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izumishiyou’s diary

いつも考えていること

労働と成長

この本の書いてることをどう捉えるのだろう。取るに足らないことなのか。
2012年のすばる文学賞受賞作「狭小邸宅」について。

狭小邸宅 (集英社文庫)

狭小邸宅 (集英社文庫)


主人公は不動産の営業マン。数字を上げることだけが会社の中で居場所を得る唯一かつ絶対の手段。休日も残業代もない、いわゆるブラック企業だ。
まったく成績を上げられず、営業所を異動された主人公。そこで出会った上司は初日から静かな声で「この仕事に向いていないから辞めろ」と言い放ち、それ以降目も合わせてくれない。
主人公は辞める辞めないの気持ちの揺れ動きの中、売れ残って誰も手をつけないある物件に1ヶ月間向き合ってみる。
その物件が偶然にも売れ、社内での評価が変わるが、そこからまた営業成績は振るわない。
しかし営業所のエースが辞めたことで上司に営業の同伴、マンツーマンでの指導を受け始めると途端に見えてくる世界が変わる。
大きな道路を使わず、細い道まで全て覚え、客の信頼を得ろ。
都内の一軒家の相場を見せて回り、客を納得させろ。
買ってもらうのではなく、買わせろ…。
主人公は自信を持って家を売りまくる。一緒に住んでた女は去り、たまに会っていた友達も消える。売りまくった先で主人公の見た景色とは…。

というような話。
ブラック企業にいたはずが、売れるようになってから話は一変、売ることの醍醐味を余すことなく伝えてくれる。
そしてその先にあるものも見せてくれる。
前半に落としといて、後半盛り上げ、最後落とす。めちゃくちゃおもしろいのでオススメだ。

そしてこの物語は古典的なビルドゥングス・ロマンである。成長物語。
売れない営業マンが指導を受け、売れるようになる物語。まるで自己啓発本のようでもある。夢を叶えるゾウと同じ構造と言ってもいい。
ダメな俺がダメじゃなくなるその道筋。
にもかかわらず、この物語はその成長をはたして是とは捉えない。
主人公は得ると同時にいろんなものを、失っていく。
ラストのあたり、課長に「やっぱり無理か」と言われるシーンは、とてつもなく辛いものがある。
何がどう無理なのか。それは明らかに示されないが、ひしひしと感じてしまう。無理なのだ。しかし、課長は無理じゃないのか?その差はなんなのだろう。

労働と成長はセットである。
成長なき労働は作業であり、仕事ではない。仕事とは、他者へ有形無形のサービスを提供することであり、そのサービスの中には自分という存在そのものも含まれる。だから、「この人から買う」という発想は未来永劫なくならないだろう。
しかし、その成長を煮詰め煮詰めた先に残ったエッセンスとは何か。それを見ようと試みたのがこの物語なのだと思う。

人は成長しなければならないのか?
ある側面ではイエスであり、ある側面ではノーなのだ。
成長しなければ生きることは緩慢な自殺へと堕ちていく。
しかし、成長することは他者をなぎ倒し、自らのみを活かそうとする弱肉強食の世界につながる。
人間は間を取らなければならない。一人の人間の中で、バランスを保たなければならない。片方では成長を志し競争に参加し、片方では成長ではなく共存の道を見つける。
現在のワークライフバランスとはこのことなのかと思う。
しかし願わくば労働が個人の成長ではなく、社会の成長を目指すものとなるように、何か策はないものかとも思う。
つまり、社会のあり方として、バランスを取ることを重視できないものなのだろうか?
答えもなく、なんとなく思い巡らす。

「狭小邸宅」、労働の倦怠、恐怖、喜び、日々感じざるを得ないそれらを、既視感と共に新しく見渡せる作品。
二年ぶりに読み返した感想。