要素もなかったと記憶している。
や、そうでもなかったのかな、イマイチはっきりと試合内容を覚えてない。
勝つわけないし、ってな具合で見てないのかもしれない。
スペンサーが見せた股の間から放り投げるパスは何度も練習したが、日本代表のプレーで記憶に残っているものが一つもない。
(動画二つ目のトライ。奇しくも一つ目がフィジー対日本であるが、日本の粘りのなさには驚く)
 
そもそも、日本のラグビーには戦略が一つしかなかった。いや、戦略というか、標語というか、合言葉というか。
すなわち、
「日本人は外国人に比べて体が小さいから、ディフェンスで耐えて、ワンチャンスでトライを取ろう」。
 
以上、終了である。
接点、コンタクト、つまり体でばーんと当たって前進するのは難しい。どうしてもフィジカルの差がある。自分たちが攻め手を重ねても、なかなかチャンスは生まれない。
相手の攻撃を前で止めて、ターンオーバー、つまり攻守が変わった瞬間、相手のディフェンスが整備されていない状態を作り出し、トライを取りに行く。
 
サッカーの戦術にたとえて言えば、守備を深く下げたカウンター狙いのサッカーである。
相手チームの攻撃をからめ取り、裏へ走りこむ。実力差がある時には、サッカーもラグビーもこの方法しかない。
 
しかしながら、主流というか、勝つ確率を高めるにはボールポゼッションを高めることしかない。
このようなカウンター戦法で勝つには最高のディフェンスを試合中、絶え間なく繰り返す体力、統率力が必要となる。世界のトップレベルでそれをできるチームはそうそうない。むろん、日本にそれはできなかった。
それに、それは戦略というより当たり前に行うべき行為でしかないので、実行力、作戦として何を遂行するのかが明確でなかった。
もちろん、監督やスタッフ、選手らで「やるべきこと」は明文化されていたのだろうけど、試合におけるパフォーマンスとして、それらが表現されたことがなかった。ずるずると引きずられるように失点を重ね、どこに力点を置いてプレイしているのか見えなかった。
 
ぼくが中学の頃までやってたラグビーも、そんなようなもんだった。
必死で走ったチームが勝つ的な、精神論がまかり通っていたし、中学レベルでは案外それが真実だったりもする。
よく高校野球でも「自分たちの野球をすれば勝てる」みたいなことを言う監督や選手がいて、その「自分たちの野球」が強み、弱みの分析結果ならば頼もしい限りだが、ただ言ってるだけ、お題目唱えてるだけのことがままある。
 
スコットランド戦の際、実況のアナウンサーさんが言っていたが、エディ・ジョーンズHC(ヘッドコーチ、監督のこと)は
プレッシャーを感じるとしたら、それは自分が何を行っているのか分かっていないからで、何を行うべきかわかっていれば、プレッシャーは感じない。
と言ったと紹介していた。うおーすげえ。
錦織のコーチ、マイケル・チャンの名言も流行りだけど、これも名言だ。確かに何のための打ち合わせか分からず、とりあえず出席させられるのは怖いものである。
 
「自分たちのプレイ」は本当は、本当に重要だ。
こうした場面ではこう動く、それを徹底して考え、身に染み込ませることで、「勝てる」。
決して「強くなる」のではなく、「勝てる」ようになるのだ。勝たなければ、どんなフィロソフィーも意味はない。
 
テニスや相撲といった個人競技は、その孤独さに耐え難いものがあるかもしれないが、自分の肉体を自らで組織し、動くようにすれば良い。
一方ラグビーやサッカー、野球はチームスポーツなので、意思統一、目的の共有、切り替え、そして肉体的パフォーマンスの向上、それらを複数人にまたがり、同時に達成しなければならない。
15人きっちり揃えているだけではダメで、リザーブからいざという時のバックアップメンバーまで確実に揃えなければ世界では戦えない。
だが個人競技と違うのは、異なる長所で誰かの短所を補えること、そして仲間がいるという安心感、責任感を強く感じられることである。
 
南アフリカスコットランドとの戦いを終えた今大会の日本代表を見ていると、本当に「何をなすべきか(by レーニン)」がきっちりと共有され、しかも遂行できているように思う。
もちろんスコットランド戦では後半、糸が切れてしまった感は否めないが前半のパフォーマンスには「勝てる」ものがあった。
決め事=規律が作られ、守られていることが勝因なわけである。
それはすなわち監督の意図が正確に伝わっていることの証左である。
監督とは、こうも偉大なものなのか…。
 
 
最後に国を代表することについて。
ラグビーでは以下の3条件となる。
1. その国・地域で出生したこと。
2. 両親および祖父母のうち少なくとも1人が、その国・地域で出生したこと。
3. その国・地域に36か月以上継続して居住しつづけていること。
国籍主義ではないのだ。
これには以下のような理由があるとのこと。
 ラグビーがなぜ、代表資格に国籍を求めないのか。それは早々とプロ化して世界に広まったサッカーとは対照的な歩みが背景にある。ラグビーは1995年までアマチュアの立場を守り、主に英連邦内で盛んになった。選手が仕事や勉強のために移り住んだ先でも競技を楽しめるように、との思いも込められているという。
ラグビーらしい、緩やかな条件で、素晴らしいことと思う。
国を代表するというより、土地を代表する、というような感覚か。
ぜひ、ぼくの好きな相撲においても、これくらいの緩やかな条件を認めて欲しいと思うのである。